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設立・運営 2021.11.05

EM5 キャプティブの設立No.5 (損害保険業界の給与水準が持つ意味)

当コラム内の文章・画像等の無断転載・引用・複製を固く禁じます。

EM (Establishment・Management)5 – Establishment of captives No. 5 (What it means to be paid in the general insurance industry)

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

大学を卒業して入社した外資系損害保険会社、筆者が配属された部は「国際部」であった。この部は「欧米の巨大企業が有するキャプティブ」の日本に於ける対応窓口でもあった。

通常の元受保険は「Aアカウント」、欧米の巨大企業が持つワールドワイド・カバー(世界一円を補償するグローバル・カバーの保険証券を本国で発行、日本ではそれに対応する保険証券を発行して対応する)アカウントを「Bアカウント」と呼び、キャプティブは「Cアカウント」と呼ばれていたほど、「キャプティブは馴染みのある、当たり前の保険プログラム」であった。

これまで述べてきたとおり、日本企業がキャプティブを設立できるのは海外であり、そのためには「再保険」の仕組みを使って、まずは日本の損害保険会社に「元受保険会社」として保険の引受をしてもらわなければならない。

これが、単なる「課題」か、それとも「問題」となるのか、そのいずれかでその後の進め方が大きく変わってくる。実は、「どの損害保険会社を元受保険会社とするか」ということは「キャプティブ・プログラムを構築できるか否かの鍵を握っている」と言っても過言ではない。一般的には、「長年お付き合いもあり気心も知れている損害保険会社を」という要望を持つ企業が多いが、その損害保険会社がキャプティブのことをどう考えているか」によって、その後の取り組み、対応が大きく変わってくるからである。

お付き合いのある損害保険会社が、冒頭の筆者が入社した損害保険会社のように「キャプティブの設立に積極的な姿勢を見せる損害保険会社」であれば事は簡単に進むが、残念ながらそういう損害保険会社ばかりではないのが日本の損害保険業界であり、欧米の保険業界で「キャプティブの設立に否定的な損害保険会社」が「ガラパゴス」と揶揄されている背景がここにある。

1,米国の保険会社の給与水準

筆者は、入社3年目に長期のニューヨーク本社研修に出張、本社の各部門のスタッフと交流を暖めたものであるが、なぜかいつも尋ねられたのが、「なぜ入社したのか」ということであった。いつも、「待遇が非常に良い会社であり、給与も他の産業よりも遙かに高いから」と答えたが、決まって「嘘だろう、冗談?」という返事が返ってきた。

筆者が入社した頃は「就職面接の解禁日は10月1日」であり、毎年、ある損害保険会社の前に就職面接を待つ学生が朝早くから長蛇の列をつくることがマスコミで大きく報道されていたものである。そのことを言うと「冗談言うなよ、アメリカでは損保、保険は下から二番目に給与が低い、一番下は出版だよ」と呆れ半分の返事が返ってきたことを思い出す。

事実、ニューヨーク本社から日本に赴任していた50代の国際部の取締役部長(Vice President)は、いつも、「私の給料はこの部門で5番目」と飲み会の席では冗談半分に言っていた。「『冗談だろう』と思っていたがそれは事実ということ」が後に判った。その部門には4人、30代の日本人の課長がいたが、彼ら4人より「米国人のその取締役部長の給与は低い」ということを社長から何かの折りに聞いたからだった。

私が入社した頃、その会社の世界全体の規模は収入保険料や資産で米国で30番目程度であった。しかし、日本では大きく成長して、「世界全体の収益の半分を日本で稼いでいる」と言われていた損害保険コングロマリットであった。事実、長期のニューヨーク本社研修の際入ったレストランで、「何の仕事をしているの?」と気さくに尋ねられたので、「当然知っているだろう」と会社の名前を言ったがキョトンとしていて、「え、あれ、知らないんだ」とショックだったことを憶えている。当時は「日本だけで有名な会社」であったのである。

この「日本の収益が世界の半分」となっていた理由は、当時の「護送船団方式」にあった。一番規模の小さな損害保険会社が倒産しないレベルで保険料水準が決められていたからであり、それよりも大きな会社は規模の利益により膨大な収益を誇っていたのである。

筆者が入社した今から40年前、「入社10年、32歳でほとんどの総合職社員の給与は年収1,000万円を超える」ということも聞いていた。しかし、それでも「業界では給与水準は3番手」とのことであった、トップの損害保険会社の社員の収入は推して知るべし、群を抜く社員の給与の高さが「解禁日に長蛇の列をつくらせていた」のであった。

2.キャプティブの影響

なぜ米国の損害保険業界の給与は低かったのか、実はそのことに大きく影響を与えた存在が「キャプティブ」であった。多くの企業が「キャプティブを設立することによって、収益性の高い企業向けの保険を損害保険会社任せにしなくなった」からであり、そのため損害保険会社の収益が低下して給与水準も低くなっていったのである。

その起爆剤となった会社が、筆者が所属した損害保険コングロマリットのニューヨーク本社で1970年代初頭、Risk Managementを冠して設立された会社である。名称は「リスクマネジメント」を冠していたが、そのメインの事業目的は「キャプティブの設立」を大手の企業に勧奨していくことであり、この事業活動が、業界30番手であった会社を後年世界のトップにまで押し上げた大きな力になったと言われていた

筆者がその会社を辞して、日本を離れ米国フィラデルフィアの地で仕事を始めた会社、CIGNAコーポレーション、その前身は、1792年に設立されたインシュアランス・カンパニー・オブ・ノース・アメリカ(INA)であり、米国最古の株式保険会社で当時世界最大の損害保険会社であった。そのため多くの巨大企業、名門企業を顧客に抱えていた。しかし、この「キャプティブ」の動きによって、大きく事業収入が低下、1982年には米国の最大手生命保険会社であったコネチカット・ジェネラル・ライフ(CG)と合併して「CIGNA」となった。

その後、世界的な保険総代理店組織を買収したが、そのときの「デューディリジェンス」の失敗によって、同組織が有した「環境汚染ビジネス」で多額の損失を計上、最終的には1999年、キャプティブから大きく成長した米国の大手損害保険会社に、損害保険部門である元INAの事業が買収され、200年の歴史のあったINAという会社が市場から姿を消すことになったのである。

写真左側に2本ある似た形の60階建ての超高層ビルは、CIGNAがフィラデルフィアに所有していたビルの写真であり、1本は「国内本部」もう1本には「国際本部」が入っていて、筆者の部屋は後者の50階にあった。CIGNAがどれほど巨大な企業だったのか、会社の偉容を物語る一枚の写真である。

The two similarly shaped 60-storey skyscrapers on the left of the photo are CIGNA’s buildings in Philadelphia, one housing the National Headquarters and the other the International Headquarters, and my room was on the 50th floor of the latter. It is a picture that shows how huge CIGNA was and how great the company was.

3.損害保険会社におけるキャプティブの位置付け

こういう「キャプティブの影響」は当然日本の損害保険業界でもよく知られていることである。冒頭述べた「損害保険会社によってキャプティブへの対応は大きく異なる」とは、「キャプティブを受容するか」、それとも「徹底して排除していこうとするか」、この二つの対応に大きく別れているということである。

これほどキャプティブは世界中に拡がっているにもかかわらず、企業が「キャプティブをつくりたい」とお付き合いのある損害保険会社に相談すると、「良いですね、やりましょう」という反応が返ってくればいいが、その損害保険会社が「キャプティブに否定的な損害保険会社」であった場合には、まず「お止めになった方が」とやんわりお断りの言葉が返ってくる、それでも「やりたいので」と続けると、そのうち「本社から専門家と称する人が飛んできて、キャプティブの設立に否定的なことを幾つも並べていく」ことになる。そういう日本の損害保険会社のことを欧米の関係者の間では「保険の進化を拒む」という意味で「ガラパゴス」と揶揄しているのである。

これは、決して想像や仮説的なことを書いているのではなく、実際筆者が見聞きした事実を書いている。しかし、そういうキャプティブに否定的な損害保険会社も相手が「超大手企業」であれば話は全く変わる。「調べ尽くした上での話」と考えて「否定はしない」のである。

理由は簡単である。そういう超大手企業であれば、欧米の大手保険ブローカー(保険仲立人)に話を持っていき、その結果、「キャプティブが設立された後は、それまでのビジネスは全て雲散霧消、競合保険会社の手に委ねられることが目に見えているから」である。

事実、グローバル・リンクが推奨しているドミサイル、米国ハワイ州の地で開かれた、日本を代表する超大手企業が設立した「キャプティブのオープニング・パーティ」には、その元受保険会社となった「キャプティブに対して非常に否定的な損害保険会社の本社から副社長を筆頭に役員がずらり勢揃いした」と、そのキャプティブの「キャプティブ・マネージャー(ドミサイルに於けるキャプティブの運営管理会社)の役員」から、呆れながらパーティの翌日電話があった。

「超大手企業の意向は汲み取りキャプティブを設立する」、一方で一般企業からの要望には「応えない」という対応である。この損害保険会社だけでなく別の損害保険会社でも同様のことがあったことを仄聞している。これが、「ガラパゴス型損害保険会社」である。

今回のまとめ

「キャプティブ設立を支援していこうとする損害保険会社」、そして「キャプティブ(=顧客)には収益を獲られたくない」と考えて、「キャプティブの設立には、特定の顧客を除いて全て断ろうとする『ガラパゴス型損害保険会社』」、この二種類が損害保険業界のなかには見事に存在する。

検索サイトで、「キャプティブ」もしくは「キャプティブとは」と検索すると、この二種類の損害保険会社が見極められる。「キャプティブ設立を支援していこうとする損害保険会社」の名前はトップページに掲載されているが、「そうではない損害保険会社」の名前は当然載っていない。「キャプティブを設立しよう」と決断したとき、どちらの損害保険会社と一緒に進めていけば良いか、それは自明の理だろう。

しかし、冒頭に記したとおり、多くの企業では「長年お付き合いもあり気心も知れているので」という理由で、「(キャプティブの設立には、特定の顧客を除いて全て断ろうとする損害保険会社と)なんとかなりませんか」というご要望を頂くことが多いのも事実である。

そのため、グローバル・リンクでは、「キャプティブの設立コンサルティング」の初期の段階で、このことを設立しようとする企業に具にお伝えする。

その上で、「元受保険会社」手配の段階で、「お付き合いのある損害保険会社」、また「興味のある損害保険保険会社」等に参集していただき、「元受保険プログラム」に関してプレゼンをおこなう場を提供して、「キャプティブを設立しようとする企業」が具に条件を判断、そして検証、決定していただける場をつくる。そのような「指名競争入札方式」で元受保険会社を決定するのである。

ある企業では、「キャプティブ・プログラム」の構築を通して、それまで「独占的に保険契約をしていた損害保険会社が『ガラパゴス型損害保険会社』であったため、全く別の損害保険会社に保険契約先が変えざるを得なかったこと」があるが、驚くことにそのためにそれまでの保険料が「半分になった」という効用も生まれた。

このような、具体的な事例を含めて、次号のコラムからは、「キャプティブの設立のための具体的なステップ」を5回に分けて詳しく記していきたい。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

It is strictly forbidden to publish, copy, quote or distribute the contents of this column without permission.

English Translation

EM (Establishment・Management)5 – Establishment of captives No. 5 (What it means to be paid in the general insurance industry)

After graduating from university, I joined a foreign non-life insurance company and was assigned to the International Department. It was also the department that dealt with the “captives of the big Western companies” in Japan.

Ordinary primary insurance was called “Account A”, and the account for worldwide coverage (global coverage policy issued in home country and corresponding policy issued in Japan) was called “Account B”, and captive was called “Account C”.

As we have discussed, it is overseas that Japanese companies can set up captives, and to do so, they must first get Japanese non-life insurance companies to underwrite their policies as “primary insurers” using the “reinsurance” mechanism.

Whether this is just an “issue” or becomes a “problem”, and how to proceed thereafter, depends greatly on which of these two is the primary insurer. In fact, it is no exaggeration to say that the choice of insurer is key to the success or failure of a captive programme. In general, many companies want to use a non-life insurer with whom they have a longstanding and familiar relationship, but their approach and response will vary greatly depending on what the insurer thinks of the captive.

If the insurer is willing to establish a captive, as was the case with the insurer I joined at the beginning of this article, then it is easy to proceed. However, unfortunately, not all non-life insurance companies are like that, and this is why Western insurers have also derided as “Galapagos” non-life insurers who have been reluctant to set up captives.

1,Salary level of insurance companies in the US

In my third year with the company, I went on a  long training program at the New York headquarters, where I got to know the staff of the various departments at the headquarters. For some reason, I was always asked why I joined the company. I always replied, “Because it is a very good company and the salary is much higher than other industries”, to which they always replied, “You’re kidding!”

When I joined the company, the first day of job interviews was October 1st, and it was widely reported in the mass media that every year there was a long queue of students waiting for job interviews at a certain non-life insurance company from early in the morning. When I mentioned this to him, he said, “Don’t joke, P&C insurance is the second lowest paying job in the US. The lowest is publishing”.

In fact, a man in his fifties who had been posted to Japan from New York as Vice President of the International Department always joked over drinks that his salary was the fifth highest in his department. I thought ” It’s a joke”, but later I found out that it was true. There were four Japanese managers in their thirties in the department, and the president had told me at one point that the American vice president was paid less than them.

When I joined the company, it was about the 30th largest in the US in terms of premiums and assets worldwide. In Japan, however, the company had grown so much that it was said to be a non-life insurance conglomerate that “half the world’s revenue was generated in Japan”. In fact, when I was in a restaurant during a long training program at the New York headquarters, I was asked in a friendly manner, “What do you do?”, I told him the name of the company, but he looked at me blankly and I remember being shocked that he didn’t know. I t was famous only in Japan.

The reason for “half the world’s profits in Japan” was the “convoy system” of the time. The level of premiums was set at such a level that the smallest non-life insurers could not go bankrupt, while the larger ones enjoyed huge profits through economies of scale. When the author joined the company 40 years ago, I was told that “the salary of most career-track employees exceeds 10 million yen a year at the age of 32, 10 years after joining the company”. However, even so, “the salary level was the third highest in the industry”, and the income of the employees of the top non-life insurance company could be guessed. The high salaries of employees were the reason for the “long queues on opening day of job interviews”.

2. The impact of captives

Why were salaries in the US property and casualty insurance industry so low? In fact, a major influence on this was the existence of “captives”. This has led to lower profitability and lower salaries, as many companies “no longer rely on non-life insurers for profitable commercial insurance by setting up captives”.

The catalyst for this was the New York headquarters of the property-casualty conglomerate to which I belonged, which was set up in the early 1970s under the name Risk Management. Although the name was “Risk Management”, the main purpose of the company was to encourage large companies to set up captives, and the results of this activity were said to be a major force in taking the company from 30th in the industry to the top of the world in later years.

CIGNA Corporation, the company from which I left Japan to start my career in Philadelphia, was founded in 1792 as the Insurance Company of North America (INA), the oldest stock insurance company in the United States and the largest property and casualty insurer in the world at that time.

In 1982 it merged with Connecticut General Life, one of the largest life insurers in the United States, to form CIGNA. The company then acquired a global insurance general agency organisation, but due to a failure of “due diligence” it lost a significant amount of money on its “environmental pollution business”, and eventually in 1999, a major US property and casualty insurer, which had grown out of the captive, took over the business of the former INA, the property and casualty division, and the 200-year-old INA company disappeared from the market.

3. The position of captives in non-life insurance companies

The impact of captives is of course well known in the Japanese non-life insurance industry. As I mentioned at the beginning of this article, the response to captives varies widely among non-life insurers, depending on whether they “accept captives” or “try to eliminate them”.

One of the reasons why the Japanese non-life insurance industry is often derided as “Galapagos” in the West is that, despite the fact that captives are so widespread around the world, when a company asks a non-life insurance company it has a relationship with if it would like to create a captive, the response may be, “Great, let’s do it. However, If the non-life insurer is a “negative captive insurer”, the first thing they will say is “I think you should not do this”. if they continue to insist that they want to do it, eventually, “a purported expert from head office will come in and lay out a number of negative things about setting up a captive”. Such Japanese non-life insurers are derided by their Western counterparts as “Galapagos”, meaning “refusing to evolve insurance”.

This is not an imaginary or hypothetical account, but a factual account of what the author has seen and heard. However, the situation is quite different when the insurer is a ” very large company “. “The reason for this is simple: they have done their research and they will go to the big insurance brokers in the US and Europe, who will see to it that once the captive is established, all the business will disappear and be taken over by competing insurers.

In fact, at the opening party of a captive in Hawaii, a domicile recommended by Global Link, Inc. The day after the party, the captive’s manager called me in disgust to tell me that the opening party of the captive, which was established by one of Japan’s leading companies, had been attended by “executives from the head office of a non-life insurance company that is very negative towards captives”.

The response was that “we will set up a captive in line with the wishes of a very large company”, while “we will not respond to requests from ordinary companies”. I am told that this is not the only non-life insurer to have done this, and that other non-life insurers have done the same. It is a Galapagos-type non-life insurer.

Summary of this issue

There are two types, innovative and Galapagos styles of insurers in the industry: those that are willing to support the establishment of captives, and those that refuse to establish captives, and those that do not want their captives (i.e. customers) to be profitable, “Galapagos insurers” who refuse to set up captives, except for certain clients.

If you search for “captive” or “what is a captive” on a search engine, you will find these two types of insurers on the top page of the website, with the names of those that are willing to support the establishment of a captive, but not those that are not. “When you decide to set up a captive”, it’s obvious which general insurance company you should work with.

However, as noted at the beginning of this article, it is also true that many companies ask us if we can do something with “non-life insurers who try to refuse all but certain clients to set up captives” because “we have known them for many years and are familiar with them”.

For this reason, in the early stages of our captive formation consultancy, we advise prospective companies of this fact, and then, when arranging for a primary insurer, we contact the non-life insurers with whom we have a relationship, the non-life insurers with whom the company wishing to establish a captive has a relationship, and the non-life insurers with whom we are interested.

We would then provide an opportunity for interested non-life insurers to come together and present their primary insurance programmes, so that the company wishing to establish a captive could assess, test and decide on the terms and conditions. Primary insurers will be selected through a competitive bidding process.

In one case, the establishment of a captive programme forced a company to switch to a completely different non-life insurer because its “monopoly insurer was a ‘Galapagos style one'”, which, surprisingly, “halved” its premiums. Including such specific cases, we will describe in detail the “concrete steps for the establishment of a captive” in five installments starting from the next issue of this column.

Author/translator: Shinichiro Hatani