企業戦略 2020.12.05
CS16 「トラ・トラ・トラ!」(我奇襲に成功せり!)
For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.
お互い、平社員の頃からの長年の付き合い、今ではある大手総合商社の役員になった「戦友」から「来ないか」と久しぶりに連絡があった。「オンラインでいいじゃないか」と言ったら、「まあ、久しぶりに積もる話もあるし、マスクをしながらなら、うちの人間も文句は言わないから」と言うので、「しようが無いな」と思いながらも久しぶりに会うことになった。
「彼は和菓子が好きだったな」と、手土産を求めにある有名な和菓店に行った。「幾つかの品」を係の方にお願いして、ふと横を見ると彼の好きそうな「最中」が有った。係の人が、奥に引き込んだため「注文カード」を手に取って、後で渡そうと待っていたら、フロアーの責任者と思しき方が近づいて来て、「お伺いしていますでしょうか」と親切に声を掛けて来られた。
「はい、既にお願いしてあります」と伝えたら、「そうですか、彼女ですね、では、私が伝えますので」とその注文カードを持って行かれ、しばらくすると、先の係の方がお願いした品々を持って出て来てレジの前に立った。カードを出し支払いをして、「さすが老舗は、感じも手際も違うな」と思いながら、彼の会社のビルへ。秘書の方が1階の受付付近で、入館カードを用意して待っていていただいたので、そそくさと彼の部屋へ向かった。
ひとしきりコロナ禍の影響や対応策、またお互いの仕事の話などしながら、「お口に合うか分らないが」と買ってきた袋を出したら、長年の「戦友」は、既に相好を崩していた。「好きな・・」と言いかけて袋の中を見たら、「あれ?!最後に頼んだ最中が無い」。
戦友との面談を終えて下まで送ってくれた彼の姿が見えなくなった時、財布の中のカードの伝票を確認したら、ちゃんとその品の記載があった。帰宅して家内に話すと「え、そんなことあるの?しかも、あの老舗でしょう」と。
リスクマネジメントを生業として長年やってきて、常に「あり得ないことを予測して対応するのがリスクマネジメントです」と言ってきた自分が、「まさか、あの老舗で・・」と思った次第であった。
このように「伝達ミス」そして「確認ミス」が起きることはあるが、それが個人でも会社でもなく、一国と一国の間で、様々な偶然そして憶測が重なって、それらのミスが更に増幅されて起きた出来事がある、今から79年前、1941年(昭和16年)12月8日(ハワイ時間12月7日)の「真珠湾攻撃」である。
1.戦艦長門、航空母艦赤城
父の転勤によって、山口県防府市から福岡県北九州市若松区の対岸、芦屋町に転居した頃、玄界灘に面したその町の浜辺に大きな映画のセットが組まれていた。このセットは、撮影終了後一般にも公開され、小規模なテーマパークのようになり、連日多くの観光客でにぎわっていたのを子供心に憶えている。
ノルマンディー上陸作戦を題材にした「史上最大の作戦」が大ヒットした、米国の映画会社20世紀フォックスが、1941年(昭和16年)12月の大日本帝国海軍による真珠湾攻撃をめぐる両国の動きを題材にして、1970年(昭和45年)に公開した「トラ・トラ・トラ!」(Tora! Tora! Tora!)に登場する「戦艦長門、航空母艦赤城」の実物大セットであった。
この映画は、「戦争映画」として紹介されている。また実際、映画のハイライト・シーンも「真珠湾攻撃のシーン」であるため、誰しも「戦争映画=アクション映画」として理解されている。しかし、この映画の原作は、ラディスラス・ファラゴ(Ladislas Farago)のノンフィクション作品「The Broken Seal」(邦訳:破られた封印)であり、ただ「戦争、戦闘シーン」に焦点をあてたものではなく、日米双方の視点から「真珠湾攻撃が起きるに至った経緯、その背景、そしてそれが後の世代にもたらす教訓を克明に描いた映画」である。
筆者が持っている、「トラ・トラ・トラ!」(ニュー・デジタル・リマスター版:発売元 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン株式会社)のブルーレイの特典映像にも、この映画を「教訓的な歴史的事実」として作成しようとした姿勢が随所に述べられている作品であり、ニューヨーク・タイムズ他の大新聞に「二度と奇襲攻撃にうろたえないように過去の失敗から学ぶための映画です」と広告を出したことでも分るように、映画制作の意図は、「戦争映画」ではなく、「真珠湾攻撃の奇襲を許した真の元凶は、米国陸海軍の官僚主義と伝達ミスであった」ということを人々に歴史的事実のなかで訴えかけるものであり、企業のリスクマネジメントに資する作品である。
父が帝国海軍の士官として乗艦していた戦艦「長門」への思いは深く、父の古い写真アルバムには、空母「赤城」のセットの写真はなく、芦屋町の海岸沿い、松林の向こうに造られた戦艦「長門」の映画セットの写真だけがあった。
My father’s love for the battleship Nagato, on which he had served as an officer in the Imperial Navy, ran so deep that in his old photo album there were no pictures of the set of the aircraft carrier Akagi, only of the film set of the battleship Nagato, built along the coast of Ashiya town, behind a pine forest.
2.真珠湾攻撃の「歴史考証」
衣装、道具、映画セット他が、映画の時代と合致しているか、適当なものであるかを考証することは、一般的に「時代考証」と呼ばれるが、この映画では「時代考証」の域・レベルを遙かに超えた次元の考証、「歴史考証」とでもいうべき「歴史的事実との整合性」が厳しく追及されたものとなっている。
この映画のプロデューサー、エルモ・ウイリアムスは、「とにかく史実に忠実な映画にしたい」と、米国の著名な歴史学者ゴードン・ウィリアム・プランゲ(Gordon William Prange)が真珠湾攻撃を克明に記した著書の映画化権を買い取り、さらに同氏に時代考証を依頼した。同氏は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ:General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)総司令官であったダグラス・マッカーサーより太平洋戦争の戦史を纏める責任者に任じられ、15年間に渡ってGHQ占領下の日本に滞在、真珠湾攻撃の戦隊を率いた淵田中佐、立案者の源田中佐を含む多くの日本人に取材を行った。それらは後に数々の書籍となって出版され、米国内でベストセラーになったものも多い、歴史、とりわけ太平洋戦史に関する専門家である。
映画「史上最大の作戦」では、関係国である英、米、仏、独、それぞれの監督を起用したため、「トラ・トラ・トラ!」でも、同様に米国と日本それぞれの監督を起用することになり、日本側監督として世界的に著名な日本人監督を起用したが制作方針で意見が合わず、後に日本側撮影チームを一旦解散、その後改めて別の監督を起用することになった映画でもある。
この日米両監督の起用の背景は、「ノンフィクション性」を徹底して追求する姿勢が映画制作に強く求められたからである。その理由は、真珠湾攻撃に発艦する航空母艦本体他、複数の軍艦、多数の航空機が映画制作には必要であったが、これらを含めて映画制作に掛かるコストを試算すると、「日本軍が真珠湾攻撃に掛けた以上の費用」を遙かに超える途方も無い費用が想定されたため、日米両政府、特に米陸海空軍の機材の提供を含む支援が必要であった。そうなれば、当然「日本と米国を公平に描くノンフィクション性」が求められ「史実に忠実な内容だけを描くように」と要求されることになるからであり、これに違反すれば、「上映差し止め」になる可能性もあるため、「真珠湾攻撃の出来事については事実を曲げない、史実に忠実な映画にすること」が絶対条件となったのである。
プロデューサーのエルモ・ウイリアムスは、これらの観点から、「太平洋戦争史に関する第一人者であるプランゲ氏に脚本の草稿を渡し、すべてのシーンをチェックして、手直ししてもらいました」とブルーレイ映像の中で語っていた。
日本の航空母艦が登場するシーンの撮影に使われた米海軍空母「ヨークタウン」の写真である。米国の航空母艦の艦橋(ブリッジ)は写真の通り右側(右舷)にあるが、真珠湾攻撃に向かった赤城を始め日本の航空母艦の艦橋は左側(左舷)にある。
This is a photo of the U.S. Navy aircraft carrier USS Yorktown, which was used to film the scene in which the Japanese aircraft carriers appear. As you can see in the photo, the bridge of the U.S. aircraft carrier is on the right side (starboard side), while the bridge of Japanese aircraft carriers, including Akagi, which was heading to attack Pearl Harbor, is on the left side (port side).
3.米軍の不注意と連絡ミス
プランゲ氏は、真珠湾攻撃の奇襲を可能ならしめた原因は、「米陸海軍の『不注意と連絡ミス』の一言に尽きる」と結論づけている。冒頭の和菓子店の例で言うと、「係の人の不注意」と「フロアー責任者の連絡ミス」、そして「筆者の確認ミス」が、「個人のレベル」ではなく「国家のレベル」で、しかも「緊急を要する状況」で起きたのである。
真珠湾攻撃も、何も日本は米国が嫌いで戦いを始めたわけでは無く、鉄や石油を絶たれ、やむを得ない面があったとも言われている。資源の無い四方を海に囲まれた島国に、それらがどれほど重要なものなのか、この経済制裁が日本に与えた影響を知ろうともしなかった米国が、島国における石油の重要性を知っていれば、その後の方向は違った方向に向いたのではないだろうか。それを知っていた上で「鉄と石油の禁輸」をおこなったとすれば、よく言われる「日本を誘き出して叩くため」ということも言えよう。その証拠に見えるようなシーンが映画の中にある、「日本側の暗号の解読シーン」である、「暗号解読器」がものの見事に日本の外務省からワシントンの日本大使館への電信暗号を即座に全て解読していた。日本の外務省とワシントンの日本大使館の間には多くの電文が飛び交っていたが、「必ずワシントン時間で12月7日午後1時に米国側に手渡すように」と記されていた一通の電文が飛び込んできた。無論、米国側には筒抜けであった。
そんな状態にありながら、米国は用心できるはずなのになぜできなかったか、それともしなかったのか。当時ハワイには「レーダー」が6箇所設置されていた。映画にも登場したシーンであるが、オアフ島北端に設置されてあったレーダーを操作していたのは2人の陸軍の若い二等兵であった。当時、真珠湾のレーダーは朝4時から7時までの3時間のみ操作されていて、レーダーの終了時刻の午前7時になり撤収準備していたところ、レーダーには飛行機の大編隊のようなものが映っていたので、彼らはすぐに「陸軍の情報センター」に電話をしたが、担当者は「本土(米国)から海外に配備される予定であるB-17の編隊が、ハワイ、オアフ島に飛来する予定」を知っていたため、その機影と勘違いして、「(本土から来るB17がレーダーに映ったらしい)それは気にするな」という返事をしてしまった陸軍のミスが起きた。
更に、これも映画に登場しているシーンであるが、海軍も同様に「伝達ミス」を犯した。駆逐艦ワード(Word)が、午前7時過ぎ国籍不明の潜水艦を発見し、砲撃によりこれを撃沈した。これは日本軍の特殊潜航艇であった。直後、「未識別の潜水艦」を撃沈した旨を太平洋艦隊司令部へ打電したが、映画のシーンでは、その報告を聞いた海軍上層部は、「見誤りも多いから確認が必要」と伝え、黙殺された。当然、陸軍に連絡することもなかった。
このように、米軍は奇襲を事前に察知する機会を何度も逃しており、もし陸海軍の指揮系統、上層部に「念のため」、「用心」ということが徹底されていたら、日本海軍の奇襲は成功せず、日本軍は緒戦で敗退、その後凄惨な戦場をアジア全域、太平洋全域に拡げることもなかったであろう。
映画「トラ・トラ・トラ!」では、「真珠湾奇襲を防ぐことができなかった米国側の原因」について、ワシントンの政府上層部の責任として描かれている。ハワイの陸軍の司令官、ハワイ海軍の太平洋艦隊司令官が、奇襲攻撃を許した直接の責任者であるが、「大統領をも情報共有から除外したワシントン軍部の隠蔽体質のため、有効な対応をとることができず、奇襲攻撃を許してしまった」と描かれていたのは、この映画が「徹底した事実主義」で作成された映画であるだけに非常に印象的であった。
4.なぜ、真珠湾への奇襲攻撃ができたのか?
「真珠湾と原爆 日米戦争を望んだのは誰か ルーズベルトとスチムソン」(渡辺惣樹著 WAC刊)には、「地元メディアは日本軍来襲を予見していた」と題して、次の記述がある。
1941年11月30日は日曜日であった。真珠湾攻撃の一週間前にあたる。この日、ハワイ島ヒロの新聞『ヒロ・トリビューン・ヘラルド』はその一面で、「日本、来週末にも攻撃の可能性」(JAPAN MAY STRIKE OVER WEEKEND)と報じた。その文字が新聞題字よりも大きいことからも、記事の重大性が分る。
更に、次の記述が続いている。
日本との戦いが翌週末から始まる可能性があるとハッキリ報じていたのは『ヒロ・トリビューン・ヘラルド』だけではない。オアフ島の有力紙『ホノルル・アドバタイザー』も同様の見出しで報じていた。見出しには「来栖大使、『戦いの準備はできている』と語る」とある。要するに、「来週には(具体的な場所までは特定できないにしろ)日本が攻撃してくる」とハワイの複数のメディアは報じていたのである。
その上、ルーズベルト政権は、議会にも国民にも、日本に対して「最後通牒」と思しきハル・ノートを提示したことを隠し、外面的には日米交渉は続いていると説明していたにもかかわらず、同書に掲載されている「ヒロ・トリビューン・ヘラルド」の記事写真には、「日米交渉の失敗で東京は自暴自棄」(Tokyo Desperate As Talks Collapse)という小見出しが付いているのが見える。
では、そもそも、なぜハワイの地元紙がこのような報道ができたのか、同書には、その背景を「歴史学者スチーブン・J・スニエゴスキは次のように考察している」と述べ、以下のように記されている。
「多くの証言の中でもジョセフ・リーブのそれは重要である。リーブは新聞記者であったが、かつてFDR政権(筆者注:フランクリン(F)・D・ルーズベルト(R)大統領政権)で働いていたことがあった。彼はコーデル・ハル国務長官と親しかったようである。1941年11月29日『FDRは、日本が数日のうちに真珠湾を空襲することを知っている』とハルがリーブに漏らしたというのである。FDRは、『そのまま放っておく。そうすればこの国が参戦できる』という考えだった。・・・」
「・・・リーブは、当該文書をユナイテッド・プレス(UP)に持ち込んだ。しかし、同社はそれをニュース配信することを拒んだ。それでも、その内容の一部を同社の外信として配信することができた。これを記事にしたのはハワイの有力紙『ホノルル・アドバタイザー』だけであった。同紙は、1941年11月30日付で『日本、来週末にも攻撃の可能性』と題した記事を一面に掲載した」(注:前文に書いたように『ヒロ・トリビューン・ヘラルド』紙も報じた)
これを裏付けるような映画の描写シーンがある。ハワイの陸軍司令官ショート中将がワシントンの陸軍参謀本部から届いた手紙をスタッフに読ませるシーンである。「日本の出方は不明だがすぐにも戦争突入の危険がある。戦争を避け得ない場合アメリカは日本からの第一撃を望む。ただし、この措置は防衛措置を制限するものではない。貴官はあらかじめ防衛のため必要とみなす措置をとること。その際、市民に恐怖心を起こさせぬよう。陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル」と。
一方ハワイの海軍のシーンではワシントンから同様に「日本はフィリピン、タイ、マレーなどを攻撃の見込み。開戦に備えて警戒せよ」との手紙が届いて開かれた会議の席でハワイの太平洋海軍の司令官が発表した。参加者が「こっちには」と質問したことに対して、「もちろん来るだろう」と司令官が言明していた。
一方、陸海軍の情報部サイドでは、「日本軍はハワイを攻める」と予測、大統領を含めて各所にその危険を示す電文を渡しに廻ったが「こんな不完全なもので就寝中の面々を起こすことはできない、最終部の電文が来るまで待て」と握り潰されてしまった。
しかし、真珠湾攻撃も事前に認識していれば多大な損害になることは予見できたはずであり、現実に戦艦が8隻損害を受け、2,400名もの犠牲者、1,400名もの負傷者を出すことを、「第二次世界大戦参戦への理由付け」としてルーズベルト大統領が許容するとは到底考えられない。
しかも、真珠湾攻撃の際には、外務省の暗号電文は解読されていたが、日本の海軍暗号電文はまだ解読をされておらず、かつ日本の機動部隊は、米国に動きを察知されないように、無線封止を徹底実行していた事実がある。
ルーズベルト大統領が、日本からの第一撃を撃たせたいと思ったのはおそらく事実であろうが、映画のなかで登場するハワイの海軍のシーンでのワシントンからの手紙にあった「日本はフィリピン、タイ、マレーなどを攻撃の見込み。開戦に備えて警戒せよ」とあるとおり、その第一撃とは、それらの地域で米軍が小規模な攻撃を受けることであったのではないだろうか。
5.なぜ、「最後通牒」が遅れたのか
「ハル・ノート」に絶望して対米開戦を決意した日本政府は、米国にその意図を気付かれないため、米国ワシントンの日本大使館にも、対米開戦について秘匿していた。現地時間で昭和16年(1941)12月6日の朝、ワシントンの日本大使館へ、「本電文の翻訳には、正規の大使館員以外をあててはならないとの注釈が付いた14部の電文を送るとの予告電文」が入った。その際、野村大使は一言、「専門のタイピストを使わずに間に合うかな」と強い懸念を表明していた。
外務省は、「宣戦布告」にあたる「交渉打ち切り通告」を攻撃開始のハワイ時間7日午前8時、ワシントン時間午後1時にハル国務長官に手渡すよう、ワシントンの大使館に指示したが、前夜から送られてきた全14部の電文はかなりの長文であり、かつ、最後の最重要箇所である第14部と国務長官への手交時刻を伝える指示電報が到着したのは、手交当日の7日午前であった。暗号解読、専門のタイピストを使わずに時間内に作成するには時間が全く無いと考えられる状況であった。
「こういう送達をすれば時間的に逼迫すること」は、日本の外務省でも予測し得たはずなのに、手交当日の朝に暗号解読が必要な、長文の電文、しかも正確性が非常に求められる電文を送った外務省の態度には非常に解せないものを感じる。おそらく長文の電文の作成、暗号検証、検閲等に相当な時間が掛かっていたのであろうが、「ゴールから逆算すること」を日本の外務省が守っていれば、「卑怯な宣戦布告前の不意打ち」ということを長らく言われなくて済んだのではないかと思うのは筆者だけであろうか。「リスクマネジメントの最低限の方程式が守られていなかったこと」を強く感じる。
対米戦が決定したあと、昭和天皇は東條英機首相に開戦手続きをきちんと行なうように伝え、山本五十六連合艦隊司令長官も、対米最後通告が間違いなく真珠湾攻撃前に届く手筈になっているかどうかを、何度も確認していたことが、厳格な「GHQの最高司令官から直々に太平洋戦史を纏めるように依頼された歴史専門家の時代考証を受けた映画」の中でも具に描かれていたのであるから、「騙し討ちの意図がなかったこと」は「歴史的な事実」であると考えられる。
野村大使の抱いた懸念通り、タイプを打ちなれてない日本人の大使館員のスピードは遅く、結果として、野村大使と来栖大使が最後通告をハル長官に手渡したのは、約束の時刻より1時間20分遅れた午後2時20分、真珠湾攻撃からすでに50分が経っていた。これは米国にしてみれば、まさに最悪の状況で騙し討ちをされたことになる。外交交渉の途中に攻撃されたことになったのだ。だが、「第二次大戦への参戦に消極的だったアメリカの世論が大きく変わることを喜んだ」とも言われているルーズベルト大統領は、「私は、議会に対し、1941年12月7日日曜日に、日本によって行なわれた不当かつ卑劣な攻撃以来、合衆国と日本帝国は戦争状態にあることを宣言することを求める」という演説を行なう結果を招いたのである。
この一連の不手際の背景は、過度に情報流失を恐れた日本政府の秘匿主義が、「最重要な身内」であるワシントンの日本大使館を重要な情報から隔絶させ、日本から来る電文への緊張感を持たせなかったことに尽きる。日本大使館には戦争が迫っているという切迫感がなく、映画のシーンでは、「第14部、最終章を暗号解読した後は、暗号解読機、暗号、機密書類を破棄せよ」とあったが、「外務省本省が『最後通牒』と考えて出した第14部の電文のどこを読んでも、宣戦布告に繋がるとは認識できず、単なる交渉打ち切りの通告であって、『開戦』という文字はどこにもなく、大使の召還、外交関係の断絶等を指すもの」としてワシントンの日本大使館では捉えたと言われている。
米陸海軍でも起きた「正確な情報の伝達」がなされなかったことが、日本政府とワシントンの日本大使館の間でも起きていたのである。この正確な情報の伝達がなされず、「自分の思い、思い込み」で状況を見て判断をし、物事を進めていった、これこそが「太平洋戦争を開戦させた最大の原因」である。
上の写真は、真珠湾攻撃の際に撃沈、沈没した「戦艦アリゾナ」及びその乗組員を追悼、慰霊するとともに、真珠湾攻撃自体を記念する施設で、沈没した戦艦アリゾナの真上に建設されている「アリゾナ・メモリアル」である。
ホノルルのダウンタウンのビルから撮影した下の写真では、手前の右側の白い高いビルの遠くに、パールハーバーに面したごく小さく特徴的な白い建物が見える。
The photo above is the “Arizona Memorial” which was built above the battleship Arizona to commemorate the attack on Pearl Harbor as well as remembering and memorialising the Arizona and her crew.
In the photo below, taken from a building in downtown Honolulu, you can see a very small, distinctive white building facing Pearl Harbor in the distance from the tall white building on the right in the foreground.
今回のまとめ
「事実は小説よりも奇なり」である。映画「トラ・トラ・トラ!」の特典映像の中で、リチャード・フライシャー監督は、「正確な事実だけを描写したのですが、あまりにも現実離れをして信じがたい事実もありました。作り話と思われるのではと心配しながら撮影をしていました。」と語っていた。これまで述べてきたとおり、真珠湾攻撃を具に「歴史的事実」として描かれ制作された映画のシーンに登場する米陸海軍の判断、組織間の伝達には、「まさかこれが事実とは」としか思えないような、あまりにも杜撰な情報の分析や伝達、そして判断がなされたことを具に感じる映画であった。
企業に於いても、この状況と似たことを感じることは多い。「レオパレス」は、敷金無料型賃貸マンションの「レオパレス21」事業を開始してから飛躍的に拡大、東証一部上場企業まで上り詰めた。しかし、2019年2月、2018年に発覚した「界壁施工不備物件」に加えて1000棟を超える施工不良が新たに見つかった。施行したアパートの天井裏に隣の部屋との火災隔壁が無く、一旦一つの部屋が火事となった場合、瞬く間にアパート全体に火災が延焼する構造となっていて、施行した賃貸アパートのオーナーにとっては、資産価値が大幅に下落、また多くの入居人その危険性から退去してしまう結果を招いてしまうことになった。
この結果、補修工事などの費用引き当てで、2019年3月期の当期純損失は686億円となり、本年、2020年5月には直営店の約1割にあたる21店舗を閉店。6月には、同年3月期の当期純損失が802億円となり、1000人の希望退職者の募集を発表した。8月、ホテル事業から撤退、1000人を超える希望退職者が8月末で退職、更に追加で直営店26店舗、合計で47店舗の閉鎖を発表する事態にまで至ってしまったのである。その発端と原因は「アパートの天井裏の隔壁を造らなかったこと」がここまで大きな事態を招いてしまったのである。
9月末アメリカの投資ファンドがスポンサーとなり、合計572億円にのぼる資金支援が決まった。普通株で約120億円を調達、新株予約権を付けて300億円の融資を受け、さらに子会社が優先株を発行、150億円を調達する仕組みであった。しかし、問題は資金調達コストの高さである。300億円の新株予約権付き融資の金利は、利息制限法の上限(15%)に近い年率14.5%である。一定の入居率達成で年率10%に軽減されるとはいうものの、市場金利が0%に張りつく時代にあっては、非常に高い金利となっている。
これら、会社の財務状態よりも、更にもっと大きな問題は一旦落ちた「ブランド・イメージ」の回復である、「入居率」に直接結びつき「収入」を左右するものだからである。現時点では、メージ再生の足がかりは、いまだつかめていないようである。
「施工費を安く上げるため」に「隣の部屋との隔壁を省くこと」によって果たしてどれほど施工費が安くなったのであろうか。「安く上げた施工費の総額」とは比較にならないほどの巨額の損失を被ることになったのである。
「ある現場が収益アップを狙って始めたこと」が全国に拡がったのであろうか。しかし、本社が「完成時に現物検査をすれば一目瞭然」であることは、2018年5月29日、テレビ東京の番組『日経スペシャル ガイアの夜明け』が、「違法建築疑惑のスクープ」と題してこれを特集、「界壁の不備」を報道したが、いとも簡単に押し入れから天井裏に上り「火災隔壁の無いこと」をテレビ映像にしていたことからも明確である。
売主として生産者の重要な責任は、顧客に売る「完成品が適法で、また適格に製作、制作されているかを確認すること」である。映画「トラ・トラ・トラ!」で、「ハワイのレーダーに映っていた大編隊の機影」の連絡を受けた「陸軍の情報センター」が、憶測で判断せず「念のため」に確認をしていれば、また、駆逐艦ワード(Word)から「未識別の潜水艦」を撃沈した連絡を受けた「太平洋艦隊司令部」自らが、能動的に「念のため」に確認作業をおこなっていれば、真珠湾の奇襲攻撃の結果は大きく異なり、その後の戦争の行方も大きく違っていたのではないだろうか。
「リスクの正確な確認」とともにそれを判断する責任者の能動的なリスクマネジメント能力が厳しく問われていることを如実に語る映画であり、企業経営にも大きく資するものであった。
コロナ禍という人類の生存に対するリスクの挑戦があるいま、企業にとって必要なことは、リスクマネジメントの「究極の目標」と言われるキャプティブの設立を視野に、本格的なリスクマネジメントをおこない、同様のリスクを具に顕していく作業、企業に内在する、遭遇するリスク、経営に甚大な影響を与えかねないリスクを顕在化させ、その対処方法を策定していくことではないだろうか、それを「トラ・トラ・トラ!」は教えているのではないだろうか。
執筆・翻訳者:羽谷 信一郎
English Translation
Corporate Strategy 16 “Tora! Tora! Tora! “(Surprise attack successful!)
We’ve known each other for years, since we were both rank-and-file employees. Such a “comrade in arms” who is now a director of a major general trading firm contacted me for the first time in a while to ask if I wanted to come. I said, “Why don’t we meet online?” and he said, “Well, we have some stories that haven’t piled up in a long time, and my people won’t complain if you’re wearing a mask. I hadn’t seen him in a long time, though I thought, “I can’t do anything about it.”
I thought, “Well, he liked Japanese sweets.” I went to a famous Japanese confectionery shop to buy a souvenir. I asked the attendant for a few items, and when I looked beside her, I found a Monaka sweet that he liked. As I was waiting for the attendant to hand over its order card to her, a person who seemed to be in charge of the floor came up to me and asked me nicely, “May I help you?”
I told him, “Yes, I’ve already asked for it,” and he took the order card and said, “Well, it’s her, then, I’ll tell her.”After a while, the attendant came out with the items I had asked for and stood in front of the register. I took out my card and paid for the items and went to his office building, thinking, “As expected of an old establishment, the feeling and the handling are different. “A secretary was waiting for me near the reception desk on the first floor with my entrance card ready, so I went quickly to his office.
We spent a moment talking about the effects of the corona disaster and how to deal with it, and also about our work, and when I brought out the bag I had bought, “I don’t know if this will suit your taste,” my longtime “comrade in arms” was grinning widely. I was about to say, “You like…” when I looked inside the bag and saw, “Huh?I don’t have the last one, monaka sweet I asked for.”
When I finished meeting with the comrade in arms and he dropped me off downstairs, I checked the card slip in my wallet and saw that the item was listed. When I got home and told my wife, she said, “Oh, how is that possible? And it’s that long-established confectionery shop, right?”
I’ve been doing risk management for many years for a living, and I’ve always said that risk management is about anticipating and responding to the improbable. I thought to myself, “I didn’t expect that to happen in that old establishment.”
Although miscommunication and confirmation error can occur in this way. It was neither an individual nor a company, but rather a series of coincidences and speculations between one country and another that compounded those mistakes. Seventy-nine years ago, on December 8, 1941 (December 7, 1941 Hawaiian time), the attack on Pearl Harbor took place.
1. Battleship Nagato, aircraft carrier Akagi
When my father was transferred from Hofu City in Yamaguchi Prefecture to Ashiya Town on the opposite shore of Kitakyushu City’s Wakamatsu Ward in Fukuoka Prefecture due to my father’s job relocation, a large movie set was set up on the beach of the town facing the Genkai Sea. This set, which was opened to the public after the filming was completed, became like a small-scale theme park, and I remember in my childhood that it was crowded with tourists every day.
The U.S. movie company 20th Century Fox, whose “The Longest Day” about the Normandy landings was a huge hit, released “Tora! Tora! Tora!” in 1970, based on the movement of the two countries over the attack on Pearl Harbor by the Imperial Japanese Navy in December 1941, which was a life-size set of the “Battleship Nagato, Aircraft Carrier Akagi”.
The film is described as a “war movie”. In fact, the highlight scene of the film is “the scene of the attack on Pearl Harbor”, so everyone understands that “war movie = action movie”. However, the film is based on the non-fiction work “The Broken Seal” by Ladislas Farago, which does not focus only on “war and battle scenes” but also on “the events that led to the attack on Pearl Harbor” from the perspective of both Japan and the United States. It is “a film that paints a clear picture of the process, its background, and the lessons it holds for future generations”.
I have the author’s “Tora-Tora-Tora! (New Digital Remastered Version: Released by 20th Century Fox Home Entertainment Japan) on Blu-ray, this is a film that speaks volumes about the attempt to create a “didactic historical fact” and
As evidenced by the advertisement in the New York Times and other major newspapers, “This movie is about learning from past mistakes so that we don’t get upset about the surprise attack again,” the intention of the film’s production was not to make a “war movie,” but to appeal to people with historical facts that “the real culprit that allowed the surprise attack on Pearl Harbor was the bureaucracy and miscommunication of the U.S. Army and Navy,” and it is a work that contributes to corporate risk management.
2. The Historical Study of the Attack on Pearl Harbor
The investigation of whether or not the costumes, equipment, sets, etc. are appropriate for the period of the film is generally called “historical research,” but this film goes far beyond the level of “historical research,” and is a rigorous investigation of “consistency with historical facts,” which could be called “historical research”.
The film’s producer, Elmo Williams, wanted to “make a film that is faithful to the historical facts,” so he bought the film rights to a book by the famous American historian Gordon William Prange, which describes the attack on Pearl Harbor, and asked him to take a historical perspective. The Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ), Douglas MacArthur, put him in charge of organizing the history of the war in the Pacific, and
during his 15-year stay in GHQ-occupied Japan, he interviewed many Japanese, including Lieutenant Colonel Fuchida, who led the squadron that attacked Pearl Harbor, and Lieutenant Colonel Genda, the planner. He is an expert on history, especially the history of the Pacific War History, and many of his books were later published and became bestsellers in the United States.
The film “The Longest Day” had directors from each of the countries involved, the U.K., the U.S., France, and Germany, and it was decided to use directors from both the U.S. and Japan for “Tora! Tora! Tora!” as well. A world-renowned Japanese director was hired as the Japanese director, but due to a disagreement over production policy, the Japanese film team was disbanded and a different director was later hired.
The reason for the appointment of these two directors was that there was a strong demand for film production that pursued a thoroughly “non-fictional” approach to filmmaking. In addition to the aircraft carrier that was to be used in the attack on Pearl Harbor, a number of warships and aircraft were needed to make the film, but when these were included in the cost of the film, it was estimated that the cost of the film would far exceed “the cost of the attack on Pearl Harbor by the Japanese military,” so support, including the provision of equipment, was needed from both the Japanese and U.S. governments, especially the U.S. Army, Navy, and Air Force.
If this was to happen, the film would be required to “fairly portray Japan and the United States in a non-fictional manner” and to “depict only the truthfulness of the historical facts,” and if this was violated, there was a possibility that the film would be prohibited from being shown. It became an absolute requirement that the film be “true to the historical facts and unbending in terms of the events of Pearl Harbor.
With these perspectives in mind, producer Elmo Williams said in the Blu-ray footage, “We gave a draft of the script to Mr. Plunge, a leading expert on Pacific War history, and had every scene checked and reworked”.
3. Carelessness and miscommunication by the U.S. military
Mr. Plunge concludes that the cause of the surprise attack on Pearl Harbor could be summed up in one word: “the ‘carelessness and miscommunication’ of the U.S. Army and Navy.” To use the example of the Japanese confectionery store described above, “the carelessness of the staff”, “the miscommunication of the person in charge of the floor”, and “the confirmation error of the author” occurred not at the individual level, but at the national level, and in an urgent situation.
It is said that Japan did not start the attack on Pearl Harbor because it did not like the United States, but because it was cut off from iron and oil. Had the United States known the importance of oil to the island nation, which had no natural resources and was surrounded on all sides by the sea, it might have taken a different turn if it had known how important these economic sanctions were to Japan. If the U.S. embargo on iron and oil was carried out knowing this, it could be said that it was done in order to “lure Japan out to strike” as is often said.There is a scene in the film that seems to be proof of this, the “deciphering of the Japanese code” scene, where the “code-breaker” brilliantly deciphered all the telegraphic codes from the Japanese Foreign Ministry to the Japanese Embassy in Washington. Among the many telegrams exchanged between the Japanese Ministry of Foreign Affairs and the Japanese Embassy in Washington, D.C., there was one that read, “Be sure to deliver it to the U.S. side at 1 p.m. Washington time on December 7. Of course, the U.S. side was in on it.
Why did the U.S. fail to take precautions when they could have done so, or why didn’t they? At the time, there were six radar systems installed in Hawaii. In a scene featured in the movie, the radar on the north end of Oahu was operated by two young army privates.At the time, the radar at Pearl Harbor was only operated for three hours from 4:00 a.m. to 7:00 a.m. When the radar ended at 7:00 a.m. and they were preparing to pull out, they saw what looked like a large formation of planes on the radar, so they immediately called the “Army Information Center,” but
Since those in charge knew that “a formation of B-17s, which were scheduled to be deployed overseas from the mainland (U.S.), were scheduled to fly to Hawaii and Oahu,” the Army made the mistake of mistakenly assuming it was the aircraft’s shadow and replying, “Don’t worry about it (apparently a B-17 coming from the mainland appeared on radar).
Furthermore, in a scene that also appears in the film, the Navy made a “miscommunication” as well. Shortly after 7am, the destroyer Word discovered a submarine of unknown nationality and sank it by gunfire. It was a Japanese special submarine.Shortly afterwards, the destroyer Ward typed to Pacific Fleet Command that the “unidentified submarine” had been sunk, but in the movie scene, when the Navy brass heard the report, they were silenced, telling them that there were many errors of observation that needed to be confirmed. Naturally, they never contacted the Army.
Thus, the U.S. military missed many opportunities to detect a surprise attack in advance, and if the command structure of the Army and Navy and the higher-ups had been thoroughly enforced to be “just in case” and “cautious,” the Japanese Navy would not have succeeded in the surprise attack, and the Japanese military was defeated in the early stages of the war, and the horrific battlefield would not have been expanded to the whole of Asia and the Pacific afterwards.
The movie “Tora! Tora! Tora!” describes the “failure on the part of the United States to prevent the surprise attack on Pearl Harbor” as the fault of the upper echelons of government in Washington. The commander of the Army in Hawaii and the commander of the Navy’s Pacific Fleet in Hawaii were directly responsible for allowing the surprise attack, but were portrayed as having been unable to take an effective response due to “the cloak-and-dagger nature of Washington’s military establishment, which also excluded the President from sharing information, allowing the surprise attack to happen.” This was very striking because the film was made with “thorough factualism”.
4. How was the surprise attack on Pearl Harbor possible?
In the book “Pearl Harbor and the Atomic Bomb: Who Wanted War on America and Japan Roosevelt and Stimson”(written by Soki Watanabe, published by WAC), there is an entry entitled “Local Media Foresaw the Japanese Invasion” that reads as follows.
November 30, 1941, was a Sunday. It was a week before the attack on Pearl Harbor. On that day, ”the Hilo Tribune Herald”, a newspaper in Hilo, Hawaii, reported on its front page, “Japan May Strike Over Weekend”. The fact that the words were larger than the newspaper’s title shows the importance of the article.
It is further followed by the following statement.
The Hilo Tribune Herald was not the only newspaper to clearly report that the war with Japan might begin the following weekend. The Honolulu Advertiser, a leading newspaper on the island of Oahu, had a similar headline. The headline read, “Ambassador Kurusu says we’re ‘ready for a fight'”. In short, the media in Hawaii were reporting that “Japan will attack next week (although the specific location could not be specified).”
On top of that, even though the Roosevelt administration concealed from Congress and the public that it had presented the Hull Note to Japan in what appeared to be an “ultimatum” and outwardly explained that the U.S.-Japan negotiations were continuing, a photo of the Hilo Tribune Herald article in the same book appears with the sub-headline, “Tokyo Desperate As Talks Collapse” .
So how was it possible for Hawaii’s local newspapers to report on this in the first place, the book states, “Historian Steven J. Sniegoski examines the background of the story as follows,” and notes as follows.
‘Among the many accounts, that of Joseph Reeve is significant. Reeve was a newspaper reporter, but he had once worked in the FDR administration (author’s note: the administration of President Franklin (F) D. Roosevelt (R)). He was apparently close to Secretary of State Cordell Hull, and on November 29, 1941, Hull allegedly told Reeve that ‘FDR knows that the Japanese are going to bomb Pearl Harbor in a few days’. The idea was, ‘That way, this country can enter the war. …
“…Reeve took the said document to United Press (UP). However, the company refused to distribute it as a news item. Nevertheless, it was able to distribute some of its contents as the company’s foreign correspondence. The Honolulu Advertiser, a leading Hawaiian newspaper, was the only one to report on it. The paper ran a front-page article on November 30, 1941, entitled ‘Japan may attack next weekend’.” (Note: As I wrote in the preamble, the Hilo Tribune Herald also reported the story.)
There is a descriptive scene in the film that confirms this. In one scene, Lieutenant General Short, the army commander in Hawaii, has his staff read a letter he received from the Army General Staff in Washington. The letter reads: “We do not know how Japan will do, but it’s in danger of going to war soon. If war cannot be avoided, the United States would prefer the first strike from Japan. However, this measure does not limit defensive measures. You must take such measures as you deem necessary for the defense in advance.In doing so, you will not provoke fear in the citizens of the United States. George C. Marshall, Chief of Staff of the Army.”
Meanwhile, on the Hawaiian naval scene, a similar message was sent from Washington: “Japan is expected to attack the Philippines, Thailand, Malaya, and other places. Be alert for the start of the war,” the commander of the Pacific Navy in Hawaii announced at a meeting held after receiving a letter from Washington. In response to a participant’s question, “Over here,” the commander declared, “Of course they will come.”
On the other hand, the Army and Navy intelligence staff predicted that the Japanese would attack Hawaii and sent telegrams to various locations, including the president, to warn them of the danger, but they were crushed, saying, “We can’t wake up the top brass in their sleep with such an incomplete telegram.Wait for the last part of the telegram.”
However, the attack on Pearl Harbor could have been foreseen in advance, and if the attackers had been aware of it, they would have been able to foresee the tremendous damage that would be caused, and It is very hard to believe that President Roosevelt would allow eight damaged battleships, 2,400 casualties, and 1,400 wounded to be used as a “rationale for entering World War II” in reality.
Furthermore, although the Ministry of Foreign Affairs’ coded telegrams had been deciphered at the time of the attack on Pearl Harbor, the Japanese navy’s coded telegrams had not yet been deciphered, and a thorough radio blockade had been implemented to prevent the Japanese task force and the U.S. from detecting the attack.
It is probably true that President Roosevelt wanted the first shot from Japan, but as the letter from Washington in the Hawaiian naval scene in the film says, “Japan is expected to attack the Philippines, Thailand, Malaya and other areas. Prepare for the start of the war,” and the first blow would have been a small-scale attack in those areas.
5. Why was the “ultimatum” delayed?
The Japanese government, in despair over the Hull Note, decided to start the war against the United States, and in order to keep the U.S. from realizing its intentions, it kept this information secret from the Japanese Embassy in Washington, D.C., as well. On the morning of December 6, 1941 (local time), the Japanese Embassy in Washington received “a telegram advising that 14 copies of this telegram will be sent with the annotation that no one other than authorized embassy personnel should be assigned to the translation and typing of the telegram. At the time, Ambassador Nomura expressed strong concerns about whether it would be possible to get the message out in time without the use of professional typists.
The Ministry of Foreign Affairs instructed the embassy in Washington to deliver the “notice of termination of negotiations,” a “declaration of war,” to Secretary of State Hull at 8:00 a.m. Hawaii time on the 7th, at 1:00 p.m. Washington time, when the attack began. and the telegram to the Secretary of State giving the time of the handover arrived on the morning of the 7th, the day of the handover. The situation was such that there was no time at all to produce it in time without the use of cryptanalysis and professional typists.
The Japanese Ministry of Foreign Affairs could have foreseen the time crunch that would result from this kind of delivery, but I find the attitude of the Ministry of Foreign Affairs in sending a lengthy telegram requiring deciphering of a cipher, as well as an extremely accurate telegram, on the morning of the day of the exchange of hands to be extremely difficult to understand. It probably took a considerable amount of time to prepare the long telegram, verify the code, and censor it, but if the Japanese Ministry of Foreign Affairs had adhered to the principle of “working backwards from the goal,” it might not have been called a “cowardly surprise attack before declaring war” for a long time, is this author alone? I feel strongly that “the minimum risk management equation was not followed.
After the decision to go to war with the United States was made, Showa Emperor informed Prime Minister Hideki Tojo of the proper procedures for starting the war, and Admiral Isoroku Yamamoto, commander of the Allied Fleet, repeatedly confirmed that the ultimatum to the United States was definitely in place before the attack on Pearl Harbor, which is a “historical fact” that “there was no intent to deceive” because it was depicted in “a film based on the historical research of a historian personally commissioned by the Supreme Commander of GHQ to compile a history of the Pacific war”.
As far as Ambassador Nomura was concerned, the Japanese embassy staff, who are not accustomed to typing, were slow and, as a result, Ambassadors Nomura and Kurusu handed the “ultimatum” to Secretary Hull at 2:20 p.m., one hour and 20 minutes later than promised, and 50 minutes had already passed since the attack on Pearl Harbor. This meant that the U.S. had been cheated out of the very worst of circumstances. They were attacked in the middle of diplomatic negotiations. But President Roosevelt, who is said to have “rejoiced in the profound change in American public opinion in regard to the reluctance of the United States to enter the Second World War,” and this has resulted in his speech, “I declare to Congress that since the unjust and despicable attack made by Japan on Sunday, December 7, 1941, the United States and the Empire of Japan have been in a state of war.”
The reason for this series of blunders is that the Japanese government’s excessive fear of disinformation kept the Japanese embassy in Washington, its “most important family member,” isolated from important information and kept it from the tension of the telegrams coming from Japan.There was no sense of urgency at the Japanese embassy that war was imminent, and a scene in the film read, “After deciphering Part 14, the final chapter, destroy the code-breaker, codes and classified documents,” but “no part of the Part 14 telegram, which the Ministry of Foreign Affairs thought was an ‘ultimatum,’ could be perceived as leading to a declaration of war. It is said that the Japanese Embassy in Washington took it as “a mere notice of the end of negotiations, with no mention of the word ‘start of the war,’ but rather a summons of the ambassador and a break in diplomatic relations.”
The same failure to convey accurate information that occurred in the U.S. Army and Navy also occurred between the Japanese government and the Japanese Embassy in Washington. This failure to convey accurate information and the decision-making process based on “one’s own thoughts and assumptions” is the “primary cause of the start of the Pacific War”.
Summary of this issue
“Facts are stranger than fiction”. The movie “Tora! Tora! Tora!” in the bonus footage, director Richard Fleischer says, “We only portrayed the exact facts, but some of the facts were so far removed from reality that they were hard to believe. I was worried that people would think I was making it up, and that’s what I was filming.” As I have mentioned above, the film shows that the decisions made by the U.S. Army and Navy in the scenes depicting the attack on Pearl Harbor as a “historical fact” and the communication between organizations was so sloppy that one could only think, “How could this be true? “
This situation is similar to that of many companies. ”Leopalace” has expanded dramatically since it launched its “Leopalace 21” business, a deposit-free rental condominium, and has risen to become a listed company on the first section of the Tokyo Stock Exchange.This situation is similar to that of many companies. Leopalace has expanded dramatically since it launched its “Leopalace 21” business, a deposit-free rental condominium, and has risen to become a listed company on the first section of the Tokyo Stock Exchange. However, in February 2019, more than 1,000 new construction defects were found in addition to the “boundary wall construction deficiencies” uncovered in 2018. The ceiling of the apartments that have been installed have no fire separation wall between adjacent rooms, and once a fire breaks out in one apartment, the structure is designed to allow the fire to spread to the entire apartment in an instant, resulting in a significant drop in property value for the owners of the rental apartments that have been installed, and many tenants moving out due to the risk.
As a result, the company posted a net loss of 68.6 billion yen in the fiscal year ended March 2019, due to the provision for repair work and other expenses, and this year, it closed 21directly operated stores, about 10% of all directly operated stores, in May 2020.
In June, the company announced a net loss of 80.2 billion yen for FY03/2019 and called for 1,000 voluntary retirements; in August, it withdrew from the hotel business and announced that more than 1,000 voluntary retirees would leave at the end of August, closing an additional 26 directly managed stores for a total of 47 stores. The reason for this is that the company did not build a partition wall in the ceiling of the apartment building, which led to a huge situation.
At the end of September, an American investment fund sponsored a total of 57.2 billion yen in financial support. The plan was to raise 12 billion yen in common stock, 30 billion yen in loans with stock acquisition rights, and 15 billion yen in preferred stock issued by the subsidiary. The interest rate on the 30 billion yen loan with warrants is 14.5% per annum, which is close to the upper limit of the Interest Rate Restriction Act (15%). Although the interest rate will be reduced to 10% per annum if a certain occupancy rate is achieved, it is still very high in an era when market interest rates are sticking to 0%.
An even bigger issue than the company’s financial condition is the recovery of its brand image, which is directly linked to occupancy rates and income. At the moment, the company has yet to find a foothold in the market.
I wonder how much the cost of construction was reduced by eliminating the walls between the adjoining rooms in order to reduce the cost of construction.It was a huge loss in comparison to the “total cost of construction that could have been reduced.”
What one site started as a way to increase its profits may have spread to the rest of Japan.However, that the head office “would have been obvious if it had been inspected in kind upon completion,” as the TV Tokyo program “Nikkei Special Gaia’s Dawn of Gaia” featured this on May 29, 2018, under the title “The Scoop on Illegal Construction Allegations,” reporting on the “inadequacy of the boundary wall”. It is clear from the TV footage of the “lack of a fire barrier” that it was easy to climb from the closet to the ceiling.
As a seller, the producer’s key responsibility is to “ensure that the finished product” he sells to his customers “is legitimate and has been produced and produced in a qualified manner”.
If the “Army Information Center” as described in the movie “Tora! Tora! Tora! “that was contacted by “the large formation of planes on the Hawaiian radar” had confirmed it “just in case” instead of speculating, and if the “Pacific Fleet Command” itself, which was contacted by the destroyer Word (Word) to sink an “unidentified submarine”, had been proactive in “just in case” If this had been done, the outcome of the surprise attack at Pearl Harbor would have been very different, and the subsequent war would have been very different.
This film is a true testament to the fact that the active risk management skills of those responsible for making such judgments as well as the accurate identification of risks are being severely challenged and it was also a significant contribution to corporate management.
At a time when the corona scourge is a risk to the survival of humanity, it is necessary for companies to engage in full-scale risk management with a view to establishing captives, which is said to be the “ultimate goal” of risk management, and to work to identify similar risks, the risks inherent in companies and the risks they encounter, and the risks that they may face. I believe that we need to identify risks that could have a huge impact on management and formulate ways to deal with them, and that’s what we call “Tora! Tora! Tora!” may be teaching.
Author/translator: Shinichiro Hatani