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リスク対応策 2020.03.08

RM 23 「秘密諜報員ベラスコ」(情報の無視) “Secret Agent Velasco” (Ignoring Information)

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

何気なく「NHKオンデマンド」の番組表を見ていたら、かなり前に見た記憶がうっすらとあった番組が載っていた。1982年(昭和57年)9月20日に放送された「私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ~」であった。「芸術祭大賞受賞作品」だけあってか、一気に引き込まれていった。

1.日本のスパイーベラスコ

この番組を見て、「太平洋戦争当時、日本はリスクに対して、いかに無謀で無防備だったのか」を知ることができた。現在も同様であるが、当時も情報戦を制さずして勝利できるわけがないにもかかわらず、開戦の1年前には、すでに日本の暗号はすべてが解読され、真珠湾攻撃の計画も米国に筒抜けであったのである。

NHKは、その「暗号の解読文書」が米国公文書図書館にあることを知り、日本の交信記録を調査した。その結果、「第2次世界大戦中、日本のために米国本土でスパイ活動をした組織が存在したことが判明した」のである。組織名は、情報を「盗」む、その音韻から「和文名:盗(とう)、英文名:TO」と名付けられたものだが、「盗むという言葉はさすがにまずいのでは」と、後に和文名は「東(トウ)(機関)」と改称されたということであった。

その中心人物が、ユダヤ系スペイン人「ベラスコ」であることを突き止めたNHKのスタッフが、存命中のベラスコに接触、インタビューした記録がこの「秘密諜報員ベラスコ」であった。アルカサール・ベラスコは、当時日本ではまだ知る人はほとんどいなかったが、世界ではよく知られていた一流のスパイ。ナチスドイツ、とりわけヒトラーの信頼が厚かった人物であった。

2.情報の無視

この組織は、日本のスペイン公使がスペインでの人脈を使って米国で造り上げた組織だった。貴重な情報を日本に送り続けたにもかかわらず、そのほとんどが戦略策定に活かされることはなかった。その一つが当時機密中の機密であった原子爆弾に関する情報であった。広島、長崎に投下される実に3年以上も前に、「広範に1000度以上の高温を発する新型爆弾を開発した」との情報を日本に送ったが、なぜか無視された。

1942年夏、米国西海岸の海軍基地を大規模な艦隊が出撃したことも日本に報告したが、「米軍の反攻は1943年中期以降だ」という開戦当初からの情報判断に固執した参謀本部はその情報を無視した。諜報員のトップ「アルカサール・ベラスコ」が、「情報員に過ぎない自分でも近々大規模な米国側の反攻が中部太平洋地域においておこなわれるということが解った、でもどうしてその情報を日本は取り上げなかったのか」と悔しそうに回顧する、印象的な、見応えのある作品であった。

その後、米国は、暗号解読によってマドリッドからの「東(機関)」による情報を把握、1944年、その実態が完全に把握されたことで、「東(機関)」は壊滅に追い込まれたのである。

3.海戦要務令

戦争は「組織の頂点とも言える国と国とが、ヒト、モノ、カネの総力を投下して生存競争を繰り広げる場」である。

1941年12月7日(日本時間12月8日)の真珠湾攻撃により始まった太平洋戦争。日独伊三国軍事同盟に反対、米国との開戦にも反対した、当時の連合艦隊司令長官 山本五十六の「1年や1年半は存分に暴れてみせますが」との言葉よりも早く、米軍の大反攻は、ベラスコの言葉通り、開戦より半年後には中部太平洋上の島、ガダルカナル島で始まった。

戦略は往々にして「成功体験」に基づいて策定されるものである。日本海軍でも同様であった。その規範が日露戦争の日本海海戦の大勝利を基につくられた「海戦要務令」であり、その中心をなす思想は、大鑑巨砲主義、艦隊決戦主義であった。明治34年の制定以来5回にわたって、その後の状況変化に応じて改訂されたが、その中心思想は真珠湾攻撃の勝利には航空機の大きな力があったにもかかわらず変わることは無かった。

この「日本の内海である日本海」を対象にして構築した戦略、「海戦要務令」は太平洋をめぐる広範な戦争を遂行するためには、「戦略の視野」の点で、致命的な欠陥があったが、海軍においては戦争遂行のバイブルとなった。日露戦争は日本海で、向かってくる敵を撃破した戦いであった。しかし、太平洋戦争の戦場は、日本を何千キロも遠く離れた地である。

戦略策定上の大きな課題である「兵站」、兵員、武器、糧食等の補給輸送が想定されていなかったのである。日本は、この戦線拡大の上で最重要な戦略要因を無視して徒に戦場を広げていった。しかし、これは、何も70年前の話ではない。破綻をきたした多くの企業の再生モデルには必ず「事業の再構築、本業への回帰」という言葉が現代でも顕れてくる。筆者が70年以上前の事実を取り上げるのも、それが日本の企業社会の中にもいまだに継承されていると考えているからである。

4.戦略ドメイン

企業戦略の中心を成すものが「事業領域の決定」である。「日本海」を対象にするのか、「太平洋」をその領域にするかによって、企業の事業構造、企業戦略は大きく変わる。また、それによって、発生してくる「リスク」も当然変化する。そのため、企業戦略へ「解:ソリューション」を出すべき「リスクマネジメント」も変化していく。

「企業同士のぶつかり合い」は、ある意味戦争と同じである。限りある「資本」をどの領域に投下するかによって、当然その結果も大きく変化するからである。その意味で「戦いの場の決定」ほど重要な企業戦略上の事項はない。

日本のある大手電機メーカーが、約800社のグループ会社を数年間で500社程度まで整理、統合する方針を以前掲げていたが、これを前倒しして、子会社の自動車関連会社と別メーカー系自動車部品3社を統合すること、そして同社の「御三家」と言われていた一社さえ売却することを最近発表した。2009年に22社あった同社の上場子会社は4社に減った。今後は、同じく「御三家」の一角とされた別の上場子会社についても、自社事業との相乗効果を見極めながら、売却などを検討する模様である。

このように、「聖域」と言われた企業の生存領域にまで踏み込んで、事業の再構築がドラスティック(抜本的)におこなわれているのが現代である。もはや、かつてのような「労使協調の日本的な経営の姿」を見ることはできない。しかし、このような日本企業の「選択と集中」の過程においてさえ、「事業領域の決定を経てから、企業戦略が決められている」とは言いがたい事象を多く見聞きする。

この「企業の事業領域、生存領域のこと」を「戦略ドメイン」と呼ぶ。種々の報道を見聞きする限り、「最初に『人員削減』他の戦略」が決まり、その後、後追いで「事業領域の整理・縮減」等が決まっていくようである。

「日本海」を戦いの場にするか、それとも「太平洋」を戦野にするかによって、「戦略は大きく変化する」にもかかわらず。この意味で、「旧日本軍の組織的特徴は見事に日本企業に継承されている」と言うことができるであろう。

5.ガダルカナルの戦い

「兵站を無視した戦い」ほど惨めな末路を招くことはない。ガダルカナル島に投入された日本軍の将兵は、約3万2000人であった。そのうち、戦死者1万2500人、戦傷者は1900人、戦病死は4200人、その多くが餓死とみられる行方不明者は2500人にのぼった。対する米軍の犠牲者は6万人の将兵のうち戦死者は1000人、負傷者4245人であり、当然ながら餓死した米軍兵士は1人もいなかったのである。

また、必勝の信念に燃える上層部は、事実認識に基づいた第一線からの情報も「悲観的」として反感さえ持ち、取り上げることは無かった。ベラスコ情報のような外部からの情報も軽視した。こういった硬直的な思考体質のまま机上プランを練り、「この戦力では1000キロ離島の決戦はおこなうべきではない」とする将官を更迭、事実認識に基づかない精神論のみが戦略の基底部となった戦いを始めたのである。

情報軽視の主観的な戦略策定は敵の兵員、装備さえ見誤った。「大反攻に来た重装備の師団規模1万3000人の敵方」を想定せず急行することのみを至上命題とした日本軍は、「敵は弱体である」と思い込み、僅か900人で戦いを挑んだ。結果は全滅。続々と増援部隊が上陸している米軍を相手に、1ヶ月後3000人で決戦を挑んだが豊富な重火器の前に再度敗れた。ここに至って初めて大本営は師団規模の兵員を投与することを決した。しかし、それを可能にする兵站線の不備を突かれ4ヵ月後撤退せざるを得なかったのである。逐次投入の愚である。

6.現代の日本企業に残されたモノ

米軍は「日本本土直撃の戦略のためにはどうしてもガダルカナル島が欲しかった」のである。しかし、「当時の日本軍の中枢部には、ガダルカナル島の名前さえ知らない者もいた」のである。海軍と陸軍の統合戦略の欠落を敗戦理由の1つにあげる人も多い。また、第一線からのフィードバックを容認する体制の無さをあげる人も多い。結果としてこの戦いが、太平洋戦争のターニングポイントとなり米軍の反攻を加速させることになったのである。

現代の会社組織ではどうだろうか。「情報を軽視した戦力の逐次投入」はないだろうか、「まだ、俺が行く時期ではないだろう、お前たちでやれ」という上司はいないだろうか。外資系の会社では「トップダウン」が戦略の要である、それはトップが率先して初期の段階から戦いに臨むから言えるのである。現代の企業を見るとこの戦いから学ぶものはまことに大きいと言わざるを得ない。

7.サイバー攻撃への対策の要は

現代の企業において「情報の要」はその名の通り、「IT」である。しかし、このITも「暗号解読」と同じく、現代では「敵の攻撃リスクに晒されている」と言っても過言ではない。そのために開発された保険が「サイバー保険」である。

日本損害保険協会のホームページによると、「サイバー保険はサイバーリスクに起因して発生する様々な損害に対応するための保険です。サイバー保険は、サイバー事故により企業に生じた第三者に対する「損害賠償責任」のほか、事故時に必要となる「費用」や自社の「喪失利益」を包括的に補償する保険です」とある。

各損害保険会社のサイバー保険の内容を見ると、「賠償責任」、「費用」そして「喪失利益」に関する補償内容が具に記されている。しかし、「サイバー攻撃にはこのサイバー保険があれば大丈夫」と果たして言えるだろうか?例えば、「ランサムウエア」(身代金要求型サイバー攻撃)が自社のITシステムを攻撃してきたとき、確かに「費用」や「逸失利益」は支払限度額まで補償されるが、その「メインリスク」である「ランサム(身代金)」についてはどうだろうか?

サイバー保険は、サイバー攻撃によるすべての被害、損害を補償するものではない。保険商品の内容を具に確認、自社が想定するリスクに照らしてその是非を検討することが肝要である。「『保険を掛ければ事足りる』ということはない、保険の補償範囲にも『免責(保険金が支払われない事象)』があるからである。その時の対策はどうするか」という、「企業戦略に解(ソリューション)を与えるリスクマネジメント態勢の構築」が重要であり、その効用を最大にすることができるのが、ソリューション・キャプティブ®を視野に入れた本格的なリスクマネジメントの実行である。

今回のまとめ

自社に必要な補償でありながら、日本の損害保険会社から「保険として相応の補償」を購入できない場合、「ソリューション・キャプティブ®」の設立をお勧めしたい。日本の損害保険会社が提供できない補償を海外の保険市場から「再保険」の手段で補償枠を獲得、日本の損害保険会社に提供して「得られない補償を得られるようにする手段」だからである。

このことを可能にする巨大な保険市場は、海外に存在する。特にサイバー保険の補償の差は国内で得られる保険商品とは格段に違ったものを得ることができると認識している。

「新型コロナウイルス」という「人類の敵」とも言えるレベルの「リスク」が発生したいま、キャプティブ設立を視野に本格的なリスクマネジメントをおこなう時ではないだろうか。

 

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

English translation

Risk Management 23 – “Secret Agent Velasco” (Ignoring Information)

When I was casually browsing the NHK On Demand program list, I found a program that I vaguely remembered seeing a long time ago: “I was a Japanese spy – Belasco the secret agent,” which was aired on September 20, 1982. Perhaps because it was the Grand Prize winner at the Art Festival, I was immediately drawn to the film.

1. Japanese Spy – Velasco

Watching this program made me realize how reckless and defenseless Japan was in terms of risk at the time of the Pacific War. The same is true today, and although there was no way Japan could have won the war without winning the information war, all of Japan’s codes had been deciphered a year before the war began, and the plan to attack Pearl Harbor was known to the United States.

NHK learned that the “deciphered code” was in the U.S. National Archives and Records Administration and examined the records of Japanese communications. As a result, “it was discovered that there was an organization that spied for Japan on U.S. soil during World War II. The organization was named after a man who “stole” information and whose name, in English, was “TO” because of its phonetic pronunciation by reading aloud “steal”, but later the Japanese name was changed to “TO (agency) “, reading “east” aloud, because “stealing” was a bad idea.

The staff of NHK discovered that the central figure was a Jewish-Spanish man named “Velasco”, and they contacted him while he was still alive and interviewed him in “Velasco the Secret Agent”. Alcazar Velasco was a top-notch spy who was still unknown in Japan at the time, but was well known throughout the world. He was a trusted figure in Nazi Germany, especially by Hitler.

2. Disregard for information

This organization had been created in the United States by the Japanese minister to Spain, using his contacts in Spain. Despite the fact that it continued to send valuable information to Japan, most of it was never used in the formulation of strategy. One of these was information about the atomic bombs, then the most secret of secrets. More than three years before the bombing of Hiroshima and Nagasaki, Japan was informed that it had developed a new type of bomb capable of producing a widespread temperature of more than 1,000 degrees Celsius, but for some reason this information was ignored.

In the summer of 1942, he also reported to Japan that a large fleet had sailed from a naval base on the west coast of the United States, but the General Staff ignored this information, adhering to the intelligence judgment from the beginning of the war that the U.S. military would not launch a counterattack until mid-1943. Alcazar Velasco, a top intelligence officer, looks back on the film with regret: “I was only an intelligence officer, but I knew that a large-scale American counter-offensive was going to take place in the Central Pacific region in the near future, but why didn’t Japan take up the information?

Later, the United States deciphered the code and obtained information from the “To (East) Agency” from Madrid, and in 1944, when the reality of the situation was fully grasped, the “To (East) Agency” was driven to extinction.

3. Naval Warfare Order

War is “an arena in which nations, the pinnacle of organizations, compete for survival by throwing all their resources at each other, people, goods and money”.

The Pacific War began with the attack on Pearl Harbor on December 7, 1941 (December 8 in Japan). The U.S. military launched a major counterattack on Guadalcanal Island, an island in the central Pacific, six months after the war began, just as Velasco had said, and even before Isoroku Yamamoto, then commander-in-chief of the Allied Fleet, who opposed the Tripartite Pact and the outbreak of war with the U.S., had said, “I’m going to rampage for a year or a year and a half”.

Strategies are often formulated based on “success stories.” The same was true of the Imperial Japanese Navy. “The naval task order”, which was based on the great victory at the Battle of the Sea of Japan in the Russo-Japanese War, and its central idea was the principle of big guns and fleet decisiveness.Since its enactment in 1901, the order has been revised five times to reflect subsequent changes in circumstances, but its central idea has remained unchanged despite the fact that aircraft were instrumental in the victory at Pearl Harbor.

This strategy, the Naval Warfare Order, was fatally flawed in its “strategic vision” for the conduct of the broader war in the Pacific, but it became the bible for the navy in the conduct of the war. The Russo-Japanese War was a battle in the Sea of Japan in which the oncoming enemy was defeated. However, the battlefield of the Pacific War was thousands of miles away from Japan.

The major strategic issue of logistics, the supply and transport of troops, weapons, food, etc., was not envisioned. Japan ignored this most important strategic factor in the expansion of the front line, and expanded the battlefield in vain. But this was not the case 70 years ago. In the revival models of many bankrupt companies, the phrase “restructuring of the business and return to the core business” appears inevitably even today. The reason why I have chosen to focus on a fact from more than 70 years ago is because I believe that it is still prevalent in Japanese corporate society.

4. Strategic Domain

Deciding on a company’s business domain is central to corporate strategy. A company’s business structure and corporate strategy will change dramatically depending on whether it chooses the Japan Sea or the Pacific Ocean as its target area. Naturally, the risks that arise will also change depending on the decision. For this reason, risk management, which provides solutions to corporate strategies, will also change.

In a sense, the clash between companies is like a war. This is because, depending on the area in which limited capital is invested, the outcome will naturally vary greatly. In this sense, there is no other strategic issue as important as determining the battlefield.

A major Japanese electronics manufacturer previously announced a plan to consolidate its group of about 800 companies to about 500 over the next few years, but the company has decided to accelerate the consolidation of an auto-related subsidiary and three auto parts companies affiliated with different manufacturers, and to sell off even one of its “Gosanke (three families)”. The company recently announced that it had four listed subsidiaries, down from 22 in 2009. The company is likely to consider selling other listed subsidiaries, which were also considered part of the “three families,” while assessing the synergies with its own business.

In this way, companies today are drastically restructuring their businesses, even going so far as to enter what used to be known as their “sacred territory”. It is no longer possible to see the “Japanese management style of labor-management cooperation” of the past. However, even in the process of “selection and concentration” of Japanese companies, it is difficult to say that corporate strategy is decided after the business domain is determined.

This “corporate business domain and survival domain” is called the “strategic domain”. From what I’ve read and heard in the press, it seems that the company first decides on its strategy to cut personnel and other strategies, and then later decides on such things as the downsizing and reorganization of its business domains.

Depending on whether the battlefield is on the Sea of Japan or the Pacific Ocean, the strategy will vary greatly. In this sense, it can be said that “the organizational characteristics of the old Japanese army were brilliantly inherited by Japanese companies”.

5. The Battle of Guadalcanal.

Few things end more miserably than “fighting without regard to logistics”. The number of Japanese generals on Guadalcanal Island was about 32,000. Of this total, 12,500 were killed, 1,900 were wounded, 4,200 died of war-related illnesses, and 2,500 were missing, many of whom are believed to have died of starvation. In contrast, U.S. military casualties were 1,000 killed and 4,245 wounded out of 60,000 generals, and of course not a single U.S. soldier died of starvation.

In addition, the upper echelons of the government, burning with the belief in a must-win strategy, even resented information from the front lines based on factual information as “pessimistic” and did not take it up. They also disregarded information from the outside, such as Velasco information. With such a rigid mindset, he formulated a theoretical plan, dismissed the general who said, “With our military strength, the decisive battle on the 1,000-kilometer remote islands should not be conducted,” and began a war in which the only basis for strategy was a theory that was not based on the recognition of facts.

Subjective strategic planning without regard to information misjudged the men and even equipment of the enemy. The Japanese troops, which did not expect “an enemy with a 13,000-strong division that was heavily armed and came for a great counterattack”, and only set their supreme objective to rush to the battle, assumed that the enemy was weak, and challenged the battle with only 900 men. The result was total destruction. A month later, they challenged a decisive battle with 3,000 men against the U.S. forces that were landing with reinforcements one after another, but they were defeated again in the face of the abundant heavy weapons. It was only here that the “Daihonnei” (the Imperial General Headquarters) decided to administer division-sized troops. However, they were forced to withdraw four months later due to the inadequacy of the logistics line that made this possible. It was the folly of successive inputs.

6. Things left for modern Japanese companies

The U.S. military “desperately wanted Guadalcanal Island for its strategy of attacking the Japanese mainland”. However, “there were some in the core of the Japanese military at the time who did not even know the name of Guadalcanal Island”. Many cite the lack of an integrated naval and army strategy as one of the reasons for the defeat. Others blame the lack of a system that would tolerate feedback from the front lines. As a result, this battle became a turning point in the Pacific War and accelerated the U.S. military’s counter-offensive.

What about modern corporate organizations? Are there any bosses who say, “It’s not time for me to go in there, so why don’t you do it? “In foreign companies, top-down strategy is the cornerstone of the strategy, and this is because the top management takes the lead in the battle from the early stages. Today’s companies can learn a great deal from this battle.

7. The key to counter cyber-attacks is

In today’s business world, the “cornerstone of information” is, as the name implies, “IT”. However, it is no exaggeration to say that IT is exposed to the risk of attack by the enemy, just like codebreaking. Cyber insurance is designed for this purpose.

According to the website of the General Insurance Association of Japan, “Cyber insurance is designed to cover a variety of losses caused by cyber risks. Cyber insurance provides comprehensive coverage for ‘liability’ to third parties caused by a cyber accident to a company, as well as ‘expenses’ and ‘lost profits’ for the company in the event of an accident”.

If you look at the contents of each insurance company’s cyber insurance policy, you’ll see that it includes coverage for “Liability,” “Expenses” and “Lost Profits” in full. However, can we really say that “this cyber insurance will protect you from a cyber attack”? For example, when “ransomware” (ransom demand cyber-attack) attacks your IT system, you will be compensated up to the limit of your payout in terms of “cost” and “lost earnings”, but what about the “main risk”, the “ransom”?

Cyber insurance does not cover all damages and losses caused by cyber attacks. It is important to check the contents of the insurance products and consider the pros and cons in light of your company’s expected risks. There is no such thing as ‘insurance is sufficient’ because there is an ‘exclusion of liability’ (an event for which no insurance payment is made) in the scope of insurance coverage. It is important to establish a risk management framework that provides a solution to the corporate strategy, and the implementation of full-scale risk management with a view to the Solution Captive® will maximize its effectiveness.

Summary of this issue

If your company needs coverage but is unable to purchase “adequate insurance coverage” from a Japanese P&C insurance company, we recommend that you establish a “Solution Captive®”. This is because it is a way to obtain coverage that Japanese P&C insurance companies cannot provide by way of “reinsurance” from overseas insurance markets and provide it to Japanese P&C insurance companies as a means of obtaining unavailable coverage.

There are huge insurance markets overseas that make this possible. We are aware that the difference in coverage for cyber insurance is significantly different from that available in Japan.

“With the emergence of a new coronavirus(covid-19), a risk at the level of an enemy of humanity, it is time for serious risk management with a view to establishing a captive.

Author/translator: Shinichiro Hatani