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企業戦略 2020.02.22

CS 6 「スティーブ・ジョブズ」 “Steve Jobs”

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

米国ハワイ州最大の日系損害保険会社、その一部門として「キャプティブ・マネジメント会社」を創始した、日系三世の「キャプティブ・マネージャー」に東京で初めてお目にかかったのは、2011年の暮れであった。日本の「キャプティブの未来像」を熱く語る彼に、「実は、私もフィラデルフィアのCIGNA(シグナ)にいて、所属していたのはESIS(キャプティブ部門)でした」と話すと、一気に話しが進んだことを昨日のことのように憶えている。

それから2年ぐらい経ったある日、突然、「『Hatani (羽谷)哲学』に似ている」と、彼が次の言葉をメールで送ってきた。「哲学」というのは「philosophy」を彼なりに日本語に訳した言葉であろう、「信条」の方が彼の意図に合う訳語であると思う。

People don’t know what they want until you show it to them.”(人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ)―Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)

グローバル・リンクを創業して、インターネットを検索、「キャプティブのコンサルティング」について色々と調べてみた。しかし、「当時世界最大と言われた保険会社の米国本社で、米国のグローバル企業のキャプティブの業務に本格的に携わった経験を有する筆者」にとってさえ、曖昧模糊とした説明が多く、これでは「これからキャプティブを検討する人たちにとっては、不明瞭で理解できない、混乱するのではないか」と感じることが多かった。

そのため、まず、グローバル・リンクでは、用語の定義を再検討することから事業を開始した。キャプティブの邦訳名も、それまで定着していた「自家保険会社では、何のことを言っているのかよく解らない」という意見が多く聞かれたため、キャプティブの邦訳名を「自社専用保険会社」と案出した。

また、不明瞭だったキャプティブ設立のコンサルティング段階についても、「フェーズ1(事業化調査)」「フェーズ2(キャプティブの設立)」「フェーズ3(キャプティブの運営管理)」と命名、一つ一つ、分りやすく明確にしていった。そのためか、最近では多くのキャプティブ関係のコンサルティング会社でも、これらの言葉を使用されているようである。

メールが来てしばらくして、「なぜスティーブ・ジョブズの言葉を送ってきたのですか」と彼に聞くと、「これまで『明確な形が無かった』キャプティブのコンサルティングを明確に、誰でもその形が想起できるようにするために『何もないところから色々なアイデアを生み出してきた姿』を見ていて、ふと、似ているなと思って送った」との答えが返ってきたので、「とんでもない、そんなに偉い人間ではありません」と答えたことをよく憶えている。

1. スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)

1976年、スティーブ・ジョブズは、「アップルコンピュータ・カンパニー(以下、アップル)」を創業した。アップルが翌年発売した「Apple II」は、多くの人から絶賛を浴び、パーソナルコンピュータ(PC)という概念を世界に浸透させることになった。これによって、大きく飛躍したアップルは、1980年株式公開(IPO:Initial Public Offering)。ジョブズも莫大な資産を手に入れ、一躍「時の人」となった。その後も続々と新しいコンセプトで、新たなPCを開発、「Macintosh(マッキントッシュ)」と名付け、1984年に発売を開始した。

当初は売れ行きも非常に好調であったが、数カ月後にはなぜか深刻な販売不振に陥った。この結果、翌1985年、ジョブズは閑職へ追いやられ、後にアップルを去ることになった。

その後、別の業界に自分の活躍の場所を見つけたジョブズは、その分野でも成功を収め、マイクロソフトの「Windows」によって、深刻な業績不振に陥っていたアップルに1996年復帰、翌年には、i CEO(暫定CEO)に就任、その後もアップルの業績を向上させ続けた。 2000年、正式にCEOに返り咲き、iPod、iPhone、iPadと立て続けに新機軸の商品を市場に提供、アップルの業績を大きく拡大していったが、2003年には膵臓がんと診断され、2011年10月惜しまれながら逝去した。

アップルが、現在もIT業界の巨人の名を欲しいままにしているのも、このスティーブ・ジョブズの貢献無くしては、成し遂げられなかったことと言えよう。

2.欧米企業との企業戦略の差

戦後、ソニー、ホンダなど、数々のユニークな商品を市場に提供して大きく成長した企業が中心となって、日本の高度経済成長を牽引してきたが、今やGAFAと呼ばれる巨大米国IT企業の出現、経済の急速なグローバル化、新興国の台頭といった社会変革のなかで、日本企業はその存在感を低下させつつある。

「日本のお家芸」とも言われた家電の分野に於いても、グループ10万人超の巨大企業が倒産を経ずに、経営統合で事実上消滅するという、日本の経済史でも初めてとなるようなことが起き、また、創業100年を超える大手電機メーカーが外資の傘下となる等、往時の勢いは全くない状況になっている。


「日本企業は、なぜかつての輝きを失ったのだろうか?」

このコラムの別のカテゴリー、「企業戦略」、「キャプティブ」等にも、様々な事例を挙げて具に記してきたが、「欧米企業と日本企業の差を挙げろ」と問われたら、「過去の成功体験をどう扱うかに関して大きな違いがある」と答えるが、それがこの問いに対する答えでもある。この一点で企業の行く末は、大きく変わると言っても差し支えない。「成功体験をただ踏襲するのか、それともそれを乗り越えてイノベーションしていくのか」である。スティーブ・ジョブズが、それを教えてくれた。「アップル」から「マッキントッシュ」へ、そして「iPod、iPhone、iPad」へとイノベーション(革新)していったからこそ、現在のアップルがある。

「リスクマネジメントの根本は『思い込み』を排することである」と繰り返し記してきたが、多くの日本企業は、技術的な優位性があればビジネスでも優位に立てるという「思い込み」から、同じ失敗を繰り返していると考えられる。自ら、開発した技術が、そのまま製品の付加価値として、つくった製品も売れに売れた、1970年代、80年代の成功体験が忘れられないからであろう。

言い換えると、「経営課題を全て技術の問題として解決しようとしてきた」というところに行きつく。技術は優れているのに世界的な競争に勝てないケースが目に付く。その差は、「企業戦略」という言葉のなかにある「戦略」という言葉の意味が理解されず、「計画」と同義になっているところにあると考えている。企業戦略は、全責任を担うトップが決め、「トップダウン」で企業の末端まで徹底されたとき、その威力を遺憾なく発揮するものだからである。

「紙に記した戦略」は無くとも、ホンダにしてもソニーにしても、創業者トップの号令が「明確な戦略」であった。「世界のホンダを目指す、マン島レースに挑戦する」と本田宗一郎氏が従業員に向かって熱く語った時、「金庫の中は、非常に寂しい状況」であり、稀代の名参謀、藤沢武夫副社長は、その費用の捻出に駆けずり回って用意したと言われている。そして、このマン島レースの優勝によって、「世界のホンダ」の幕が開いたのである。

「戦略」は、トップが決め、全スタッフはそれを執行する典型的な例であろう。「藤沢武夫の研究」(山本祐輔 著:かのう書房刊)によると、後年、藤沢武夫氏が亡くなった後、日本人として初めて米国の自動車殿堂入りをして帰国した本田宗一郎氏は、藤沢邸に向かい、位牌に受賞したメダルを架け、「これは二人でもらったんだ」と語りかけたと言われている。

戦略とは「一か八かの賭け」ではない、綿密な「内部分析、競合分析、環境分析」を経て導き出されるものである。しかしながら、このために「戦略の策定」が「参謀スタッフの仕事」となると、太平洋戦争における日本軍と同じであり、その結果も同じくなるであろう。

日米開戦の際、日本軍は「土曜会」という非公式な会合の場をつくり、陸海軍の調整をした。メンバーは「参謀」中佐、大佐クラスの課長級である。ここで協議され、陸海軍のトップの会議で承認決定した。つまり、課長クラスが実質的に決め、トップはハンコを押すだけのものであった。現在の日本企業でもよく見る構図ではないだろうか。一方、米軍は、陸海軍を代表する4名」だけで統合参謀本部会議をおこない重要事項を決定したのである。「視野が元々異なる人間が決める戦略は、戦略と称しながら自然と戦術レベル、更には行動計画レベルに陥る可能性を旧日本軍は教えてくれているのではないだろうか。

「戦略はあくまでもトップが決める」、このように考える経営トップは、既に「綿密な『内部分析』、『競合分析』、『環境分析』等を紙に落とさずとも、その準備段階を自らの脳内活動のなかでおこなっている」ものである。

3.企業戦略の根幹

企業にとって根幹の企業理念である「ミッション」(使命)を決め、「企業が目指すべき市場とそのなかでの立場」、これを「戦略ドメイン」と呼ぶが、その戦略ドメインに向かって進んでいくための「知恵の発露」が「戦略」である。その戦略を細分化していくと出てくるものが「戦術」であり、これらを背景にして事業活動をおこなっていく、その細かな計画が「行動計画」(アクション・プラン)である。

しかし、多くの企業では、戦略レベルで決めるべき事柄に「戦術レベル」の事柄が同列に置かれていることや、戦略と行動計画が並列、また「目標数字の羅列が『企業戦略』となっている」企業も多いと聞く。そのような企業で横行していることが、過去の成功体験への固執である。事業が不振になってきている企業、特に重厚長大企業では、その理由が企業戦略のかじ取りの判断に遅れがあったことが挙げられるであろう。多種多様な部門を抱える大企業の場合、日本特有の「バランスをとる」ということから、「思い切った決定は困難であった」と後を振り返る企業が何と多いことであろうか。

明治維新から40年を経て、日本はロシアとの戦争に臨んで勝った。しかし、この日露戦争後、日本は勝因やロシア側の敗因を分析することはなかった。重要な勝因であった、英国より得た最新の通信機器等、極めて高度に整備された情報通信システムの価値を受け止めることなく、日本海海戦の「華々しい勝利」を絶対視して、精神至上主義に陥り、「戦略と戦術の違い」を省みることなく、成功体験におぼれて「艦隊決戦、大艦巨砲主義」の流れを加速していったのである。

旧来の戦争では、軍事力と作戦が勝敗を決する最重要要素であったが、新しい戦争では、国民総力を結集した「総力戦」へと、その質及び、性格に大きな変化が表れていた。その萌芽が日露戦争にあったにもかかわらず、「戦争の進化」に気付くことなく、総力戦、長期戦に対する戦略的思想が醸成されない硬直化した考えのまま、太平洋戦争を迎えたのである。

これは、現在、企業においても同じことが言えるであろう、「事業形態、事業モデルの進化」に気が付くか否か、戦後75年を迎えた今年、このまま日本の「ものづくり」が衰退していくのか、その大きな岐路に立たされていると言っても過言ではないだろう。

今回のまとめ

企業戦略は「リスクマネジメントによる検討と検証」が根底に有ってこそ、その効用を大きく、強くするものである。そのためもあってか、「面倒な、複雑な分析」をおこなうスタッフに対して、「戦略の素案」までつくらせる企業が多いと聞く。これでは、旧日本軍のように最初から「戦略の選択肢、視野が狭められる」ことになり、的確な戦略を策定できる可能性を減じていることになる。

「戦略はトップが心血を注ぐ思いでつくりあげる」という思いを持つトップであれば、つくりあげた戦略は瞬時に最前線の社員にまで徹底される、それをスティーブ・ジョブズから教えられた思いである。

その根幹はリスクマネジメントである。キャプティブを視野にいれた本格的なリスクマネジメントこそ、大きく変革しゆく現代の市場を勝ち抜いていく「強い武器」になると考えるものである。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

 

English Translation

Corporate Strategy 6 – “Steve Jobs”

It was late 2011 when I first met a third generation Japanese American “captive manager” in Tokyo who founded a captive management company as a subsidiary of the largest Japanese property and casualty insurance company in the state of Hawaii. He spoke passionately about the future of captives in Japan, and I told him, “Actually, I was at CIGNA in Philadelphia, and I belonged to ESIS (captive division),” and the conversation quickly progressed, which I remember as if it was only yesterday.

One day, about two years later, he sent me an email saying, “It’s similar to the Hatani philosophy”. I suppose “philosophy” is his own translation of “philosophy” into Japanese, and I think “creed” is a more fitting translation for his intentions.

“People don’t know what they want until you show it to them.”-Steve Jobs

When I founded Global Link, I searched the Internet and did a lot of research on “captive consulting”. However, even for “the author, who worked at the U.S. headquarters of one of the world’s largest insurance companies at the time and was involved in full-fledged captive work for a global U.S. company,” many of the explanations were vague, which “would be unclear, incomprehensible, and confusing to prospective captives”. I often felt that it was not the case.

Therefore, Global Link began its business by reviewing the definitions of terms. The Japanese translation of the name “captive” was also changed,because many people said that they did not understand what we were talking about at “ourir own insurance company, which had been established until then, to “Our Own Dedicated Insurance Company”.

Also, the consulting phase of the captive’s establishment, which had been unclear, was named “Phase 1 (commercialization study)”, “Phase 2 (captive establishment)”, and “Phase 3 (captive operation and management)” to make each of these phases easier to understand and clarify. Perhaps that’s why many captive-related consulting companies are now using these terms.

When I asked him why he sent me Steve Jobs’ words, he replied that he was trying to make captive consulting, which had never had a clear form before, clearer, so that anyone could recall the form, by describing “the way he created various ideas from nothing. I remember very well when I received the answer, “I sent it to you because I suddenly thought it looked like” and I replied, “No way, I’m not that great of a person”.

1. Steve Jobs (Steve Jobs)

In 1976, Steve Jobs founded the Apple Computer Company (“Apple”). Apple released “the Apple II” the following year to great acclaim and introduced the concept of the personal computer (PC) to the world. This marked a major leap forward for Apple, and in 1980, Apple went public with its Initial Public Offering (IPO). Jobs also acquired enormous assets and became “a person of the day”. Apple continued to develop new PCs based on new concepts, calling them the Macintosh and launching them in 1984.

Initially, sales were very strong, but a few months later, sales slumped for some reason. As a result, the following year, 1985, Jobs was forced into a quiet position and later left Apple.

Later, he found his place in another industry, and he found success in that field as well. He returned to Apple in 1996 after a serious slump with Microsoft’s Windows, and the following year he was named i CEO (interim CEO) and continued to improve Apple’s performance. In 2000, he officially returned as CEO and introduced a series of innovative products to the market, including the iPod, iPhone, and iPad, which greatly increased Apple’s financial performance, but he was diagnosed with pancreatic cancer in 2003 and passed away in October 2011.

Without Steve Jobs, Apple would not have been able to achieve what it has without him.

2. Differences in Corporate Strategy from Western Companies

In the post-war era, companies such as Sony and Honda, which grew substantially by offering a number of unique products to the market, were the main drivers of Japan’s rapid economic growth. In the midst of social change, however,such as the emergence of the giant U.S. IT company known as GAFA, the rapid globalization of the economy, and the rise of emerging economies, Japanese companies are declining in their presence.

Even in the field of consumer electronics, once regarded as one of Japan’s specialties, a group of more than 100,000 people effectively disappeared through a merger rather than bankruptcy for the first time in the country’s economic history.

Why have Japanese companies lost their former glory?

In other categories of this column, such as “Corporate Strategy” and “Captives,” I’ve written about a variety of cases, but when asked to name the differences between Western and Japanese companies, my answer is that there is a big difference in how they handle past successes. It would be fair to say that this one point will make a big difference in the future of companies. Will we just follow the success story or will we overcome it and innovate? Steve Jobs taught us that. Apple would not be where it is today if it hadn’t innovated from ‘Apple’ to ‘Macintosh’ to ‘iPod, iPhone and iPad’.

I have repeatedly written that “the basis of risk management is to eliminate ‘assumptions'”.Many Japanese companies seem to be repeating the same mistakes because they are convinced that their technological superiority will give them an edge in business. The reason for this is that they will never forget the successful experiences of the 1970s and 1980s, when technologies developed by them became the added value of their products, and the products they created were sold like hotcakes.

I have repeatedly argued that the key to risk management is to eliminate assumptions. This is probably because they cannot forget the successful experiences of the 1970s and 1980s, when the technology they developed became the added value of their products, and the products they made were sold very well.

In other words, the company has tried to solve all of its management problems through technology. There are many cases where technology is excellent, but the company is unable to compete on a global scale. I believe the difference lies in the fact that the meaning of the word “strategy” in the term “corporate strategy” is not understood and has become synonymous with “planning”. This is because corporate strategy is only effective when it is decided by the top management, who have total responsibility for the company, and when it is carried out from the top down to the end of the company.

Even without a written strategy, Honda and Sony had a clear strategy. It is said that when Soichiro Honda told his employees that he was going to take on the Isle of Man Race to “become the Honda of the world”, the company’s vault was in a very desolate condition, and Takeo Fujisawa, the company’s vice-president and chief strategist, scrambled to find the money to pay for the race. This victory in the Isle of Man race marked the beginning of the Honda of the world.

Strategy is a classic example of how the top management decides what to do and the entire staff implements it. According to a book titled “A Study of Takeo Fujisawa” (written by Yusuke Yamamoto, published by Kanō Shobo), after Takeo Fujisawa’s death, Soichiro Honda, the first Japanese to be inducted into the U.S. Automotive Hall of Fame, went to Fujisawa’s house, placed the medal he had won and told him, “This is the medal we received together”.

Strategy is not a matter of “betting on one thing or another,” but rather it is something that is derived through detailed “internal analysis, competitive analysis, and environmental analysis”. However, if this makes “formulating strategy” the “job of the staff of the General Staff,” then it would be the same as the Japanese military in the Pacific War, and the results would be the same.

At the outbreak of war between Japan and the United States, the Japanese military created an informal meeting place called the “Saturday Meeting” to coordinate the Army and Navy. Its members were the “General Staff” and section chiefs at the rank of lieutenant colonel and colonel. It was discussed and approved at a meeting of the top brass of the Army and Navy. In other words, the section chiefs made the substantive decisions and the top brass simply stamped their stamps. This is a structure that can be seen in many Japanese companies today. On the other hand, the U.S. military held a meeting of the Joint Chiefs of Staff with only “four representatives of the Army and Navy” to make decisions on important matters. Doesn’t the former Japanese military teach us that strategies decided by people with differing perspectives have the potential to naturally devolve to the level of tactics and even action plans, even though they call them strategies?

The top management that believes that strategy is decided by the top management is already conducting thorough internal analysis, competitive analysis, and environmental analysis in their own brains, without dropping it on a paper.

3. The Basis of Corporate Strategy

A company decides on its mission, which is its fundamental corporate philosophy, and decides on the market it should aim for and its position in that market, which is called the strategic domain. Strategy is the “wisdom that emerges” to move toward the strategic domain. When the strategy is subdivided, “tactics” emerge, and the detailed plan for carrying out business activities based on these strategies is the “action plan” (action plan) against the background of these tactics.

However, I have heard that in many companies, matters at the tactical level are placed on the same level as matters that should be decided at the strategic level, or there are many companies where the strategy and the action plan are parallel to each other, or where the corporate strategy is a list of target figures. In such companies, adherence to past successes is widespread. The reason for this is the delay in determining the direction of corporate strategy in companies that have been underperforming, especially in Prominent and large enterprises. In the case of large companies with diverse divisions, the Japanese way of “balancing” made it difficult to make drastic decisions, and I wonder how many of them look back on it in retrospect.

Forty years after the Meiji Restoration, Japan went to war with Russia and won. However, after the Russo-Japanese War, Japan did not analyze the cause of victory or the cause of Russia’s defeat. Without accepting the value of the extremely highly developed information and communication system, such as the latest communication equipment obtained from Britain, which was an important cause of victory, Japan regarded the “spectacular victory” of the Battle of the Sea of Japan as absolute and fell into spiritual supremacy, and without considering the “difference between strategy and tactics”, they fell in love with the successful experience and became “fleet decisive, big ship big gun principle”. The new war accelerated the trend of “total war”.

In the old wars, military force and strategy were the most important factors in determining victory or defeat, but the new wars showed a major change in the quality and character of the wars, as they became “total warfare” in which the entire nation was mobilized. Although the germ of this change was the Russo-Japanese War, the Pacific War came with a rigid mindset that did not recognize the evolution of war and did not foster strategic thinking about total and long-term warfare.

It would not be an exaggeration to say that in this year of the 75th anniversary of the end of World War II, we stand at a major crossroads to determine whether or not Japan’s monozukuri (manufacturing) will continue to decline.

Summary of this issue

Corporate strategies are only as effective and powerful as the foundation of risk management. It may be for this reason that many companies ask their staff, who are engaged in complicated and tedious analysis, to create a draft of their strategy. The result is a narrowing of strategic options and perspectives, just as the old Japanese military did, and a reduction in the possibility of formulating an accurate strategy.

Steve Jobs taught me that if a top executive puts his heart and soul into creating a strategy, then that strategy can be instantly disseminated to employees on the front lines.

The foundation of this strategy is risk management. I believe that full-scale risk management with captives in mind is a powerful weapon for winning in today’s rapidly changing marketplace.

Author/translator: Shinichiro Hatani