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リスク対応策 2020.05.25

RM36 ルールの改定 Revisions to the Rules

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

1964年の東京大会以来、実に56年ぶり、本年2020年7月東京で開催の予定であった夏季オリンピック、「東京オリンピック」が、新型コロナ・ウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)によって「開催の1年延期」が決定された。

しかし、いまだに終息を見ないパンデミックの拡大により、来年の開催も、「ワクチンの開発、その迅速な提供」等、開催の安全性確保のための種々の条件をクリアしなければ、これまで通りの開催は困難であることは誰の目にも明らかな状況である。

1.オリンピック・ルールの改定

冬季オリンピックは、日本では1972年に札幌、1998年に長野で開催され、夏季オリンピックと同様、大きな感動を日本国民に与えてくれた。長野オリンピックが開催された頃、日本は長野オリンピック一色であった。「日の丸飛行隊」の雄姿に、国民の多くが歓喜したが、不思議なことに、その後、冬季オリンピックで「日の丸飛行隊」の文字を報道、新聞記事で見ることが無くなった。その理由の一つとされるのが「ルールの改定」である。

「飛行距離を決める最重要要素」と言われるスキーの長さについては、度々ルールが改定されている。現在は、身長とBMIをもとに長さを算出する形式が用いられている。長野、古くは、札幌オリンピック等、日本人選手が世界的に活躍したシーズンの終了と共にルール改定がなされてきた。ただ、現在の方式に変わった後、小柄な選手が上位に食い込むことも多くなり、「日本人選手に不利なルールに変更された」と一概に言えるのか、また規定が改定された後の対応が欧米に比べて大幅に遅れた、また進まない世代交代が低迷の原因にあるのではないかという意見もある。

しかし、必ずと言っていいほど日本人選手の活躍した翌年からルール改定がなされるのも、これまた事実である。

2.軍縮ルール

80年程前、各国が注目した「ルール」はスポーツの分野ではなく、軍備に関わるものであった。とりわけ、「海軍力」に関するものであった。1922年ワシントンに於いて、「海軍軍縮会議」が開かれ、戦艦等主力艦についての軍縮が決着を見たが、巡洋艦以下の補助艦に関する規制はなかった。そのため、各国とも条約内で可能な限り高性能な艦を建造していった。

なかでも、日本がそのころ建造した「妙高型重巡洋艦」は他国の艦を遥かに上回り「戦艦」をも凌駕する性能を持つものであったが、このことが知れ渡ると、すぐさま「補助艦の軍縮ルール」を主張する欧米勢によって、補助艦保有量の制限が求められ、そのための軍縮会議が1930年ロンドンで開かれた。

当時の日米の工業力の差が桁違いであったことを考えると「対米7割弱の軍縮条件」は、実は日本にとっては「破格の条件」とも言えた。したがって、内閣としても、また海軍省も賛成の方針であった。

ただ、当時の日本海軍は、内閣に従属し、軍政、人事を担当する政府機関である「海軍省」と海軍全体の作戦、指揮を統括する「軍令部」、この二つによって構成される組織であった。その軍令部が自らの主張が完全に満たされていなかったと条約拒否の方針を唱え、海軍ではこれ以降条約に賛成する「条約派」と反対する「艦隊派」に別れ対立していった。

更に「統帥権干犯問題」が勃発した。「浜口雄幸内閣が海軍軍令部の承認なしに兵力量を決定することは天皇の統帥権を犯すものだ」として、右翼や政友会は同内閣を攻撃したのである。その後、1936年1月条約を脱退、軍縮時代に終止符が打たれ、時代は第二次世界大戦に突き進んでいった。

日清、日露の華々しい連合艦隊の活躍の陰には、知略に優れた軍令部の参謀たちがいた。しかし大艦巨砲の時代は終わり、太平洋戦争における主役は真珠湾攻撃で自らが証明したとおり、空母、戦闘機へと戦略の要は既に移っていた。この結果、米国の圧倒的な物量の前に軍令部は苦戦を強いられ、「作戦なき戦い」に突入していったのである。

3.ルールとは

「Rule(ルール)」の語源は、古代ローマ語では、「真っすぐな棒」の意味であった。そこから転じて、「人々を一律に矯正するための規則、支配」を示すようになり、「王」という意味になった。強権的な政治的指導者のことを「Ruler(ルーラー)」と呼ぶことがあるが、そもそもRulerの意味は二つに分かれている。一つには支配者、主権者、そしてもう一つが定規である。いずれの意味も、古代ローマ語をそのまま継承している。定規も支配者も、一旦決まると、「王様のように絶対的存在だ」と考えられてきた。しかし、その絶対的な「ルール」も物事の進展、発展にともなって変化する。

日本人の多くは、ルールは「誰もが、当然に守らなければならない常識」のような意味で捉えている。米国は、英国の不平等な植民地支配に対する反発心から生まれた国家である。なぜ、米国人は、英国でよく飲まれる紅茶ではなくコーヒーを好む人が多いのか、よく考えてみると、アメリカ独立革命の象徴的事件の一つに起因しているようである。

当時のマサチューセッツ植民地、現米国マサチューセッツ州のボストンで、英国の植民地政策に憤慨した人々が、停泊中の貨物船に侵入、英国東インド会社の船荷である茶箱を海に投棄した事件、「ボストン茶会事件(ボストン・ティー・パーティー事件)以来、英国文化の象徴である紅茶をボイコットしたため」と言われている。

「ルールは所与のものではなく、その時々、環境によって変わるもの」という認識を持つことは、欧米との交渉において非常に重要なことである。「日本人は中学、高校で6年間、大学の教養課程も入れると8年間英語を学んでいるのになぜ話せる人が少ないのか」と、「大学には行っていません」と言いながら、実によく英語を話すアジア諸国の人たちとロンドンで会うといつも思う。

彼らに共通しているのは、「とにかく意志を伝えようとして話をしている」のであって、「文法など二の次、三の次のような、文章にならない言葉を機関銃のように話してくる」のである。一方、英語を話せない日本人の多くは「文法を気にして、間違ってはいないだろうかと気にしながら、話さないことが多い」と感じる。「話すことの目的」は何か、それは「意思を伝えること」である。「モノゴト」は「その目的を考えることが肝要である」という例である。

今回のまとめ

リスクマネジメントに本格的に取り組んでいくと「英語の専門用語だらけ」と感じる人が多い、「リスクマネジメント」という言葉からしてそうである。「なぜリスク管理と言わないのですか?」とある企業で質問を受けたことがある。「管理という言葉が持つニュアンスは、非常に静的であり、受動的に映る言葉だから、リスクマネジメントの本質を間違って欲しくないから敢えて訳語を使わないのです」と答えた。

「積極的にリスクを検証する、その過程ではインタビューも必要でしょう、ただ机についていて、送られてくる報告書を見て判断するだけものではありません、むしろ現場へ、担当部門へのインタビューのなかから発見するリスクの芽のようなものの方が、大きな損害を発生させることに繋がっていくことの方が多いので重要なのです」と付け加えた。

リスクマネジメントに王道(ルール)は無い、地道に丹念にリスクを検証、キャプティブの設立という目に見える目標を定めて進めていくなかでこそ、本物のリスクマネジメントができると考えているからである。そういう眼でこれまでのリスクを具に見ていた企業があれば今回の新型コロナ・ウイルスの世界的な感染拡大によって受ける影響を最小限に止めることができているであろう。

弊社グローバル・リンクは、海外との交流、折衝、往来によって事業が成り立っている。キャプティブを設立する場所が米国ハワイ州、日本のリスクを再保険によってリスク分散する地が英国ロンドンであるからである。

これまで長年携わってきた海外との折衝では、多くのリスクにも近接、また遭遇もしてきた。テロ事件では、2001年9月11日「米国同時多発テロ」、2005年7月ロンドンで起きたロンドン同時爆破事件、疾病では、2002年中国で起きた「SARS(サーズ):Severe acute respiratory syndrome: 重症急性呼吸器症候群」 、2012年ロンドンで中東への旅行者から確認されたMERS(マーズ): Middle East respiratory syndrome coronavirus:中東呼吸器症候群」等である。

こういう経験からグローバル・リンクでは、創業から都心に事務所は構えているが、先のコラムにも記したが、「リモート・ワーク(テレワーク)」を事業推進の基本にしてきた。弊社が「弊社事業をリスクマネジメントした結果のリスク対応策の一つ」だからである。

今回のような事態に遭遇して「リスクマネジメントが企業戦略の要である」ということに多くの企業が気付かされたのではないだろうか。「コロナ後の企業戦略」をリスクマネジメント抜きで決めるのか、それともキャプティブの設立を目的とした本格的なリスクマネジメントに取り組むか、このどちらかによって、「コロナの第二波、第三波」だけでなく、日本企業にとっては絶対に避けて通れない「巨大リスク」、「南海トラフ大地震、首都圏直下大地震等、地震リスクへの備えができる否か」が決まる。そう考えると、「大地震が起きて慌てるか否かは、今決まる」と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Risk Management 36-Revisions to the Rules

Due to the global spread of a new type of coronavirus (pandemic), it was decided to postpone the hosting of the Summer Olympics, the Tokyo Olympics, which was scheduled to be held in July 2020, for a total of 56 years since the 1964 Games in Tokyo.

However, due to the spread of the pandemic, which still shows no signs of ending, it is clear to everyone that the Olympics will be difficult to continue to be held next year unless various conditions are met to ensure the safety of hosting the Games, including the development of a vaccine and the prompt provision of the vaccine.

1. Revision of the Olympic Rules

The Winter Olympics were held in Sapporo in 1972 and Nagano in 1998 in Japan, and like the Summer Olympics, they provided the Japanese people with great excitement. When the Nagano Olympics were held, Japan was all about the Nagano Olympics. Many people in Japan rejoiced at the heroic appearance of the “Hinomaru Flying Corps,” but strangely enough, we did not see the “Hinomaru Flying Corps” in news reports and newspaper articles after that. One of the reasons for this is said to be the “revision of the rules”.

It is said that the length of skis is the most important factor in determining the distance to be flown, and the rules have been frequently revised. In the past, skiers in Nagano and Sapporo Olympics have been using the rule to calculate the length of skiing. In the past, the rule has been revised at the end of the season when Japanese skiers competed on a global scale, such as at Nagano and Sapporo Olympics. However, since the change to the current system, smaller players have often been at the top of the standings, and there are some who argue that the rules have been changed to the disadvantage of Japanese players, and that the lack of generational change may be the reason for the stagnation of the sport.

However, it is also a fact that the rules are almost always revised the year after a Japanese player has played an active role in the sport.

2. Disarmament rules

About 80 years ago, the “rules” that drew the attention of many countries were not in the field of sports, but in matters of armaments. In 1922, the Naval Disarmament Conference was held in Washington, D.C., and although the disarmament of battleships and other mainstay ships was settled, there were no regulations on auxiliary ships below cruisers. Therefore, each country built as many high-performance ships as possible within the treaty.

In particular, the Myoko heavy cruiser built by Japan at the time was far superior to the ships of other countries and surpassed even the battleships. As soon as this became known, Western powers advocating “disarmament rules for auxiliary ships” immediately called for a limit on the amount of auxiliary ships that could be held, and a disarmament conference was held in London in 1930 to that end.

Considering the order of magnitude difference in industrial strength between Japan and the U.S. at that time, it could be said that “a disarmament clause of less than 70%” was in fact an unbeatable condition for Japan. Therefore, the Cabinet and the Ministry of the Navy were in favor of this policy.

However, the Imperial Japanese Navy at the time was an organization composed of two bodies: the Ministry of the Navy, a governmental body subordinate to the Cabinet and in charge of military administration and personnel affairs, and the Military Order Department, which controlled the operations and command of the entire navy. The military commander’s office advocated a policy of rejecting the treaty on the grounds that its own claims had not been fully met, and the navy was divided into two factions: the “treaty faction” in favor of the treaty and the “fleet faction” in opposition.

Furthermore, the “problem of the dereliction of command authority” erupted. Right-wingers and the Seiyukai attacked the Hamaguchi Cabinet, arguing that the decision by “the Hamaguchi Cabinet to decide on the amount of force to be used without the approval of the Navy’s General Staff was a violation of the Emperor’s command authority”. Then, in January 1936, Japan withdrew from the Treaty, ending the era of disarmament and thrusting the era into World War II.

Behind the spectacular successes of the Allied Fleet of the Japanese-Sino and Japanese-Russo fleets, there were strategically skilled military commanders. However, the era of big ships and big guns was over, and the mainstay of strategy in the Pacific War had already shifted to aircraft carriers and fighter planes, as Japan had proved in the attack on Pearl Harbor. As a result, the military commanders were forced to fight an uphill battle in the face of the overwhelmingly large U.S. arsenal, and the war plunged into a “war without a plan”.

3.What are the rules?

The word “Rule” comes from the ancient Roman word for “straight stick”. It turned from there to indicate “a rule or rule to correct people uniformly” and came to mean “king”. A powerful political leader is sometimes called a “Ruler”, but to begin with, the meaning of Ruler is divided into two parts. One is ruler or sovereign, and the other is ruler. Both meanings are a direct descendant of the ancient Roman language. Both the ruler and the ruler, once decided, have been thought to be “absolute, like a king”. However, those absolute “rules” also change as things progress and develop.

Many Japanese view the rules as a kind of common sense that everyone must follow as a matter of course. The United States is a nation born out of rebellion against British unequal colonial rule. Why so many Americans prefer coffee rather than tea, which is commonly consumed in Britain, seems to be due to one of the symbolic events of the American Revolution, when one considers it carefully.

In the then Massachusetts colony of Boston, now Massachusetts, USA, people who were outraged by British colonial policy broke into a freighter and dumped a British East India Company shipload of tea into the sea, allegedly because they boycotted tea, a symbol of British culture since this “Boston Tea Party incident”.

In negotiations with the West, it is very important to recognize that “rules are not predetermined, but change with the environment at any given time”. Whenever I meet Asian people in London, I always wonder why so few Japanese can speak English when they have studied English for six years in junior and senior high school and eight years if you include the liberal arts courses at university, and they say they never went to university but speak English very well.

What they all have in common is that they are all trying to convey their intentions, and they speak “like a machine gun, speaking unwritten words that are secondary or tertiary to grammar and so on”. On the other hand, I feel that many Japanese who do not speak English are so concerned about grammar that they don’t speak, wondering if they are making a mistake. What is the purpose of speaking? This is an example of how it is vital to consider its purpose.

Summary of this issue

Many people feel that when they get serious about risk management, it’s “full of English Jargon,” which is true from the word “risk management”. Why don’t you call it risk kanri (management in Japanese)? I was once asked a question at a company, I answered, “The nuances of the word ‘Kanri’ (management) are so static and passive that we don’t dare to use it as a translation because we don’t want people to get the essence of risk management wrong.

I added, “You can’t just sit at your desk and look at a report and decide what to do, but rather, it is important to go to the site and interview the departments in charge to find out the seeds of the risk, which can often lead to major damage”.

This is because we believe that there is no royal road (rule) to risk management, and that true risk management can be achieved by steadily and painstakingly examining risks and setting a visible goal of establishing a captive. If a company had been able to assess the risks with such an eye, it would have been able to minimize the impact of the global spread of the new corona virus.

The Global Link’s business is built on international exchanges, negotiations and traffic.This is because the state of Hawaii in the United States is where the captive is established, and London in the United Kingdom is where the risk in Japan is diversified by reinsurance.

In the negotiations with foreign countries in which I have been involved over the years, I have been exposed to and encountered many risks. In the case of terrorist attacks, such as the September 11, 2001 terrorist attacks on the United States, the London bombings in July 2005, the 2002 SARS (Severe acute respiratory syndrome) in China, and the 2012 MERS: Middle East respiratory syndrome coronavirus from a traveler to the Middle East in London,” etc.

As I mentioned in my previous column, remote work has been the basis of our business, even though we have been located in the heart of the city, Tokyo, since our founding. This is because it is one of the risk countermeasures that we have taken as a result of risk management for our business.

I suspect that the recent events have made many companies realize that risk management is the key to corporate strategy. Depending on whether one decides on a corporate strategy for the post-Corona period without risk management or engages in full-fledged risk management for the purpose of establishing a captive, it will be up to the companies to decide on not only the second and third waves of the Corona, but also the huge risk that Japanese companies cannot avoid. major earthquakes. And it will determine whether or not they can prepare for a major earthquake, such as the Nankai Trough or a major earthquake directly under the Tokyo metropolitan area. When you think about it, it’s not too much to say that “whether or not to panic in the event of a major earthquake will be decided now”.

Author/translator: Shinichiro Hatani