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企業戦略 2020.02.20

CS 5  戦略ドメイン Strategic Domain (Definition of Business)

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

本コラムでは、「キャプティブ」、「リスクマネジメント(リスク対応策)」、「運営実務」そして、これまで4回にわたって「企業戦略」について記してきた。「リスクマネジメントやキャプティブは、保険の世界であり、企業戦略とはどんな関係があるのか?」というご質問を頂いた。

第1回「企業戦略1」では、「キャプティブは欧米のグローバル企業では『企業戦略の中核』をなしている」と記したが、ご質問への答えとして、また良い機会なので、企業戦略を策定する際の最重要事項である「戦略ドメイン」について説明したい。

1.輸送実績が世界1位

世界の航空会社は、新型コロナの影響で国際線の就航ができず収益は非常に落ち込んでいるが、数年前までは大きな収益をあげていた。日本航空もそうであった。日本航空(JAL)は、2015年3月期より2019年3月期に至るまで、1725億円(2015年)、2092億円(2016年)、1650億円(2017年)、1631億円(2018年)、そして1653億円(2019年)あまりの経常利益を連続してたたき出した。

本コラムを書くにあたって、「これまで、JALと一緒にどれくらい飛んだのか」と気になって調べてみた。現在のマイレッジプログラム「JMB」、またその前身「JALスカイプラス」、これらができる前から海外出張はJALであったが、1993年マイレッジプログラムができてからの統計がホームページにあった。それによると、これまで購入した航空券(マイレッジプログラムによるものは含まない)による搭乗マイルは:

855,606マイル、生涯搭乗回数250回(国内線117 回 国際線133 回)地球約 34.4周、月まで約 1.8往復、総搭乗時間は約 2281.6時間に相当します。

とあった。このように、JALファンであったため大変残念であった、今から9年前の2010年2月19日が。その日が東京証券取引所での株式の最終売買日であった。翌日、20日付で上場廃止、会社更生法手続き入りで東証への株式公開から48年余りの歴史に幕を引いたのであった。

1951年、終戦より6年を経てようやく日の丸が日本の空を飛んだ、日本航空(JAL)の誕生である。機材も乗員も米国の航空会社からのリースであり自主運航までさらに1年を要した。しかし、その後の急速な日本の高度経済成長を背景に、83年世界の民間航空会社の輸送実績統計で世界第1位になった。国内線分野での事業拡大を図るべく、旧日本エアシステム(JAS)と2002年合併、その後わずか8年での破綻であった。

お世話になったスタッフ、特にCA(客室乗務員)の方々は素晴らしい仕事をしていた。今では「何時の話か」と言われそうだが、1981年ニューヨークに約半年間の長期研修で出張した際、戻りの飛行機に乗った時には、CAの皆さんは全員着物姿で迎えてくれた、そういう時代であった。「『さくらさくら』の箏曲」が機内で奏でられ、半年間の苦闘に思いを馳せ、まだ出発前なのに「ああ、日本に帰った」とさえ思えた、ありがたい演出であった。また、着物姿からすぐ制服に着替え、忙しくサービスをしている姿を見て、筆者を含め多くの乗客の皆さんが感心していたことを思い出す。懐かしい思い出である。

経営破綻の頃、2010年7月11日ロンドン便復路(JL402)に搭乗していた。様々な報道がありながら健気に働く皆さんを拝見していて、思わず「頑張ってください、私は昔からJALのファンで・・」とお話しをしたら、飛行機を降りる時、「265Dグループ」と記され、その下にはお世話になった3人のCAのお名前が記された、お礼のカードとフライトデータが手書きで書いてある、「フライトマップ」を頂いた。それらは、いまでも大切に飾ってある、そんな素晴らしい仕事が現場には満ち溢れていた。

2.ライバル会社、パンナムの挫折

「前車の覆るは後車の戒め」(前を進む人の失敗は後から来る人の戒めとなる)とは、事業経営に於いて留意すべき最も重要な諺であろう、このことを学ぶために経営学が存在するからである。

JALが1983年世界第1位になった時、抜き去った会社が長年のライバル、1927年創業のパンアメリカン航空であった。創業者会長の強力なリーダーシップと米国政府の庇護のもと、名実ともに米国のフラッグ・キャリアとして世界中に広範な路線網を広げていった。米国初のジェット旅客機ボーイング707、超大型ジェット旅客機ボーイング747といったボーイング社を代表する航空機の開発にも寄与した。また、系列ホテルチェーンの世界的展開、世界一周路線等、他の航空会社が後追いしたビジネスモデルを開発、展開していった。

しかし、1960年代後半から始まった海外旅行の価格競争の激化によって局面が大きく変わった。高コスト体質を改善できずにいたところに、1978年より始まった航空自由化政策(ディレギュレーション)が経営悪化に追い打ちをかけたのである。窮地を打開すべく中堅国内航空会社ナショナル航空を80年に買収。しかし、この会社はボーイング社の機材ではなく、マクダネル・ダグラス社の航空機を多く保有。合併による修理・補修効率の改善もなく、逆に「業界一」と言われたパンアメリカン航空の高賃金にナショナル航空の賃金形態を合わせるなど、創業者会長の逝去後、経営が一層迷走した。その後も、経営立て直しの為に「ドル箱路線」を切り売りしたが、合併後11年、1991年12月に破産。会社は完全に消滅した。

3.経営判断で重要な戦略ドメイン

企業が「どの分野・事業領域で生存していくか、いくべきか」という領域のことを「戦略ドメイン」と呼ぶ。企業ミッションとともに、企業戦略階層の最上位に位置している。企業、事業、機能戦略は、すべてこの戦略ドメインとの整合性がなければならない。戦略ドメインは、従業員、顧客、株主等の利害関係者(ステークホルダー)から広く支持され受け入れられていなければ機能することはない。経営とステークホルダーとのドメインに関するこの支持、合意を「ドメインコンセンサス」と呼ぶが、それが強ければ強いほど、事業を浮揚させる無償の力を得ることになるからである。したがって、より強いドメインコンセンサスを得るように戦略ドメインを定義することほど重要な経営判断はない。

4.鉄道会社が衰退した理由―「鉄道事業」としての定義に失敗

自らを「航空事業」と捉えるか、それとも「輸送事業」と考えるかによって、会社の事業展開は大きく変わったのではないだろうか。

1997年、山一証券をはじめとして大型金融機関の倒産が相次いだ際クローズアップされ、リーマンショック後の金融危機で再度大きく取りざたされたのが格付け会社である。現在、世界には20余りの格付け専門会社が存在するが、群を抜く歴史を有している会社は、ムーディーズ(Moody’s)とスタンダード&プアーズ(S&P)である。1909年世界で最初に格付けをおこなったのは、ムーディーズの創始者ジョン・ムーディー(John Moody)と言われている。

当時の米国は新興国家、銀行の経営基盤も脆弱であった。資金を借りようにもなかなか応じるところは少ない。そこで、企業は、社債を発行して投資家から資金を調達する方法を考え出したが、高い金利をつけても投資家はリスクを嫌って集まらない。そこに目を付けたのがジョン・ムーディーであった。

彼が最初におこなった格付けは、鉄道敷設に大きな資金を要する鉄道会社の社債であった。世界で一番裕福な大学と言われている米国西海岸の「スタンフォード大学(Stanford University)」は、セントラル・パシフィック鉄道の社長、リーランド・スタンフォード(Leland Stanford)の個人資産をもとに創設された。かつての鉄道会社は、経営者が個人資産で総合大学を創立できるぐらいの勢いがあった。しかし、そんな巨大な鉄道会社もいまは見る影もない。全米鉄道旅客公社(Amtrak:アムトラック)としてひっそりと事業をおこなっているにすぎない。

5.リスクマネジメントの位置

なぜ鉄道会社が衰退したか、それは戦略ドメインの定義に失敗したからである。市場が衰退したのではなく、むしろ輸送に対する需要が急成長するなかで衰退したのである。米国の鉄道会社は自らを「輸送事業」と捉えるのではなく「鉄道事業」と考えた。顧客よりも鉄道自体を愛し何事も2本のレールを主体に考えるようになったからである。航空会社も合併による急速な国内路線拡大が本当に必要な戦略だったのであろうか。合併が経営を更に悪化させていったところから見ても、戦略ドメインの十分な分析、検証がなされていたとは思えない。

戦略ドメインから外れた軌道を企業が進んでいくと「向かい風が当然強くなる」のである、つまり「リスクが大きくなる」のである。企業戦略とリスクマネジメント、日本では後者は「保険担当者の仕事」と考えられがちだが、密接に前者と関係していることが理解されるであろう。むしろ、この2者は一体と考えるべきものである、だからこそ欧米のグローバル企業では、リスクマネジメントは「企業戦略の中核」と位置づけられ、CEOに直接意見具申することが求められている業務なのである。

新型コロナウイルスの影響で、様々な影響が予測される厳しい経済環境のいまこそ、リスクマネジメントによってこの最重要な経営要素である「戦略ドメイン」を検証して、企業の競合優位性を高める好機とすべき時ではないだろうか。

今回のまとめ

幸いなことに、JALは新経営陣の強いリーダーシップによって様々な手が打たれ、そのもとに全社員が懸命になり、以前とは見違えるような会社に生まれ変わったと言われている。熱意と使命感にあふれる素晴らしいリーダーたちがそれぞれの現場で次々と育ち、会社が復活したのである。

それは、一言で言うと、「戦略ドメイン」の定義、つまり「会社はどうあるべきか」ということを関係者全員で、真摯に検討、討議、計画、そして実行、再検証、この繰り替えしをおこなっていったことに他ならないのである。すべては「会社の存在意義」の確認からはじまったのである。

会社の置かれた立場から、真摯に企業戦略上のリスク(マイナス面)と機会(プラス面)を見つめ直す「リスクマネジメント」を根底にした企業改革であったというべきであろう。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Corporate Strategy 5 – Strategic Domain (Definition of Business)

In this column, I have written about “captives-CA,” “risk management (risk response measures-RM),” “operational practices-OP,” and “corporate strategy-CS” in four installments so far. What does risk management and captives have to do with corporate strategy in the world of insurance? I received a question from one of our clients.

In the first column, “CS (Corporate Strategy )1”, I wrote that “Captives are at the core of corporate strategy in Western global companies”.

1. World’s highest level of transportation performance

Today, the world’s airlines have been unable to launch international flights due to the new corona and their profits are very depressed, but until a few years ago, they were very profitable. The same was true of Japan Airlines.

Japan Airlines (JAL) has hit a series of recurring profits of 172.5 billion yen (2015), 209.2 billion yen (2016), 165 billion yen (2017), 163.1 billion yen (2018), and a little over 165.3 billion yen (2019) from the fiscal year ending March 2015 to the fiscal year ending March 2019.

In writing this column, I was curious to find out how much has flown with JAL so far. Even before the current mileage program “JMB” and its predecessor “JAL Sky Plus” were established, I had been flying with JAL on overseas business trips, and I found statistics on their website for the years after the mileage program was established in 1993. According to the report, the number of miles flown by airline tickets (not including those purchased under the mileage program) purchased to date is:

That “equates to 855,606 miles, 250 lifetime flights (117 domestic flights and 133 international flights), about 34.4 orbits around the Earth, about 1.8 round trips to the moon, and about 2281.6 hours of total flight time”.

As you can see, I was a fan of JAL, and it was a great pity that February 19, 2010, nine years ago, happened. That day was the last day of trading on the Tokyo Stock Exchange, and the next day, the stock was listed on the 20th. The next day, February 20, 2010, the company was delisted and entered into corporate reorganization proceedings, marking the end of the 48 years since it went public on the Tokyo Stock Exchange.

In 1951, six years after the end of the war, the Japanese flag finally took to the skies, and Japan Airlines (JAL) was born. Both the aircraft and crew were leased from airlines in united States, and it took another year for the airline to operate on its own. However, with the rapid economic growth of Japan, JAL became the world’s number one commercial airline in 1983. In order to expand its business in the domestic market, it merged with the former Japan Air System (JAS) in 2002, and then went bankrupt just eight years later.

The staff who took care of us, especially the flight attendants (CAs), did an excellent job. When I boarded the plane for a six-month training trip to New York in 1981, I was greeted by all the CAs dressed in kimono when I returned. I heard the koto piece from “Sakura Sakura” in the cabin, which reminded me of the struggles of the past six months and made me feel like I was back in Japan, even though it was still before my departure. Many passengers, including this writer, remember how impressed they were with the way the crew changed out of their kimonos and into their uniforms and busily served the passengers. These are fond memories.

Around the time of the bankruptcy, I was on board the JL402 for the return flight to London on July 11, 2010. When I saw everyone working hard despite the various reports, I couldn’t help but say, “Good luck, I’ve been a fan of JAL for a long time…” When I got off the plane, I received a thank-you card with the names of the three CAs underneath the “265D Group” and the flight data. I was given a “flight map” that was handwritten by them. These are still on display today, and the site was filled with such wonderful work.

2.A setback for their rival company Pan Am

It is probably the most important proverb to keep in mind in business management, because business management science exists to teach us, it is “the overturning of the front wheel is a warning to the rear wheel (The failure of those who move forward is a warning to those who come after)”.

When JAL became the world’s number one airline in 1983, the company that overtook it was its long-time rival, Pan American Airlines, founded in 1927. Under the strong leadership of its founding chairman and the patronage of the U.S. government, it became the flag carrier of the U.S. in both name and substance, expanding its extensive route network around the world. He was instrumental in the development of Boeing’s flagship aircraft, the Boeing 707, the first U.S. jetliner, and the Boeing 747, a superjumbo jetliner. It also developed and deployed business models that other airlines followed, such as the global expansion of its affiliated hotel chains and round-the-world routes.

However, the intensification of price competition in the overseas travel market, which began in the late 1960s, changed the situation dramatically. When the airline was unable to improve its high cost structure, the deregulation policy that began in 1978 exacerbated its financial difficulties. In order to break out of this predicament, the company acquired a National Airline, a medium-sized domestic airline, in 1980. However, this company owned many McDonnell Douglas aircraft rather than Boeing’s. The merger did not improve repair and repair efficiency, and the National Airline’s’wages were adjusted to match the high wages paid by Pan American Airlines, which was regarded as the best in the industry, and after the death of the founder’s chairman, the company’s management fell further into disarray. The company continued to sell off its “dollar-box” routes in order to rebuild its operations, but in December 1991, 11 years after the merger, the company went bankrupt.

3. Strategic domain that is important in business decisions

The domain in which a company decides which fields and business domains it will and should survive in is called the “strategic domain”. Together with the corporate mission, it is located at the top of the corporate strategy hierarchy. All corporate, business and functional strategies must be aligned with this strategic domain. A strategic domain cannot function unless it is widely supported and accepted by employees, customers, shareholders and other stakeholders (stakeholders). This support and agreement between management and stakeholders regarding the domain is called the “domain consensus” because the stronger it is, the more free power it gains to keep the business afloat. Therefore, there is no more important business decision than defining the strategic domain so as to achieve a stronger domain consensus.

4. Reasons for the decline of railroads – failure to define them as “railroad businesses”

The company’s business development seems to have changed dramatically depending on whether it considers itself to be in the airline business or the transportation business.

In 1997, when Yamaichi Securities and other large financial institutions went bankrupt, the credit rating agencies were in the spotlight, and in the financial crisis that followed the Lehman Brothers’ collapse, credit rating agencies were once again in the spotlight. There are currently more than 20 rating agencies in the world, but the two with the longest history are Moody’s and Standard & Poor’s. In 1909, John Moody, the founder of Moody’s, became the first rating agency to issue a credit rating.

At the time, the U.S. was an emerging nation with a weak banking infrastructure. Even if they wanted to borrow money, few were willing to do so. Therefore, companies came up with a way to raise funds from investors by issuing corporate bonds, but even with high interest rates, investors were reluctant to take the risk. That’s when John Moody took notice.

The first ratings he offered were for railroad company bonds, which required large sums of money to build the railroad. Stanford University on the West Coast, said to be the richest university in the world, was founded with the personal funds of Leland Stanford, president of the Central Pacific Railroad. In the past, the railroad company was strong enough that its owner could use his personal wealth to found a comprehensive university. But those giant railroads are nowhere to be found. They operate quietly as Amtrak, the National Railroad Passenger Corporation.

5. The Position of Risk Management

The reason why the railroad companies declined is because they failed to define their strategic domain. The market did not decline; rather, it declined in the face of rapidly growing demand for transportation. Instead of viewing themselves as a “transportation business,” the U.S. railroads thought of themselves as a “railroad business”. They came to love the railroads themselves more than their customers, and everything they did was based on ”two rails”. Was the rapid expansion of domestic routes through the merger really a necessary strategy for the airlines as well? Judging from the fact that the merger further worsened their business, it does not appear that the strategic domain was adequately analyzed and verified.

If a company follows a trajectory that deviates from the strategic domain, the headwind will naturally become stronger. Corporate strategy and risk management, the latter of which is often thought of as the job of the person in charge of insurance in Japan, are closely related to the former. In Europe and the United States, risk management is at the core of corporate strategy, and the work that requires direct input to the CEO.

In these difficult economic times, when the impact of the new coronavirus is expected to have a wide range of effects, the time has come to use risk management as an opportunity to examine the strategic domain, the most important management element, and to enhance a company’s competitive advantage.

Summary of this issue

Fortunately, JAL’s new management team’s strong leadership led to a variety of measures, and under their leadership, all employees are said to have worked hard to rebuild the company into a completely different kind of company than before. Great leaders full of enthusiasm and a sense of mission were brought up one after another in their respective workplaces, and the company was revived.

In a nutshell, this is because everyone involved worked diligently to define the “strategic domain,” that is, what the company should be, by examining, discussing, planning, executing, reexamining, and repeating this process. This all began with a reaffirmation of the company’s “raison d’etre”.

I think it is fair to say that this was a corporate reform based on risk management, in which the company sincerely reviewed the risks (negative aspects) and opportunities (positive aspects) of its corporate strategy from its position.

Author/translator: Shinichiro Hatani