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企業戦略 2021.02.19

CS20-名産品の誕生 The birth of a speciality

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

日本各地の郷土料理や、流行のソウルフードを紹介する人気のバラエティーTV番組があるが、筆者の郷里である山形県の「珍品料理」が採り上げられるたび、友人から「見たか?」、「そうなのか?」と聞かれるので、当TV番組を見るようになったが、珍品料理に対する出演者の驚きの反応に苦笑するとともに、子供の頃には当たり前の料理・食材と気にも留めなったものが、実は全国的には極めてユニークな食文化であり、意外な価値を持つものでもあることを再認識させられる。

確かに、例えば、山形で親しまれてきた「芋煮会」(大鍋と里芋や牛肉などの食材を参加者が持ち寄って川縁などの屋外で一緒に煮込んだ大鍋を囲む秋の伝統的なピクニック)は、山形の秋の風物詩として季節になれば全国放送で紹介され、県外の観光客を呼び込むようになった。使う食材自体はごく普通の「だし」(夏野菜と香味野菜を刻んで和えて味付けしたスピード料理)「玉こんにゃく」(醤油とスルメなどで味付けした固めの丸いこんにゃく)などの山形の伝統食を、首都圏のスーパーでは今では普通に購入できるようになっているが、食文化のユニークさが市場価値を高めたのだろうか。

1.山形の風土

山形県は、最上川に沿って、上杉藩があった米沢市が所在する置賜地方、県都の山形市がある村山地方、山形新幹線の終点新庄市がある最上地方、そして日本海に注ぐ最上川河口周辺の酒田市・鶴岡市がある庄内地方に分かれる。「山形弁」とされる方言も、上方の影響を受けて、新潟・秋田の方言と共通性を有する庄内地方の「庄内方言」と、むしろ宮城県や福島県の方言に近い最上・村山・置賜の「内陸方言」に区分され、内陸方言も3地方それぞれ若干異なる。これは、「山形」は、最上川を挟んで南北に縦断する奥羽山脈と朝日連峰などで85%を文字どおり山地が占める地理的な要因と、8世紀初頭に出羽郡が置かれるまで庄内地方は越後国、置賜・村山・最上地方は陸奥国の一部とに分かれており、その後の歴史においても、中世、近世と、県域の多くを荘園、小藩、天領が分立してきたことで、方言も多様になったとみられる。

山形県は日本でも有数の豪雪地帯であり、夏は、特に盆地特有のフェーン現象で昼間は猛暑だが、夜間は涼しい。生活には厳しい気候だが、山の恵みや美味しい米や果樹などの農業生産には最適である。

こういった山形の風土が、地域毎に美味しくユニークな名産品を生み出してきたのだろう。

2.食文化のブランド化

山形には、将棋駒などの伝統工芸品(天童市)も若干あるが、米どころや果樹王国として知られる典型的な農業県である。米(つや姫、はえぬき)、サクランボ(佐藤錦)、西洋梨のラ・フランス、尾花沢スイカなど、ブランド化した作物が数多くあり、畜産でも、米沢牛(置賜地方)や三元豚(庄内地方)などがある。

しかし、筆者の少年時代の昭和40年代頃までは、全国的に名が通っていた山形産品の代名詞とされた農産物は、サクランボくらいであったと思う。食文化でも、芋煮会ですら知られていなかった。全国的には、山形は極めて地味な存在でしかなかったのである。

因みに、山形の「芋煮会」の芋煮の食材で共通しているのは里芋だけで、肉は牛肉が有名だが、筆者の少年時代に芋煮作りをしていた頃は常に豚肉であったように、その他の食材は地域によってまちまちである。「芋煮会」が全国に知られるようになるにつれて、山形市周辺の芋煮がスタンダードになったようだ。

しかし、この20~30年程で、山形の様々な農産物がブランド化され、食文化やローカル・フーズが全国区に踊り出たことには、正直驚いている。

3.サクランボとラ・フランス

昭和53年(1978年)の農産物自由化で米国産サクランボの輸入が解禁された。米国産はサクランボ玉がはち切れんばかりに大きく立派で、傷みにくく何と言っても安いので、当初は多くの生産農家が「太刀打ちできない」と悲観していた。

山形の「佐藤錦」は、果皮が柔らかく甘くて実に美味いが、梅雨時の6月下旬が収穫期なので、完熟した薄い果皮は雨にあたって簡単に割れてしまい、2割くらいは売り物にならなかった。そこで、サクランボ玉が雨にあたらないようにサクランボの木をテントで覆ってしまい、真っ赤に完熟してから収穫・出荷するようになると、完熟した大粒のサクランボがほとんど割れずに、より美しく糖度も増すようになり、米国産に押されるどころか値崩れもせず、「佐藤錦は、『酸っぱくて果皮が堅い米国産』とは別物の高級サクランボ」と消費者に受入れられて今日に至っている。

ラ・フランスは明治後期にヨーロッパから山形県に入ったが、「生食用の西洋梨」として広く知られるようになったのは昭和60年代になってからとされる。明治初期に入ってきた缶詰加工用の別種の西洋梨(バートレット)の受粉樹として育てられ、100年程は表舞台に出ることはなかった。生食用としては見た目が悪く、生育期間が長く収穫まで手間がかかって病害虫に弱いことから、その美味しさに「フランスを代表するにふさわしい果物」として「ラ・フランス」と命名されたが、最近ではその原産国フランスでは作られなくなったという。この難しくデリケートな果樹の栽培を成功させたのが、官民一体の努力による土作りと安定した栽培方法の確立、そして昼夜の温度差が大きい山形の気候にあり、山形県のラ・フランス生産は全国の生産高の8割を占めるに至っている。

 

4. 将棋の駒

山形市の北隣に位置する天童市は、将棋の駒の生産地として有名である。先日の日経新聞「NIKKEIプラス1 何でもランキング」の「伝統的工芸品 知って日本通」に「天童市の将棋の駒の全国シェア」のQ&Aが出ていたが、答えは「9割以上」であった。

天童藩は、織田信長の流れを汲む織田信美(のぶかず)が天保元年(1830年)に出羽国高畠藩(現山形県高畠町)から移転して立藩した。僅か2万石の同藩は、財政難で家臣の俸禄借り上げ、倹約令の施行等をおこなったが、紅花の専売制等の藩政改革は失敗して藩内は困窮に苦しんだ。

この時、生活の困窮にあえぐ下級武士の救済策として当時流行していた将棋の駒の製作を藩士に奨励したことが、「将棋の街」の基になったとされる。明治維新により家禄を離れた下級の家臣が内職で習得していた製造技術(木地造り、駒書き)を活用して分業して大衆駒を製造していたが、昭和に入って大量生産が可能になり、彫駒に、彫埋駒・盛上駒などの高品質な製品を造るようになり、今日のブランドが確立したのである。

今回のまとめ

山形の厳しいが豊かな恵みもたらす自然環境の中で、つい30~40年前までは、米やサクランボなどの一部を除けば地産地消型の地元向け農産物の生産が大半で、産地としての「山形」がブランド化されることは考えられなかった。

しかし、最近は、農産物をはじめ、芋煮会や独特の堅い蕎麦や冷やしラーメンなどのユニークな食文化が脚光を浴びて、ある種のブランド化が進んで全国に知られるようになり、現下のコロナ禍前までは国内外から多くの観光客を集めるに至っている。

桜が咲き乱れる頃に催される天童の「人間将棋」では、甲冑や着物姿に身を包んだ武者や腰元たちが将棋の駒となり対局を行う。また、名人戦などの数多くの将棋プロ棋士タイトル戦が天童市を会場に繰り広げられる。将棋をテーマとする華やかなイベントだが、将棋の駒が天童の名産品になる発端には、天童藩の下級藩士たちの必死の思いがあった。

企業戦略の重要な核、それは「マイナスをプラスに転換すること」である。何故、山形はそれができて、「市場価値」を高めることができたのだろうか? 

これは、農産品それぞれの競争優位性を入念に分析、成長戦略を構築したことによると考えている。つまり、「寒暖の差の大きい風土」を活かし、糖度が高く美味い最高品質の農産物を弛まない努力の結果つくりあげた、テレビドラマの最高視聴率を記録したNHKテレビ小説「おしん」に代表される「辛抱強い県民性」を活かしたのである。

また、将棋の駒などの工芸品の高付加価値化と生産・流通システムの整備を長年にわたり地道に積み上げてきた結果であり、「山形日和」という山形県の観光キャッチフレーズにも表れている「美味い、ユニーク、楽しい」というイメージ戦略が奏功したものであると考える。このことは、コトラーのマーケティング論にも符合するものであり、企業の経営戦略においても示唆に富むものである。

弊社の推奨するリスクマネジメント型キャプティブ、つまり「ソリューション・キャプティブ®」は、「Turning Risk to Profit®」の観点から、企業の抱えるリスクを「マイナスからプラス」に転換することを可能にする重要な企業戦略となる。

そのステップは、「①企業リスクを調査・分析して最適な保険を検討する。②その上で、キャプティブ(自社専用保険会社)のプログラムを通じて、世界最大級の再保険会社から企業が必要十分と考える補償を確保する。③そして日本の保険会社(元受保険会社)は、その補償を背景として保険引受を行う。」の流れになる。

弊社の実績では、通常では確保が困難な「高額な補償枠」・「広範な補償内容」の保険を企業は確保でき、「海外の低廉な再保険料のおかげで生み出せる保険料の国内と海外の保険料の差」により、キャプティブを介さない場合より遙かに低廉なコストで補償を安定的に確保できている。

さらに、自社リスクを自社のキャプティブが引受けることから、社内のリスクマネジメント意識も高まる。また、上述はキャプティブの利益になり、子会社であるキャプティブに蓄積されるこの利益は配当として本社に戻し、企業に損害が発生した場合などに備える資金に充当することもできる。これが、企業戦略に「解」を与えるキャプティブ、「ソリューション・キャプティブ®」である。

東日本大震災大震災の大きな余震を受けた今、このソリューション・キャプティブ®の設立を通じて、充分な補償額を有し広範な補償条件を持つ地震保険を付保することを企業戦略の中心にして検討してみたらいかがだろうか。

                                                                                                                                                       執筆者:菅原   伸 雄
                                          翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Corporate Strategy 20 – The birth of a speciality

There is a popular variety TV programme that introduces local cuisine and trendy soul food from all over Japan, and whenever the author’s hometown in Yamagata Prefecture is mentioned as a “delicacy”, friends ask, “Have you seen it? ” or “Is it so?” I am struck by the surprising reactions of the broadcasters to the unusual dishes, and I am reminded that what I took for granted as common food and ingredients when I was a child is in fact an extremely unique food culture in Japan, and one with unexpected value.

Certainly, for example, Yamagata’s popular “Imoni-kai” (a traditional autumn picnic where participants bring a large pot and other ingredients such as taro and beef and cook them together in a large pot outdoors at the edge of a river) has become a seasonal autumn tradition in Yamagata, being introduced on national television and attracting tourists from outside the prefecture. The ingredients used are the usual “dashi” (a speedy dish of chopped and seasoned summer vegetables and savoury vegetables) and “tamakonnyaku” (a hard, round konnyaku seasoned with soy sauce and surume), now commonly available in supermarkets in the Tokyo metropolitan area. I wonder if the uniqueness of the food culture has increased its market value.

1.Yamagata’s climate

Yamagata Prefecture is divided into three regions along the Mogami River: the Oki-tama region, where Yonezawa City, home of the Uesugi Clan, is located; the Murayama region, where the prefectural capital, Yamagata City, is located; the Mogami region, where Shinjo City, the terminus of the Yamagata Shinkansen Line, is located; and the Shonai region, where the cities of Sakata and Tsuruoka are located around the mouth of the Mogami River, which flows into the Sea of Japan. The “Yamagata dialect” is also influenced by the Kamigata (Kansai) dialect, and is divided into the “Shonai dialect” of the Shonai region, which shares similarities with the Niigata and Akita dialects, and the “Nairiku dialect” of the Mogami, Murayama and Okitama regions, which is closer to the dialects of Miyagi and Fukushima prefectures. Yamagata’s geography is such that 85% of the prefecture is literally mountainous, with the Ou Mountains running north to south across the Mogami River and the Asahi Mountain Range. In the medieval and early modern periods, many of the prefectures were divided between manors, small clans and tenryos (Shogunate territories), and this is thought to have led to a variety of dialects.

Yamagata Prefecture is one of the heaviest snowfall areas in Japan, and summers are particularly hot during the day due to the basin’s unique föhn phenomenon, but cool at night. Although the climate is difficult to live in, it is ideal for agricultural production, with its bounty of mountains, delicious rice and fruit trees.

Yamagata’s climate has given rise to a variety of delicious and unique local specialties.

2.Branding of Food Culture

Yamagata has a few traditional crafts such as Shogi pieces (Tendo City), but it is also a typical agricultural prefecture known for its rice and fruit trees. There are many branded crops such as rice (Tsuya-hime and Haenuki), cherries (Sato-nishiki), La France (Western pear) and Obanazawa watermelon, and livestock products such as Yonezawa beef (Okitama region) and Sangenbuta pork (Shonai region).

However, up until the time of my boyhood days, in the 1960s, the only agricultural product that was nationally known and synonymous with Yamagata was cherries. In terms of food culture, even the Imoni-kai was not well known. In the eyes of the nation, Yamagata had a very humble existence.

The only common ingredient in Yamagata’s “Imoni-kai” is taro, and the most famous meat is beef, but when I was a boy making Imoni, it was always pork. As the “Imoni-kai” became known throughout the country, it seems that the Imoni of the Yamagata area became the standard.

However, I have to admit that I have been surprised by the way in which Yamagata’s agricultural products have been branded in the past 20-30 years, and the way in which its food culture and local foods have become nationally known.

3.Cherries and La France

In 1978, with the liberalisation of agricultural products, the ban on the import of cherries from the USA was lifted. At first, many farmers were pessimistic, saying that they would not be able to compete with the American cherries, which were large, splendid, hard to damage, and cheap.

Yamagata’s “Sato Nishiki” cherries have soft, sweet skins and are very tasty, but because the harvest season is in late June, during the rainy season, the thin, fully ripe skins are easily cracked by the rain, and about 20% of the cherries are unsaleable. To prevent the cherries from being exposed to the rain, the trees were covered with tents, and the cherries were harvested and shipped when they were fully ripe and red. The price of Sato Nishiki has not been pushed down by the US, but rather the price has not fallen, and consumers have accepted Sato Nishiki as a high quality cherry, different from the “sour cherries with hard skin from the US”.

La France came to Yamagata Prefecture from Europe in the latter half of the Meiji era (1868-1912), but it is said that it was not until the 1960s that it became widely known as a pear for eating fresh. The pear was grown as a pollination tree for another type of pear (Bartlett), which was introduced for canning in the early Meiji period (1868-1912), and did not appear on the stage for about 100 years. However, it was named “La France” for its deliciousness and as “a fruit worthy of representing France”, although it is no longer produced in France, its country of origin.The success of the cultivation of this difficult and delicate fruit is due to the efforts of both the public and private sectors in cultivating the soil, the establishment of stable cultivation methods, and the climate of Yamagata with its large temperature difference between day and night. Yamagata Prefecture’s production of La France accounts for 80% of the total production in Japan.

4.Shogi pieces

Tendo City, located to the north of Yamagata City, is famous for its production of shogi (Japanese chess) pieces. The other day, in the Nikkei Newspaper’s “NIKKEI Plus 1: Ranking of everything”, there was a Q&A session about Tendo City’s share of the national market for shogi pieces, and the answer was “over 90%”.

The Tendo clan was founded in 1830 by Nobukazu Oda, a descendant of Nobunaga Oda, who moved from the Takabatake clan in Dewa Province (now Takabatake Town in Yamagata Prefecture).The clan, with only 20,000 koku, was in financial difficulties, so it borrowed the stipend of its retainers and enforced a thrift ordinance, but reforms such as the monopoly of safflower failed and the clan suffered from poverty.

At this time, the clan encouraged the production of shogi (Japanese chess) pieces, which were in vogue at the time, as a way of helping the lower class samurai who were struggling to make ends meet.

This is said to have been the basis of the town’s name, “Shogi Town”.  After the Meiji Restoration, lower-ranking retainers who had left the family stipend began to use the manufacturing skills they had acquired as in-house workers (making wooden ground and writing pieces) to divide the workload and manufacture popular pieces.

Summary of this issue

Yamagata’s harsh natural environment has brought abundant blessings, but until just 30-40 years ago, with the exception of rice and cherries, the majority of agricultural products were produced for local consumption, and it was unthinkable that Yamagata as a production area would be branded.

Recently, however, the unique food culture, including agricultural products, imoni-kai , unique hard buckwheat noodles and cold ramen noodles, has been in the limelight and has become a kind of brand and is known throughout the country, attracting many tourists from home and abroad until covid-19 disaster.

Tendo’s “Human Shogi”, held when the cherry blossoms are in full bloom, features samurai and koshimoto dressed in armour and kimonos playing as shogi pawns. A number of professional shogi titles, including the Ace title game, will also be played in Tendo. This is a glamorous event based on the theme of Shogi, but the origin of the Shogi pieces becoming a speciality of Tendo was the desperate desire of the lower class clansmen of the Tendo clan.

An important core of corporate strategy is to turn a negative into a positive. Why was Yamagata able to do this and increase its “market value”? 

We believe that this is due to a careful analysis of the competitive advantages of each agricultural product and the development of a growth strategy. In other words, the prefectural people’s perseverance, as exemplified by the NHK TV drama series “Oshin”, which recorded the highest viewership ratings, and their unrelenting efforts to produce top-quality agricultural products with a high sugar content and delicious taste, taking advantage of the “climate with a large difference in temperature”.

It is also the result of the development of handicrafts such as shogi pieces and the steady building up of production and distribution systems over many years, as well as the success of the prefecture’s image strategy of “delicious, unique and fun,” as expressed in the prefecture’s tourism catchphrase, “Yamagata Biyori”. This is in line with Kotler’s theory of marketing and has implications for corporate strategy.

The risk management type captive that we recommend, i.e. the “Solution Captive®”, is an important corporate strategy that enables the transformation of this corporate risk from “negative to positive” in terms of “Turning Risk to Profit®”.

The steps are as follows: (1) Investigate and analyse the corporate risk and consider the most appropriate insurance. (2) Then, through a captive program, the company secures what it considers to be sufficient coverage from one of the world’s largest reinsurers. (3) The Japanese insurance company (primary insurer) then underwrites the policy on the basis of that coverage. This is how the process works.

Furthermore, our experience shows that companies are able to secure “high coverage” and “broad coverage”, which would otherwise be difficult to secure, and are able to secure stable coverage at a much lower cost than without a captive due to the “price difference in premiums between Japan and overseas that can be created by low overseas reinsurance premiums”.

Moreover, since the company’s own risks are underwritten by its own captive, the company’s internal risk management awareness will be enhanced. In addition, the difference in premiums between the domestic and overseas markets will be used to generate profits for the captive, which can be returned to the head office as a dividend to be used to cover any losses incurred by the company.This is the Solution Captive®, the captive that provides the “solution” to corporate strategy.

In the wake of the aftershocks of the Great East Japan Earthquake and Tsunami, the creation of a Solution Captive® could be a central part of a company’s strategy to provide earthquake insurance with sufficient coverage and a wide range of terms and conditions.

                                                                                                                                  Author: Nobuo Sugawara
                                                                                                                                  Translator: Shinichiro Hatani