設立・運営 2021.10.22
EM3 キャプティブの設立 No.3(ロンドンマーケット)
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For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.
リスクマネジメントを目的とした、「的確かつ適正なキャプティブ・プログラム=ソリューション・キャプティブ®」の構築は、①元受保険会社が提供可能な補償額及び補償範囲を遙かに超える、「企業がリスクヘッジ上要望する補償額及び補償範囲を提供できる」、②事故の際、再保険金の支払いにまったく問題を生じない、「比類無き信用力を有する」、そういう世界的規模の再保険会社を探すところから始まる。
これが、プログラム構築の第一歩であり、最重要なポイントでもある。この一点を逃すと、「キャプティブ・プログラム”らしき”もの」は構築できるが、事故が起きた場合、不測の事態を招く恐れがあるからである。
第二次世界大戦後、世界経済の中心は「一つの例外」を除きすべてが英国を中心とするヨーロッパから米国に移り、米国を中心にして世界の経済活動が行われていると言っても過言ではないが、この「一つの例外」とは損害保険分野のことである。
「想定外の損害が起きることは殆ど考えられない」と言ってよい生命保険分野と異なり、損害保険分野では、損害保険会社の存亡に関わるような巨大リスクを引き受けることも多く、「再保険の手配」はその企業戦略の最重要課題となっているが、この再保険手配の地は、米国ではなく、ロイズ(Lloyd’s of London)を中心とした英国、ロンドンの金融街、シティの地である。世界中の保険会社、また顧客と保険会社との保険・再保険取引の仲介を行なう保険仲立人(ブローカー)が、数多くの事務所、事業所を開設している。
日夜、保険取引や再保険取引を行っている、このロンドンが世界の再保険の中心地であり、「損害保険の再保険手配」を指して「ロンドンマーケット」と呼ばれている。
この世界の再保険の中心、ロンドンマーケットで調査、交渉して、「補償の確保=再々保険提供の表明を得ること」がまず第一歩となる。その上で、この「補償(=再保険)の確保」をもとに「元受保険会社」と「自社のリスクヘッジ上の要望(=保険付保希望)」に関して、「どのようなキャプティブ・プログラムが構築できるかを検討していく」ことになる。
「ソリューション・キャプティブ®・プログラム」では、このように「保険引受けの流れ=ベクトル」は、一般の保険引受けとは全く逆の方向を向いているのである。野菜・果物等の「産地直送」と同じく、ソリューション・キャプティブ®・プログラムとは、世界の損害保険の本場であり最大の取引地ロンドンから「最新、最先端の保険を産地直送することができる、適正、的確、合法的な手段」と言えるのである。
1.再保険「セキュリティ」とは
再保険の分野で頻繁に登場する言葉に「セキュリティ」がある。セキュリティとは、一般的には、安全保障や防犯を意味するが、金融の世界では、「出資を募る団体を損害から保護する」という意味から派生して、証券のことをセキュリティと呼び、またそのために「担保を意味する言葉」として使われている。
損害保険会社は、保険事故が起き保険契約者に保険金を支払った場合、再保険からの回収、つまり再保険金の精算は「3ヶ月に1回」の頻度でおこなわれることが一般的であり、この再保険精算の時に「再保険金」の支払義務者である再保険会社から回収されるのである。再保険の精算は「即時払い」ではなく「3ヶ月という猶予期間を置く」ため、再保険会社の選択に関しては、何よりも「信用のおける安定した存在であること」を求める。どんな損害保険会社でも、年に1回契約をおこなう「再保険契約」があってこそ損害保険会社は、その後1年間問題なく引受をおこなうことができる。そのためには、それが必須条件だからである。したがって、「再保険会社は、然るべき格付け、通常『A格』をMoody’s、S&P等から得ていることが再保険契約成立の大前提となる」のが一般的である。
しかし、「キャプティブ」は、企業が設立する「自社リスク引受専用の小さな損害保険会社」であり、「格付け取得の要件を満たすことはできない」のが普通である。この「格付け」の代わりとなる存在が、「キャプティブから、優良格付けを有する再保険会社と的確に再々保険契約が締結され、リスクヘッジが十分保証されているという証し」、つまり「再々保険契約」となるのである。これが、日本で保険を引受ける元受保険会社がキャプティブに対して「再保険」を掛ける(再保険を出す)際の「セキュリティ」と呼ばれるものになるのである。
グローバル・リンクがキャプティブ事業を開始するまでは、一部の有名大手企業を除いて「キャプティブ設立」を検討していた企業の多くは、「キャプティブ=リスクマネジメント」ではなく、「キャプティブ=貯金箱」と考える企業であったといわれている。「キャプティブのリスクマネジメント=キャプティブからの再保険手配」であるにも関わらず、「世界の再保険市場」を知悉した「キャプティブの設立を勧奨するプレーヤー(キャプティブ・コンサルティング会社)」がほとんど存在しなかったからである。
ホームページの「沿革」に、またこれまでのコラムにも記してきたとおり、グローバル・リンクは事業開始とともに、川田剛先生(元仙台国税局長、元明治大学大学院教授、税理士)に顧問を委嘱、「適正であり、適格、的確な事業推進」をご指導いただくこととした。続いて、「タックスヘイブンの泰斗」であった志賀櫻先生(元大蔵省東京税関長、弁護士)にも顧問として参加していただき、「適正、適格、的確なキャプティブ(ソリューション・キャプティブ®)の設立、運営」をおこなってきた。これら顧問の先生方との定期的な打ち合わせのなかで常に確認されてきたものが、「キャプティブからの再保険が、適格にまた的確にロンドンマーケットの世界最大級の再保険会社になされているか」ということであった。
大手総合商社丸紅グループの「再保険ブローカー」マルニックスと2018年7月業務提携を交わしてからも、このような点から、グローバル・リンクでは、キャプティブからの再保険(元受保険会社から見れば再々保険)の契約先、ロンドンマーケットの再保険会社のアンダーライター(保険引受権限を有する専門家)と強い信頼関係を築き続ける努力をおこなってきた。昨年来の「コロナ禍」のなかでは、出張も叶わないため、頻繁に「オンライン会議」をおこない相互確認の努力をしてきた。
専門性が求められる保険のアンダーライターの職務を筆者は長年務めてきた経験から、「アンダーライターにとっては、何が必要なのか、どういう情報があればより良い条件、保険料を出しやすいのか」という視点に立って業務をおこなっているからである。
2.元受保険会社を介する効用
保険会社の重要な業務は「保険を引受けること」であるが、事故が発生した場合「的確に保険金を支払うこと」は更に重要な業務である。保険は「事故の際に的確な保険金を支払う」という重要な機能を果たしてこそ、その効用が認識されるからである。しかし、一方この「損害査定には大きなコストが必要」となる。
一般の損害保険会社にとって、この損害査定に関わる費用、特に人件費は、経営上大きな負担となっているのが実情である。以前記したが、1996年4月、改定保険業法が施行され,8月には、大手生命保険会社6社がそれぞれ損害保険(損保)子会社を設立、生命保険会社全社で50万人規模であった自前の強力な保険販売網「営業職員」(生保レディ)を活用して損保市場になだれ込み、「自動車保険」を「金城湯池」と予測して自動車保険販売に資本を集中投下して事業を開始した。
しかし、それから四半世紀が経った2021年10月現在「損保子会社」として存在しているのは、ただ一社、筆者が長年経営コンサルタントを委嘱されていた明治安田損害保険のみである。
キャプティブ・プログラムを介しても、保険契約者から保険を引受ける存在は「元受保険会社」であり、「事故が起きた場合の保険金の支払い責任は、当然元受保険会社に有る」、つまり「損害査定の責任と義務も元受保険会社に有る」のである。このことは、「保険金支払いの分野=損害査定(損害サービス)」を元受保険会社に委ねるということであり、損害査定に関わる費用をキャプティブが負担することなく、キャプティブの費用を大幅に減らすことができるということでもある。だからこそ、全世界で7000社以上のキャプティブが存在して、毎年多くの新規キャプティブが設立されているのである。
今回のまとめ
「キャプティブとともに成長すること」を選ぶ損害保険会社か、それとも「顧客主義」と言いながら「顧客のキャプティブ設立の要望」に応えない損害保険会社か、お付き合いの深い損害保険会社がこのいずれかによって、元受保険会社の選択肢は大きく異なることになる。
旧態依然とした考えの損害保険会社が、いくら「キャプティブの良さ、効用」を隠蔽しようとしても、キャプティブの効用はいずれ近いうちに明らかになるであろう。今般のコロナ禍、米国の企業を中心として「キャプティブ設立へ大きなドライブが掛かっているから」である。
疑問に思っていることがある。これほど「世界が現在大きく注目しているキャプティブ」のことが、なぜか日本では、ほとんど報道されず、報道されるときは「タックスヘイブン=脱税行為」のような扱いで「節税手段の一つのような存在」として報道される背景と理由はどこにあるのだろうか。
昨年2020年10月17日本コラムに投稿した「RM 48 NHK「エール」の歴史的背景」に以下の文章を記した。
NHKスペシャル取材班 (編著)の手になる「日本人はなぜ戦争へと向かったのか: メディアと民衆・指導者編」(新潮文庫刊)から、この「当時の新聞界に実在した短見な事情」を垣間見ることができる。同書の中に「当時の新聞界に実在した短見な事情」と考えられるような次の一文がある。
これまで、いわゆるメディアに対する印象は、軍当局による言論への弾圧や統制によって自由を奪われた被害者という側面だけで語られることが多かった。
しかし、当時の大手新聞三社(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞)の発行部数合計の推移を見ると、1931年までは四百万部程度だった数値が、満州事変以降急激に増加している。1937年の日中戦争勃発時には七百万部に迫り、太平洋戦争開戦の年には八百万部を大きく上回った。そこから先も、新聞の発行部数は大幅に伸びている。
秋田県横手市に住む元朝日新聞記者の武野武治(むのたけじ)がその理由について説明する。
「どの新聞も、戦争になると発行部数が増えるんですよ。息子や夫がみんな戦場に行くものですから、戦争がどうなっているのか知ろうと、新しい読者が増えるのです。だから、戦争になれば、新聞にとっては経営面でマイナスじゃないんです」
満州事変をきっかけに新聞記者を志し、終戦の日に報道の責任を感じて辞表を出したという武野は、取材時点(2011年)で九六歳となっていた。古びた当時の写真を眺めながら、新聞が民衆を煽った面を否定できないと武野はいう。
「勝った、勝ったといって、実際にそういう紙面を作ったんだから。そして、それに乗って民衆は勝った、勝ったと思ったんじゃないですか。そして、何か将来もっといいことになるだろうと思ったんです」
武野の言葉は、メディアが日本人を戦争に駆り立てた大きな要因の一つだといわれる理由を端的に示している」
世界恐慌で減らした部数を伸ばしていくため軍部の主張に合わせていく新聞は、このように満州事変以降、現地情報を報じ大きく部数を伸ばした。また、国民は、軍や政治家が戦意高揚のために利用したラジオに影響されナショナリズムに熱狂していく、そして、それが返って自縄自縛となり国民の支持を得るために、今度は自らの言動が縛られていく政府、軍の指導者たち。この三者の関係が政策判断に大きな影響を与えたと考えられている。
このところのコロナ禍に於いても、「専門家」とされる大学の教授達がテレビに出てきて、ある人は「8月下旬くらいには東京で、感染者数が毎日1万人、2万人くらいにはなる、その後は数万人規模に」と言っていた。
しかし、本稿を執筆している10月21日夕刻、「東京都は、新型コロナウイルスの新規感染者が36人確認された」と発表。「5日連続で50人以下、13日連続で100人以下となった。前週木曜日の14日は62人で、26人減った」という状況である。全国の新規感染者も、10月18日:232人、10月19日:372人、10月20日:391人、10月21日:345人である。
TV番組に出演していた、ある専門医は「予想を上回る減少で、ありがたい。きょうも熱がある方が外来に来られたが、検査したら全員陰性。むしろ今は、感染している人を見つける方が難しい」と現場の医療従事者の実感として話していた。
マスコミが引っ張り出してくる「専門家」と言われる人達は、「言いぱなし」で後で訂正もなければ謝罪もない。同様にそれを報道したマスコミも全く同じである。この間違った予測と間違った報道の結果、どれほどの企業、人々が影響を受けているのか知ろうともしない、また検証もしない、当然これらのことには「目をつぶって、まったく報道もしない」のがマスコミの大半である。
「これでいいのだろうか」と多くの人が声を出し始めている。全国紙と言われる新聞の部数減に歯止めが掛からない、テレビ離れも大きく言われている、その理由の一つをこの事象に垣間見る思いである。
一方、地方紙には新しい取り組みを積極的におこない、「未来を指向するマスコミ」として全国の地方紙が注目する静岡新聞社のような新聞社が存在する。「『売らんかな』のマスコミ」と「性根の座った本当のマスコミ」との差が大きく開いていく時代になったと言える。
「マスコミの報道」にはそういうバイアスが掛かっている可能性があるという認識のもと、自らの「正視眼」で報道の本質を捉えていく、「リスクマネジメントの必要性」が大きく注目される時代になったということではないだろうか。
執筆・翻訳者:羽谷 信一郎
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English Translation
EM(Establishment・Management) 3 – Establishment of Captives No.3 (London Market)
The creation of a proper and appropriate captive program for risk management purposes (the “Solution Captive®”) begins with the search for a global reinsurance company that (1) is “capable of underwriting the amount and scope of coverage requested by the company for risk hedging purposes,” far beyond the amount and scope of coverage available to the primary insurer; and and (2) “have unparalleled creditworthiness”, which would not pose any problem in the event of an accident.
This is how the captive was set up, and how the reinsurance business was developed. This is the first and also most important step in establishing a captive and building a captive programme, because if you miss this point, you can build a “captive like programme”, but you will have unforeseen consequences in the event of an accident.
It is no exaggeration to say that after the Second World War, the centre of the world economy has shifted from Europe, with the UK at the centre, to the US, with all the world’s economic activity centred on the US, with “one exception”: the non-life insurance sector.
Unlike the life insurance sector, where “unexpected losses” are almost unthinkable, the non-life insurance sector often takes on huge risks that can threaten the very existence of the non-life insurer, and “reinsurance arrangements” are a top priority in its corporate strategy. Lloyd’s of London, the financial centre of the City of London in the UK, is the place to be. Insurance brokers, who act as intermediaries between insurance companies and their clients and insurers, have established numerous offices and businesses around the world and are engaged in insurance and reinsurance transactions day and night. London is the world’s reinsurance capital.
The first step is to investigate and negotiate in the London market, the world’s reinsurance capital, to obtain a declaration of indemnity (i.e., retrocession), and then, based on this assurance of indemnity (i.e., retrocession), to discuss with the primary insurer the possibility of establishing a captive programme to meet the company’s risk hedging requirements (i.e., insurance requirements).
“In a Solution Captive® programme, the vector of insurance underwriting is completely opposite to that of general insurance underwriting. Like the “direct delivery” of fruits and vegetables, the Solution Captive® programme is “the legitimate, appropriate and proper means by which the latest, most advanced insurance can be shipped directly from London, the home and largest trading centre of general insurance in the world”.
1. What is reinsurance “security”?
A word that appears frequently in the reinsurance sector is “security”. Security generally means security or crime prevention, but in the financial world it is used to refer to securities as a security, derived from the meaning of “protecting an entity that invites investment from damage”, and for this reason is also used as a term meaning “collateral”.
When a non-life insurer has paid out a claim to a policyholder following an insurance event, it recovers from the reinsurance company, which is the payer of the “reinsurance claim”, at the time of the reinsurance settlement, which generally takes place “once every three months”. As reinsurance settlements are not paid immediately, but rather after a grace period of three months, the choice of reinsurance company must above all be “credible and stable”. This is because any non-life insurer needs to have an annual “reinsurance contract” in order to be able to underwrite for another year without problems. Therefore, “it is a prerequisite for a reinsurance company to have an appropriate rating, usually ‘A’, from Moody’s, S&P, etc.”.
Captives, however, are “small non-life insurance companies set up by companies to underwrite their own risks” and are “usually not able to meet the rating requirements”. The alternative to a “rating” is a “reinsurance contract”, which is “evidence that the captive has entered into an appropriate reinsurance contract with a well-rated reinsurance company and that risk hedging is adequately guaranteed”. This is what is known as “security” when a primary insurer underwrites a captive in Japan and “reinsures” it.
Prior to the launch of Global Link’s captive business, most companies, with the exception of a few large and well known companies, were considering setting up a captive because they saw a captive as a piggy bank, not a risk management vehicle. This is because there were few players (captive consultancies) with knowledge of the global reinsurance market to recommend the establishment of a captive, even though “captive risk management = reinsurance from a captive”.
As noted in the “History” section of the website and in previous columns, Global Link appointed Dr. Go Kawada (former head of the Sendai Regional Taxation Bureau, former professor at Meiji University Graduate School, and certified tax accountant) as its advisor to ensure “proper, qualified and accurate business promotion”. The next advisor was Mr. Sakura Shiga (former Director General of the Tokyo Customs Office, Ministry of Finance, lawyer), who was the “Big Dipper of tax havens”, to ensure that the captive (Solution Captive®) was established and operated properly, appropriately and appropriately. In regular meetings with these advisors, it was always confirmed that the reinsurance from the captive was properly and accurately placed with one of the world’s largest reinsurers in the London market.
Following our July 2018 business partnership with Marnix, a highly respected reinsurance broker within the Marubeni Group, Global Link has been able to ensure that reinsurance from captives (or reinsurance from the perspective of primary insurers) is placed with the London market reinsurers’ underwriters. In this respect, Global Link has worked hard to maintain strong relationships with the underwriters of the London market reinsurance companies with whom we write reinsurance (or reinsurance from the perspective of the primary insurer). Since the “Corona disaster” last year, we have been unable to travel, so we have had frequent “online meetings” to try to establish mutual understanding.
Having worked for many years as a specialist insurance underwriter, I have a keen eye for what underwriters need and what information would help them get better terms and premiums.
2. The benefits of working through primary insurers
An important task for an insurance company is to underwrite insurance, but an even more important task is to pay out claims accurately in the event of an accident. It is only when insurance fulfils its important function of “paying out the right amount of money in the event of an accident” that its effectiveness is recognised. However, the cost of loss assessment is high.
For general non-life insurers, the cost of loss assessment, especially the cost of labour, is a major burden on their business. As I have already noted, in April 1996, the revised Insurance Business Act came into force, and in August, six major life insurance companies set up their own non-life insurance subsidiaries to tap into the non-life insurance market, using their own powerful insurance sales network of “sales staff” (life insurance ladies), which numbered about 500,000 in all the life insurance companies. “The company started its business by concentrating its capital in the sale of automobile insurance, anticipating that it would become a “Bonanza”.
However, as of October 2021, a quarter of a century later, there is only one “non-life insurance subsidiary” in existence, Meiji Yasuda General Insurance, for which I was a management consultant for many years.
Even through the captive program, it is the primary insurer that takes out the insurance from the policyholder, and it is the primary insurer that is responsible for paying the claim in the event of an accident, which means that the primary insurer is also responsible for assessing the loss. This means that the primary insurer is responsible for the “claims area”, i.e. the loss assessment (loss service), and that the captive does not have to bear the costs associated with the loss assessment, thus significantly reducing the captive’s costs. This is why there are more than 7,000 captives worldwide, with many new captives being established each year.
Summary of this issue
The choice for primary insurers will depend on whether they choose to “grow with the captive” or whether they are “customer focused” and do ”not respond to customer requests for captives”.
No matter how much the old-fashioned P&C insurers try to hide the benefits of captives, the benefits of captives will soon become apparent. This is because of the covid-19 disaster and the huge drive to establish captives, especially among US companies.
One has to wonder. Why are captives, which are the focus of so much attention in the world today, rarely reported in Japan, and when they are, they are treated as “tax havens = tax evasion” and as “a means of saving tax”?
I wrote the following in “RM 48 The historical background of NHK’s ‘Yale'” at my October 17, 2020 article in this column.
In the book “Why the Japanese Went to War: The Media, the People, and the Leaders” (Shincho Bunko), edited by NHK Special, we can get a glimpse of this “short sighted situation that existed in the newspaper world at the time”. In the same book, there is a sentence that can be considered as “a short-sighted situation that existed in the newspaper world at that time”.
Until now, the impression of the so-called media has often been that they were victims of the suppression and control of speech by the military authorities, who deprived them of their freedom.
The total circulation of the three major newspapers of the time (Asahi, Mainichi and Yomiuri), however, rose sharply after the Manchurian Incident, from around 4 million until 1931 to nearly 7 million at the outbreak of the Japan-China War in 1937, and well over 8 million by the start of the Pacific War. From that point onwards, the circulation of newspapers has continued to grow significantly.
Takeji Muno, a former reporter for the Asahi Shimbun who lives in Yokote City, Akita Prefecture, explains why.
All newspapers increase their circulation in times of war,” he says. All the newspapers increase their circulation when there is a war, because all the sons and husbands go off to war, and new readers want to know what’s going on. So the war is not a negative thing for the newspaper from a business point of view.
Takeno, who was 96 years old at the time of our interview (2011), says that the Manchurian Incident inspired him to become a newspaper reporter, and that on the day the war ended he felt a responsibility to report the news and handed in his resignation. Looking at old photographs from the war, Takeno says he cannot deny that the newspapers inflamed the public.
“We won, we won, he said, and we actually made that kind of paper. And the people thought they had won and won. And they thought that something better would happen in the future.”
Takeno’s words are a clear example of why the media is said to be one of the major factors that drove the Japanese to war.
In order to increase their circulation, which had been reduced by the Great Depression, the newspapers had to adapt to the military’s arguments, and in this way, after the Manchurian Incident, they greatly increased their circulation by reporting local information. The people were influenced by the radio, which was used by the military and politicians to raise the will to fight, and became enamoured of nationalism, which in turn led to the government and military leaders being bound by their own words and actions in order to gain the support of the people. It is thought that the relationship between these three parties had a major influence on policy decisions.
In the case of the recent corona outbreak, a number of “expert” university professors have appeared on TV, with one saying that “by the end of August, the number of infected people in Tokyo will be 10,000 or 20,000, and after that it will be in the tens of thousands.
However, on 21 October, as I write, the Tokyo Metropolitan Government has announced that 36 new cases of covid-19 have been confirmed, the fifth consecutive day with fewer than 50 cases and the 13th consecutive day with fewer than 100 cases. On the previous Thursday, the 14th, there were 62, a decrease of 26.The number of new infections nationwide was 232 on 18 October, 372 on 19 October, 391 on 20 October and 345 on 21 October.
A specialist doctor who appeared on TV said: “We are grateful that the number of patients has decreased more than expected. Today, too, some people with fever came to the outpatient clinic, but all of them tested negative. In fact, it is more difficult to find people who are infected now,” said a medical worker.
The so-called “experts” that the media trot out “say it all the time” with no correction or apology later. The same is true of the media who report them. They don’t know how many companies and people have been affected as a result of these wrong predictions and wrong reports, and they don’t verify them, and of course they “turn a blind eye” to them and don’t report them at all.
Many people are beginning to wonder if this is the right way to go. This is one of the reasons why the circulation of newspapers, which are considered to be the national newspapers, has not stopped declining, and why there is much talk of a shift away from television.
On the other hand, there are regional newspapers such as the Shizuoka Shimbun, which is actively engaged in new initiatives and is attracting the attention of regional newspapers across Japan as a “future-oriented mass media”. It can be said that we have entered an era in which the gap between the “sell-out mass media” and the “the real mass media with a real heart” is widening.
“We have entered an era in which the need for risk management has become a major concern, in which we must be aware of the possibility that the bias of the mass media may be reflected in its reporting, and use our own “critical eye” to grasp the true nature of the reporting.
Author/translator: Shinichiro Hatani