キャプティブを活用したリスクマネジメントなら株式会社グローバル・リンク「お知らせ・コラム」ページ

キャプティブを活用したリスクマネジメントなら株式会社グローバル・リンク「お知らせ・コラム」ページ

Contact Contact
Contact Contact

Menu

Close

お知らせ・コラム

News & column

企業戦略 2021.06.04

CS26 サクランボ(生き残り戦略の勝者)Cherries (winner of the survival strategy)

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

梅雨の季節になると、「サクランボ」がくだもの屋やスーパーの店頭に並ぶ。「佐藤錦」や「紅秀峰」といった品種に代表される甘果オウトウ(桜桃、植物学上の呼称で「サクランボ」はオウトウの果実)の果実は、甘さと酸っぱさがほどよく調和して上品で爽やかな味わいであり、見た目もきれいで可愛らしく「赤い宝石」、「初夏のルビー」などとも呼ばれる。太宰治ファンであれば、サクランボの季節になると太宰治を偲ぶ「桜桃忌」(6月19日)を思い起こすだろう。

サクランボの歴史は古く、紀元前からイラン北部からスペインに至る地域や中国でも食べられていたとされ、日本には明治元年(1868年)にドイツ人ガントネルが北海道函館に導入したのが最初とされる。その後、サクランボ栽培は自然条件、立地条件に恵まれた山形県を中心に発展したが、初夏の贈答用高級果実としてのブランド化に成功し不動の人気を得るまでには、サクランボの開発者や栽培農家の長年にわたる奮闘と困難の克服の歴史があった。

1.幸福の果実

サクランボの生産地として有名な山形県寒河江市の運営サイト「サクランボ大百科事典」では、サクランボに関する次のような欧州での言い伝えを紹介している。

聖母マリアが夫ヨセフに木になっているさくらんぼを採ってくれるようにねだりました。 しかしヨセフはいじわるをして採ってくれません。 そうしたら不思議なことにさくらんぼの枝がマリアの口もとまでたわんできたといいます。そのことから、さくらんぼはマリアの聖木とされ、花は処女の美しさを表し、果実は「幸福の果実」「天国の果実」にたとえられています。花ことばは教養と精神美。

サクランボは、ドイツ、イタリア、ロシア、スペインといった欧州諸国をはじめ、トルコ、イランなどの中東諸国、さらにはアメリカ、チリなどの米州諸国に中国など世界各地で生産されている。なお、日本の生産量は世界第20位(2003~2005年平均)である。

アメリカには、17世紀に欧州から移住した開拓者によって導入されたが、開拓者は新しい土地に必ずオウトウを持ち込み、畑作物に栽培が失敗して食糧不足に陥った際に飢えを救ったという。サクランボは、欧州からの移住者にとっては、新天地での精神的な支えであるとともに、農産物収穫期前の非常食ともなった。因みに、アメリカのサクランボ生産量(25万トン<2005年>)は、トルコと並ぶ世界トップクラスである。

世界にはサクランボの品種が2,000ほどもあるとされる。日本には明治時代に約80品種が導入され、そのうち日本の気候や日本人の好みに合うものが栽培、品種改良されてきた。現在は、日本全国のサクランボ生産量(1.8万トン<2020年>)の78%余を占める山形県をはじめ、北海道、青森県、山梨県などで栽培され、アメリカ産サクランボの輸入自由化に対抗して品質による差別化を果たして高級果実としてのブランドを定着させた日本のサクランボは、生産者にとっての「幸福の果実」となった。

2.佐藤錦

現在、世界各地で栽培されているオウトウは欧州系オウトウで、そのうち日本では甘果オウトウ(Sweet cherry)が栽培されている。もう一つの欧州系オウトウである酸果オウトウ(Sour cherry)は日本では栽培されずに、ジャムやパイ等の加工用として輸入されている。中国で栽培されている中国オウトウ(漢名:桜桃)は江戸時代に日本に導入されたが、果樹としては広まらずに九州や四国で観賞用に植えられているらしい。明治6年(1874年)にフランスとアメリカから主要品種を導入、苗木を増殖して東北、北海道を中心に配布されたが、冷涼で雨が少ない気候と風土に合った山形と北海道に定着していった。官営栽培試験場や民間篤農家の努力で1890年頃にはオウトウ栽培は軌道に乗り、大正11年(1922年)には、現在でも生食用としては圧倒的な人気がある「佐藤錦」が生まれた。

「佐藤錦」は、山形県東根市の篤農家の佐藤栄助が品種改良に取り組んで作りだしたことから、1928年(昭和3年)に「佐藤錦」と命名されたものである。生食用が主体となった昭和50年(1975年)代以降、果皮が光沢のある鮮紅色で美しく糖度も高い「佐藤錦」の栽培面積がサクランボ全体の60%を超えている。佐藤栄助の生誕地である東根市のサクランボ生産は全国の生産量の約2割を占めるが、「サクランボ収穫量が日本一」に因んで東根市内の山形新幹線停車駅の駅名を「さくらんぼ東根」と命名するなど、町興しにも一役買っている。

3.プロジェクトX

サクランボの栽培適地は、まず、果実の光沢・糖度の向上のために生育期間中の夜温が比較的冷涼である地帯であること、さらに病害の多発、裂果の発生等を抑えるために特に成熟期には雨が少ない地域であることが条件となる。加えて、排水良好で通気性に富んだ土壌が適しており、冬期の寒さが厳しく凍霜害の常襲地帯や強風地帯は向かない。

オウトウの樹高は高く、果実は小さくデリケートで傷みやすいため、収穫や選果に全労力の6~7割の労力がかかるという。したがって、農業経営上、サクランボの収穫期に他の作物の労力と重ならないようにする必要がある。

確かに、「佐藤錦」の主要産地である山形は、比較的冷涼で霜や台風の被害が少ない地域であり、田植えが終わりスイカ等の夏の作物の収穫期が始まるまでの間の初夏(6月下旬)に「佐藤錦」の収穫期を迎える。山形が、サクランボ栽培の圧倒的な主要産地となった理由が理解できる。しかし、「佐藤錦」の収穫期はまさに梅雨の真っ只中であり、完熟した果実が雨に当たって収穫前に実割れしてしまう可能性が高くなる。かつては、実割れにより収穫が安定しなかったが、今ではオウトウの木をテントやハウスで覆う雨よけ施設が普及したことにより、実割れの心配をせずに完熟を待つことができるとともに、病害の防除、鳥害防止にも効果があり、高品質のサクランボを効率よく収穫できるようになったのである。近年は、加温ハウス栽培が普及し、4月上旬頃から継続して出荷されるようになり、豊産性で樹上での日持ちがよく、糖度が高く大粒で外観もよい新品種「紅秀峰」が登録されている(平成3年<1991年>)。

長年にわたる品種改良や栽培技術の向上、冷蔵輸送技術と高速交通網の発達により、オウトウ栽培は軌道に乗り、サクランボのブランド化も浸透していったが、平成4年(1992年)にアメリカ産サクランボの輸入が全面解禁された。日米の栽培面積の差から価格面で太刀打ちできず生き残れないのではないかと大いに心配された。しかし、雨よけ栽培等の栽培技術を駆使して「佐藤錦」を中心とする高品質の生食用サクランボで対抗した結果、価格は外国産を一貫して大きく上回るとともに国産サクランボの消費は増加を続けて栽培面積も拡大し、外国産サクランボとの棲み分けが実現している。

「梅雨時の収穫期」というサクランボ栽培には圧倒的に不利な状況を克服し、「高品質化」で消費者の支持を維持して廉価な外国産サクランボとの棲み分けを果たしたことは、まさにサクランボ生産者の「プロジェクトX」と言える。

4.海外への拡販

日本のサクランボ輸入(2020年)は4,262トン(48億円)で、うち92%(3,931トン)がアメリカから輸入されている。一方、輸出(2020年)は僅かに約1トン(393万円)にとどまり、国・地域別では、香港300キロ(111万円)、シンガポール240キロ(83万円)、台湾230キロ(109万円)、マレーシア191キロ(56万円)、タイ104キロ(34万円)などとなっている(財務省貿易統計より)。輸出は主として航空便が利用されているが、冷蔵技術の向上により台湾には船便も使われる。

上記にランクインされていない中国では、欧州系オウトウ(甘果オウトウ、酸果オウトウ)とは別種で果実が小さい中国オウトウを中心とする国産サクランボの生産量は113万トンもある。甘果オウトウの輸入量も19万トンあり、中国の収穫期と重ならず自由貿易協定(FTA)で関税がないチリ産が90%を占めるが、その他に米国、カナダ、近年はトルコ、ウズベキスタン、キルギスタン等が参入している。中国オウトウは、「支那の実桜 (シナノミザクラ)」と「白花シナノミザクラ」とが知られており、中国全土にわたって古くから栽培され、前漢時代(紀元前206年~8年)頃から宮廷の果樹として特に重要視されていたとされる。

日本産リンゴの輸出量(2020年)は26,927トン(107億円)で、その68%が台湾(1万8,279トン)、香港(7,068トン)、タイ(806トン)となっており、日本産イチゴの輸出量(2020年)は1,179トン(26億円)で、その79%が香港(929トン)、台湾(97トン)、シンガポール(87トン)である(財務省貿易統計より)。

こうして見ると、付加価値が高い日本のサクランボは、一歩先を行くリンゴやイチゴと同様に、海外への拡販余地が大きそうだ。特に中国は、チリからのサクランボ輸入実績(15万トン<2017年>)をみても、サクランボに対する中国人の伝統的な高級イメージ、分厚い富裕層の高級食嗜好などから、極めて魅力的な市場である。

一方、本年4月1日に改正種苗法が施行された。日本の登録品種が海外生産者に流出するのに歯止めをかけることが主たる目的だが、その有効性や逆に種苗が海外企業に支配されるリスク等につき、課題も多いようだ。リンゴやイチゴの新品種は「登録品種」にされているが、サクランボは一般品種(在来種、品種登録がされたことがない品種、品種登録期間が過ぎた品種)とされていて適用対象外である。平昌オリンピックのカーリング女子日本代表のもぐもぐタイムで「韓国のイチゴがおいしい」とコメントしたイチゴは、実は、「とちおとめ」などの日本のブランドイチゴが無断で韓国に持ち出され、勝手に交配されて韓国で「雪香(ソルヒャン)」といったブランドが作られて販売されていたことが話題になった。

日本のブランドサクランボの種苗流出リスクも懸念されるところだが、サクランボの生産には、産地の気候風土が大きく影響すること、最高品質を実現するためのきめ細かな栽培技術が求められることなど、「佐藤錦」などの高品質サクランボのコピーキャットになるには、他の農産品と比べてもハードルが高そうだ。日本の「赤い宝石」たるサクランボの海外への拡販を期待したい。

今回のまとめ

サクランボ栽培の作業は、1~2月の枝の雪払いに始まり、剪定(2~3月)、人工授粉(4月下旬~5月上旬)、雨よけテントの被覆(5月下旬~6月上旬)、収穫(6月上旬~7月上旬)、果実パック詰め(収穫時)、除草・病害虫防除(適宜)、雪対策等の越冬準備(11月)と、サクランボ生産者の勤勉で研究熱心な日本人ならではのきめ細かな仕事振りによって、年間を通じて行われている。

長年にわたる地道な努力によって弱点を克服し、年間を通して緻密な栽培管理を行うことで、「赤い宝石」とも称される「佐藤錦」に代表される世界最高品質のサクランボを作り上げ、廉価な外国産サクランボとも立派に棲み分けている。そして、海外への拡販が実現すれば、「守り」から「攻め」に転じることができる。

このサクランボ栽培の「プロジェクトX」は、地味ではあるが、企業の「生き残り戦略」と「リスクマネジメント」にも通じる実に素晴らしい「成功事例」と言える。企業を取り巻くリスクに対する対応策の中核に「キャプティブ(自社専用保険会社)」を据えることにより、「キャプティブ・プログラム」によってリスクを適切に管理すると同時に企業の収益機会を拡大することができる。「攻め」の企業経営をサポートするキャプティブ設立をお薦めしたい。

執筆者:菅原 伸雄

翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Corporate Strategy (CS) 26 – Cherries (winner of the survival strategy)

During the rainy season, cherries appear on the shelves of fruit shops and supermarkets. They have an elegant and refreshing taste with a good balance of sweetness and sourness, and are called “red jewels” or “early summer rubies” for their pretty appearance. If you are a fan of Osamu Dazai, the season of cherries will remind you of the “Outou-ki” (anniversary that celebrates author Dazai Osamu’s birthday,and incidentally,the day his body was found after he was involved in a double suicide:cherry blossom’s funeral) held on 19 June to remember him.

Cherries have a long history, and have been eaten since B.C. in areas from northern Iran to Spain, and also in China.They were first introduced to Japan in 1868 by the German Gantner in Hakodate, Hokkaido.

Since then, the cultivation of cherries has developed mainly in Yamagata Prefecture, which is blessed with good natural and geographical conditions, but it took many years of hard work and overcoming difficulties by cherry developers and growers before the cherries were successfully branded as a luxury fruit for early summer gift-giving and became universally popular.

1. The fruit of happiness

The Encyclopaedia of Cherries, a website run by the city of Sagae in Yamagata Prefecture, famous for its cherries, introduces the following European legend about cherries

The Virgin Mary asked her husband Joseph to pick some cherries from a tree. But Joseph was not willing to do so. Then, strangely enough, a branch of cherries bent down to Mary’s mouth. The flower represents the beauty of a virgin, and the fruit is likened to the “fruit of happiness” or the “fruit of heaven”. The language of flowers is culture and spiritual beauty.<

Cherries are produced in many parts of the world, including European countries such as Germany, Italy,bl, Chile, the Americas and China. Japan is the world’s 20th largest producer (2003-2005 average).

It was introduced to the USA by European settlers in the 17th century, who always brought the Eau Sauvignon to their new homes to save them from starvation when field crops failed and food shortages occurred. For European settlers, cherries were not only a source of spiritual support in their new home, but also a source of emergency food before the harvest season. The United States is one of the world’s leading producers of cherries (250,000 tons in 2005), along with Turkey.

There are about 2,000 varieties of cherries in the world. About 80 varieties were introduced to Japan during the Meiji period (1868-1912), of which the ones most suited to the Japanese climate and taste have been cultivated and improved.Today, Yamagata Prefecture is the leading producer of cherries, accounting for over 78% of Japan’s total production (18,000 tonnes in 2020). Japanese cherries have become the “fruit of happiness” for growers, who have differentiated themselves by their quality and established their brand as a premium fruit in response to the liberalisation of imports of American cherries.

2. Sato Nishiki

The most common type of Eutau grown in the world today is the European Eutau, of which the Sweet cherry is grown in Japan. The other European species, the sour cherry, is not grown in Japan, but is imported for processing into jams and pies. The Chinese sour cherry was introduced to Japan in the Edo period (1603-1868), but it has not spread as a fruit tree and is only planted as an ornamental in Kyushu and Shikoku. In 1874, major varieties were introduced from France and the United States, and saplings were propagated and distributed mainly in Tohoku and Hokkaido, but it took root in Yamagata and Hokkaido, where the climate was cooler and less rainy. Thanks to the efforts of the government’s cultivation experiment stations and private farmers, the cultivation of the Eutau variety got off to a good start around 1890, and in 1922 the “Sato Nishiki” variety, which is still overwhelmingly popular for fresh consumption, was born.

It was named Sato Nishiki in 1928 after Eisuke Sato, a devoted farmer in Higashine City, Yamagata Prefecture, who worked to improve the variety. Since the 1975s, when cherries were mainly eaten fresh, more than 60% of all cherries have been grown as Sato Nishiki, which has a beautiful, bright red skin and a high sugar content. Higashine City, the birthplace of Eisuke Sato, accounts for about 20% of all cherries produced in Japan, and has played a role in the revitalization of the city by naming a station in Higashine that stops on the Yamagata Shinkansen Line “Sakuranbo Higashine” (Cherry Higashine), in reference to the fact that it has the largest cherry harvest in Japan.

3. Project X

In order to improve the gloss and sugar content of the fruit, it is necessary to cultivate cherries in areas where the night temperature is relatively cool during the growing period, and where there is little rainfall, especially during the ripening period, in order to reduce the incidence of disease and fruit splitting. It also requires well-drained, well-ventilated soils and is not suited to cold, frost-prone or windy areas.

The fruit is small, delicate and easily bruised, and harvesting and selecting the fruit is 60-70% of the total labour required. Therefore, in terms of agricultural management, it is necessary to ensure that the cherry harvest period does not overlap with the labour of other crops.

Indeed, Yamagata, the main producer of Sato Nishiki, is a relatively cool region with little frost or typhoon damage, and the harvest season for Sato Nishiki falls in early summer (late June), between the end of rice planting and the start of the harvest season for watermelons and other summer crops. It is easy to see why Yamagata has become by far the main producer of cherries. However, the harvest season for Sato Nishiki is right in the middle of the rainy season, and there is a high chance that the fully ripe fruit will crack before harvest due to rain. In the past, cracking of the fruit caused inconsistent harvests, but with the spread of rain shelters that cover the trees with tents or greenhouses, it is now possible to wait for the fruit to fully ripen without worrying about cracking, and this is also effective in controlling disease and preventing bird damage, making it possible to harvest high quality cherries efficiently. In recent years, cultivation in heated greenhouses has become widespread, with shipments continuing from early April, and a new variety called Benishuho (1991) has been registered for its fertility, longevity on the tree, high sugar content, large size and good appearance.

Over the years, improvements in breeding and cultivation techniques, as well as the development of refrigerated transport technology and high-speed transport networks, meant that the cultivation of Eutau got off the ground and the branding of cherries became widespread, but in 1992 the ban on the importation of American cherries was lifted. However, in 1992 the ban on the importation of American cherries was lifted, and there were great fears that the difference in cultivated area between Japan and the US would make it impossible to compete on price. As a result, the price of Japanese cherries has consistently outstripped that of foreign cherries, while consumption of domestic cherries has continued to increase and the area under cultivation has expanded.

The “Project X” of the cherry growers was to overcome the overwhelming disadvantage of the rainy season, to maintain consumer support for high quality cherries, and to separate themselves from the low-cost foreign cherries.

4. Expanding overseas sales

Japan’s imports of cherries (2020) will amount to 4,262 tonnes (4.8 billion yen), of which 92% (3,931 tonnes) will come from the USA. Exports (2020), on the other hand, are only about 1 tonne (3.93 million yen), and by country/region are as follows: Hong Kong 300kg (1.11 million yen), Singapore 240kg (830,000 yen), Taiwan 230kg (1.09 million yen), Malaysia 191kg (560,000 yen), Thailand 104kg (340,000 yen). Trade statistics from the Ministry of Finance). Exports are mainly made by air, but due to improvements in refrigeration technology, sea freight is also used to Taiwan.

China, which is not listed above, produces 1.13 million tonnes of domestic cherries, mainly Chinese cherries, which are a different species to the European Eutau (sweet and sour cherries) and have smaller fruit. Imports of sweet-fruited Eutau also amount to 190,000 tonnes, 90% of which come from Chile, where there are no tariffs under the Free Trade Agreement (FTA) and where the harvest season does not coincide with the Chinese harvest, but also from the United States, Canada and, in recent years, Turkey, Uzbekistan and Kyrgyzstan. The Chinese apple, known as the “Chinese cherry” and the “white flowered cherry”, has been cultivated throughout China since ancient times and was particularly important as a fruit tree for the court from around the time of the Western Han Dynasty (206-8 BC).

Japanese apple exports (2020) totaled 26,927 tonnes (10.7 billion yen), 68% of which went to Taiwan (18,279 tonnes), Hong Kong (7,068 tonnes) and Thailand (806 tonnes), while Japanese strawberry exports (2020) totaled 1,179 tonnes (2.6 billion yen), 79% of which went to Hong Kong (929 tonnes (929 tonnes), Taiwan (97 tonnes) and Singapore (87 tonnes) (Ministry of Finance trade statistics).

In this way, Japanese cherries, with their high added value, seem to have as much room to expand overseas as apples and strawberries, which are a step ahead. China, in particular, is an extremely attractive market due to the traditional luxury image of cherries among the Chinese and the taste for luxury food among the thickly populated wealthy, as shown by the 150,000 tonnes of cherries imported from Chile in 2017.

On the other hand, the revised Seeds and Seedlings Law came into force on 1 April this year. The main purpose of the law is to stop the outflow of Japanese registered varieties to overseas producers, but there are a number of issues to be addressed, such as its effectiveness and the risk of foreign companies gaining control of the seeds. New varieties of apples and strawberries are considered to be “registered varieties”, but cherries are not, as they are considered to be common varieties (indigenous, never before registered or overdue). The strawberries that the Japanese women’s curling team of the PyeongChang Olympics commented on during their mugging time that “Korean strawberries are delicious” were actually Japanese branded strawberries such as “Tochiotome” that had been brought to Korea without permission, crossbred without permission and sold in Korea under the brand name “Seolhyang”. It became a hot topic.

The risk of seed leaks of Japanese brand cherries is also a concern, but the production of cherries is greatly affected by the climate of the region and requires meticulous cultivation techniques to achieve the highest quality. The hurdle to becoming a copy-cat of Sato Nishiki and other high quality cherries seems to be much higher than for other agricultural products. We hope that Japan’s red jewel, the cherry, will be able to expand its sales overseas.

Summary of this issue

The work involved in the cultivation of cherries begins with the clearing of snow from the branches in January and February, followed by pruning (February and March), artificial pollination (late April and early May), covering with rain tents (late May and early June), harvesting (early June and early July), packing of fruit (at harvest), weeding and pest control (as appropriate), and preparation for wintering (November), including snow protection. The work is carried out throughout the year by the diligent and studious Japanese cherry growers, with their meticulous attention to detail.

By overcoming the weaknesses of the cherries through steady efforts over many years, and through meticulous cultivation management throughout the year, we have been able to produce cherries of the highest quality in the world, such as Sato Nishiki, the “red jewel”, which is well differentiated from cheaper foreign cherries. If we can expand our sales overseas, we will be able to move from a defensive to an offensive position.

The “Project X” cherry cultivation project is a modest but impressive success story that can be applied to corporate survival strategies and risk management. By placing a captive at the heart of a company’s response to risk, a captive programme can help to manage risk and increase the company’s profit opportunities. We recommend the establishment of a captive to support the “proactive” management of your business.

 

Author:Nobuo Sugawara

translator: Shinichiro Hatani