キャプティブ 2022.05.30
CA37「日本海溝・千島海溝巨大地震」に備えるキャプティブ
For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.
「キャプティブ」は、「地震リスクに対するリスクマネジメント・ツールとして大きな役割を果たす存在」であるが、地震リスクの規模が大きければ大きいほどその効用は高くなると言える、地震が発生した場合の損害額、被害額が大きくなるからである。また、地震の規模が大きくなると、直接的な被害のみならずインフラが受ける被害も大きくなり、地震から復興しようとする企業にとっては、企業業績回復への足枷になるリスクが高く、「地震リスクへの十分な備え」が必要となるからである。
こうしたことから、キャプティブは南海トラフ巨大地震等、「海溝型地震」に備えようとする企業にとっては、必須の企業戦略、リスクマネジメント・ツールと言われている。
このような「海溝型地震」は、地球規模の「プレート」の境界で発生するという点から巨大な地震になる可能性が高い。「断層型地震」であった1995年の阪神・淡路大震災は、甚大な被害を被ったがマグニチュード(M)は7.3であった。一方、「海溝型地震」であった2011年の東日本大震災のマグニチュード(M)は9.0。地震の規模・エネルギー量の差は300倍以上であった。如何に海溝型地震が巨大地震化するかが解るデータである。
いま、最も危惧されている海溝型地震は、政府中央防災会議が昨年2021年12月21日にその被害想定を発表した「日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震 」である。「千島海溝の17世紀型」と言われ、地震規模の想定は「M8.8以上」であり、同報告の中で「Ⅲランク:地震の発生確率が高く30年以内の地震発生率が26%以上」とされている地震である。つまり、北海道西方沖でも、「南海トラフ地震」と同規模の巨大地震が30年以内に26%以上の確率で発生するということである。
「千島海溝の17世紀型」とは、津波堆積物の調査から、太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んでいる千島海溝で17世紀に起きた巨大地震のことを指す。それ以前にも、300~400年の周期で大津波を伴う巨大地震が千島海溝では発生していた。
一方、日本海溝で起きた巨大地震の筆頭は、2011年の東日本大震災であるが、政府の発表した「令和3年 12 月 21 日」付け「中央防災会議 防災対策実行会議 日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震 対策検討ワーキンググループ」の被害想定資料の冒頭(総括)には次の記述がある。
本被害様相は、日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震で発生する可能性のある事象を積雪寒冷地特有の事象も含め、東日本大震災の被災状況や復旧推移をもとに、一部、阪神・淡路大震災での状況を踏まえて想定したものである。被害の様相は、地震による強い揺れや津波の発生状況により異なるが、全国の状況で用いた数値は、日本海溝モデルと千島海溝モデルの 2 ケースの最大値を表記している。
「日本海溝モデル」、つまり震源が日本海溝の場合、北海道の沖合から岩手県沖にかけてM9.1の巨大地震が発生、岩手県宮古市では29.7mの大津波が発生すると想定している。地震の発生時期、住民の避難状況から、6つのシナリオを想定しているが、冬の深夜に地震が起きた場合には、住民の早期避難も難しいため、犠牲者は北海道で13万7千人、青森県4万1千人、岩手県1万1千人、宮城県8500人、他県も合わせて合計19万9000人と推定、経済被害は31兆3千億円に及ぶと推計している。
「千島海溝モデル」では北海道襟裳岬の東沖合を震源域と想定している。このモデルでは、日本海溝モデルよりも地震の規模は更に大きく東日本大震災を上回るM9.3の地震が発生するとしている。この巨大地震によって、最大で27.9mの大津波が押し寄せ、犠牲者は北海道で8万5千人、他県も含めて合計で10万人と推定、経済被害は16兆7千億円に及ぶと推定するものである。
甚大な被害を引き起す「日本・千島海溝巨大地震」が、30年以内に26%以上の確率で地震が発生するという被害予測を国が出しているのである。果たして、その「備え」は十分であろうか。
1.「千島海溝の17世紀型」地震
政府地震調査研究推進本部のホームページの「超巨大地震(17世紀型)」のページには、上述した「千島海溝の17世紀型」地震に関して以下の記述がある。
北海道東部では津波堆積物(津波によって運ばれた海底や海岸の堆積物)が海岸から離れた湿原の土中や海食崖の上部等で確認され、その解析から17世紀に1952年の十勝沖地震をはるかに超える規模の津波が発生し、現在の海岸線から1~4km程度内陸まで浸水したと推定されています。なお、正確な発生年は定まっておらず、既存の知見から1611年から1637年の間に発生したと評価しました。
これまで、この地震は十勝沖と根室沖の震源域が連動する地震であると評価されてきましたが、その後の研究により、この津波を発生させた地震は両領域が海溝寄りの領域を含んで破壊する平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震と同様の特徴を持ち、規模はMw8.8に達する地震であった可能性が指摘されています。このような地震は、津波堆積物から17世紀と推定された地震を含め過去6500年間に最多で18回発生したと推定されています。
(出典:政府「地震調査研究推進本部」ホームページ)
2.地震データ
現代では地震が発生すれば、「地震波は地中・海中を通じで地球の反対側まで届く」ため、世界中で観測することができる。また、詳細なデータを保存することも可能である。
太平洋戦争中であったため「報道管制が引かれ『隠された』と言われている地震」に「南海トラフ大地震」の予測震域の東半分一帯で1944年(昭和19年)12月7日起きた、マグニチュード7.9の「昭和東南海地震」がある。
昭和東南海地震は、駿河トラフと南海トラフ沿いを震源とする地震であり、震度6弱以上の地域は三重県から静岡県の御前崎までの沿岸部、津波は伊豆半島から紀伊半島までを襲った。三重県では熊野灘沿岸への大津波、愛知県では泥質沖積層と言われる、柔らかい地盤の埋立地に造られた軍需工場が集中する地区で大半の建物が倒壊、静岡県においても、海岸沿いの柔らかい泥質の地域で多くの住宅被害が見られ、台地などの固い地盤の地域との被害の差は歴然であり、震域全体の沿岸部でほぼ例外なく大きな被害が発生した。
この半年前、米軍はサイパン島などマリアナ諸島を制圧、日本本土空襲の基地として活用し始めて、これ以降本格的な日本本土への空襲が始まった。その最中の大地震であったため、「敵を利する」と日本政府は必死になってこの「昭和東南海地震」発生のニュースを隠蔽、報道管制が敷かれ日本のどの新聞にも掲載されていなかった。しかし、当時でさえ、地球の反対側で起きた地震の震源、震域、規模、被害等を特定することは可能であったため、地震の震源、被害状況等は、翌日12月8日付「ニューヨーク・タイムズ」に詳細に報道されていた。
「南海トラフ」でも、そう遠くない将来、東海地震や南海地震と呼ばれる巨大地震の発生が、また「日本海溝・千島海溝沿」でも巨大地震が予測されている。これらは2011年の東北地方太平洋沖地震と同じく、プレート境界付近で起こる「海溝型地震」であり、そのため規模が大きく、揺れる時間も長い。震源が海の下になるため発生すれば津波も起きる。これらの巨大地震が、次はいつ、どこで起き、その規模や影響範囲がどのくらいになるのかを追究することは、地震研究にとっても、防災や減災対策を進めていくうえでもポイントとなる。被害を抑えるための対策や地域の人々の準備などが考えやすくなるからだ。
しかし、現存の最古の歴史書は、奈良時代720年(養老4年)に成立した日本書紀であり、それ以前の出来事は断片的にこの日本書紀に残っているだけである。このため、「地震」の発生を日本書紀の過去に遡って調査することは難しい。
3.過去の「津波堆積物」が求めるキャプティブ
「国立研究開発法人産業技術総合研究所」(産総研)は、東日本大震災の前、2010年に「450〜800年間隔で東北地方を津波が襲っていたこと」、そしてそのために「今後も津波を伴う大地震が発生する可能性があること」を予見、その研究結果を国に報告していた。しかし、この研究報告が広く人々の目に触れることになったのは、東日本大震災が起きた後であった。
それ以前、当時の政府の「中央防災会議」に於ける「地震予知」では、数理的な解析を主とする地震学に偏重する傾向が強かったため大きく取り上げられることはなかったからである。この反省から、その後の「中央防災会議」では、「古文書の分析や津波堆積物・海岸・地形調査によって、想定地震や津波被害を設定すること。地震学、地質学、考古学、歴史学などあらゆる見地から地震研究を充実させることを検討すべき」という趣旨の提言がまとめられた。
一般的に、地震の中長期予測については、地震学を基に、古来の文献記録や活断層の調査等を加えてなされてきたが、東日本大震災を「予見」した産総研では、それまであまり注目されてこなかった津波堆積物の調査をおこなうことによって、「その地質構成から過去に発生した地震の規模や津波の大きさ」を見極めた。「津波堆積物」とは、津波によって海底の砂などが陸上に押し上げられ、陸上の地層に「砂層」として残されたものである。この津波堆積物のボーリング調査をおこない、発生した地震の津波の高さ、浸水域等の被害の状況を「文献に記されていない過去の地震の証拠」として明示するものである。
本コラムでも何度か記したが、「学問の神様、菅原道真」を中心に編纂された「日本三代実録」には、東北地方で869年に発生した「貞観地震」と「貞観津波」について記されていて、古くから、この地震の存在は知られていた。30年以上前には、既に貞観津波による津波堆積物も発見されていたが、「どこが震源なのか」が不明だったため、「地震調査研究推進本部」による海溝型地震の長期評価からは外されていた。産総研では、仙台平野の地層の堆積物から、1000年以上に渡るこの土地の様子を調べ、貞観地震発生当時の海岸線の位置も考慮して貞観津波によるおおよその浸水域を推測することができた。その結果、その浸水域は、それまでに観測されたどの津波よりも巨大であったことが判明した。
本年、2022年1月7日に投稿した「CA32『富士山噴火』に備えるキャプティブ」に「日本最大級の地震『宝永地震』」と記した。この1707年に起きた「宝永地震」は、「東海、東南海、南海」の三連動地震が発生したものと考えられている。しかし、文献上の記録が無いため、あくまでも「推測」の域を出なかったが、ここでも役だったのが過去に津波を経験した土地の歴史を示す「津波堆積物」の調査であった。2011年から産総研が実施した静岡県西部の太田川流域での調査によって、7世紀末、9世紀末に東海地震が起きたことを示す津波堆積物を発見することができたのである。
また、「津波堆積物の分布状況」から浸水域を見極めることができ、その結果過去の津波の規模も推定できるようになった。さらに、浸水域、津波堆積物の量等から、津波の規模も推定でき、この津波の大きさによって、「震源を推測、特定できる」ようになったのである。このように、津波堆積物は、「過去の地震の語り部」として、地震の大きさ、震源を現代の人々に語りかけているのである。
2011年東日本大震災以降、多くの研究者によって津波堆積物調査が進められ,「千島・日本海溝の17世紀型地震」についても多くの津波堆積物が発見され、「地震予知」の研究に役立っている。
今回のまとめ
マグニチュードが1つ大きくなると地震のエネルギーは約30倍、マグニチュードが2つ違うと地震のエネルギーは約1,000倍(≒30×30倍)、マグニチュードが3つ大きくなると地震のエネルギーは約30,000倍(≒30×30×30倍)になる。
マグニチュード0.1の差はエネルギーでは約1.4倍の差、マグニチュード0.2の差では約2倍(101.5×0.2 = 100.3 ≒ 1.995)、「日本・千島海溝巨大地震」の規模は東日本大震災を超える規模の超巨大地震、東日本大震災がマグニチュード9.0であり、想定している最大規模の「千島海溝モデル」ではマグニチュード9.3、つまり「日本・千島海溝巨大地震」(千島海溝モデル)の地震のエネルギー量は、この計算式から未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」の約2.8倍のエネルギー量になる。如何に巨大な地震であるかが解る。
冒頭の通り、当然その被害も甚大になるため、地震保険の備えとしては、「できるだけ支払限度額を高くした地震保険を準備する必要」がある。そのためには、「日本では十分な地震保険キャパシティ(引受力)の確保が困難」であるため、キャプティブの力を借りる必要がある。キャプティブを設立して海外の再保険会社からできるだけ多くの再保険サポートを得るようにするのである。
より多くの地震保険キャパシティを確保するためには、一社ではなく、複数以上の再保険会社のサポートを確保する必要がある。そのためには、「単純な地震保険の再保険手配」ではなく、「レイヤリング」という損害保険の専門的な引受技法によっておこなう必要がある。だからこそ、こういう大規模なキャパシティを確保するキャプティブの設立には、再保険マーケットにも通暁する非常に専門的なキャプティブの設立・運営コンサルティング会社を起用する必要がある。
損害保険には、必ず付帯されている契約条件に「免責金額」がある。損害保険に関わることの無い方にとって、「なぜこんな小さな金額を免責金額として付けているのか」と疑問に思うことも多いであろう。しかし、この免責金額を付けるか付けないかが、「その保険の引受の可否さえ決めてしまう要素」になるのである。
損害保険業では、「保険会社が受け取る保険料から、万が一の事故の際に支払う保険金、そしてそのための人件費等の事業費を差し引いてプラス」になっていれば、「事業から収益があがっている=事業継続への青信号」となるが、これがマイナスであれば「その事業からの撤退も視野」に入れなければならなくなる。
勿論、事故が起きた際に支払われる「保険金」が、この「収支の計算式」では一番大きな要素となるが、次は「人件費」である。営業は、インターネット等を介することを含めて省力化、省コスト化ができる分野であるが、「保険金の支払い」に関する業務、「査定(損害サービス)業務」は、なかなかこうはいかない。どうしても「人間の目が必要」な業務分野である。AIに取って代わられる部分が、非常に少ない分野なのである。特に企業保険分野に於いては。だからこそ、「免責金額」を付帯することによって、「小損害を保険支払いの対象から外す=損害サービスの人件費のカット」ということをしているのである。
「レイヤリング(レイヤー方式)」とは、この「免責金額を非常に大きくする」という考え方に似ている手法である。引受保険会社が、単独で引受が難しいリスク、また保険金額やてん補限度額が大きくて、一社では引受けられないリスクに関して、「保険金額やてん補限度額を数段階の階層(レイヤー)に分け、再保険を引受ける各再保険会社が独立して階層(レイヤー)の引受条件を決め、その階層部分を引き受けてもらう方式」である。
レイヤリング(レイヤー方式)は、それぞれの再保険会社の考え方(引受姿勢)を見極めて、レイヤー上層部または下層部かを引受けてもらうかを決めていく。こうすることにより、保険料率や提供できる保険引受枠に大きな差が出ることが多く、各保険会社の特長を活かしながら保険プログラム全体を低廉な再保険料で構築できる方式にすることができるのである。
単純に「割合(%)を出す再保険」(クオーター・シェア方式)で、キャプティブからの再保険をロンドンマーケットで探しても、「日本・千島海溝巨大地震」に備えるような高額の補償枠を見つけることは難しい。その時に、活かせる保険技術、再保険技術がこのレイヤリングなのである。
キャプティブからのロンドン・マーケットへの再保険は、この「レイヤリング」方式を使って何層にも別けてそれぞれ得意とする再保険会社を選択、交渉することが重要であり、「ロンドン・マーケットに関する、確かな、また豊富な知見がキャプティブ・コンサルティング会社に必要な所以」なのである。
執筆・翻訳者:羽谷 信一郎
English Translation
Captive (CA) 37 – Captives prepared for the “Japan Trench and Kuril Islands Trench Giant Earthquake”
Captives play a major role as a risk management tool for earthquake risk, but the larger the earthquake risk, the greater their utility, because, of course, the greater the amount of damage and loss in the event of an earthquake. The earthquake was not only directly damaging, but also the scale of damage to infrastructure. Furthermore, not only direct damage, but also damage to infrastructure on a larger scale of earthquakes is a major concern for companies trying to recover from an earthquake, as there is a high risk that this will hinder the recovery of corporate performance, and therefore ‘adequate preparation for earthquake risk’ is necessary.
For this reason, captives are said to be an essential corporate strategy and risk management tool for companies to prepare for trench-type earthquakes, such as the giant Nankai Trough earthquake.
Such ” trench-type earthquakes” are likely to be huge in terms of the fact that they occur at the boundaries of global ” plates”. The Great Hanshin-Awaji Earthquake of 1995, which was a fault earthquake, caused enormous damage but had a magnitude of 7.3. On the other hand, the magnitude of the Great East Japan Earthquake of 2011 was 9.0, which was a “trench-type huge earthquake”, and the difference in the scale and energy of the earthquake was more than 300 times.
One of the most feared trench earthquakes is the “Japan Trench and Kuril Islands Trench Earthquake,” for which the Central Disaster Management Council of the Japanese government announced the estimated damage on December 21, 2021. It is called a “17th century type of earthquake in the Kuril Islands Trench” and is estimated to be of magnitude 8.8 or greater, and is classified as a “Rank III” earthquake, meaning that it has a high probability of occurring and a 26% or greater chance of occurring within 30 years. In other words, there is a 26% or greater probability that a huge earthquake of about the same magnitude as the Nankai Trough earthquake will occur off the west coast of Hokkaido within 30 years.
The 17th-century Chishima Trench earthquake refers to a massive quake that occurred in the 17th century in the Chishima Trench, where the Pacific Plate is subducting beneath the North American Plate, according to a study of tsunami deposits. Before that, huge earthquakes with large tsunamis occurred in the Chishima Trench every 300-400 years.
On the other hand, the largest earthquake in the Japan Trench was the Great East Japan Earthquake in 2011.The government’s December 21, 2021 announcement of the “Working Group on Countermeasures for Mega-Earthquakes along the Japan Trench and the Kuril Islands Trench” of the Central Disaster Prevention Council (CDC) contains the following summary of the damage estimates
This damage scenario is based on the damage and recovery from the Great East Japan Earthquake, and partly on the Great Hanshin-Awaji Earthquake, and assumes events that could occur in the event of a major earthquake along the Japan Trench and the Kuril Islands Trench, including events unique to snow-covered and cold regions. Although the nature of the damage will vary depending on the intensity of the earthquake and the occurrence of tsunamis, the figures used for the national situation are the maximum values for the two cases of the Japan Trench Model and the Chishima Trench Model.
In the Japan Trench model, where the epicentre is in the Japan Trench, a massive earthquake of magnitude 9.1 occurs off the coast of Hokkaido and Iwate Prefecture, and a tsunami of 29.7m is assumed to be generated in Miyako City, Iwate Prefecture. However, if the earthquake strikes late at night in winter, it will be difficult to evacuate residents as quickly as possible, so it is estimated that 137,000 people would be killed in Hokkaido, 41,000 in Aomori Prefecture, 11,000 in Iwate Prefecture, 8,500 in Miyagi Prefecture and 199,000 in all in total. The economic damage is estimated at 31.3 trillion yen.
The Chishima Trench Model assumes the epicentre to be off the east of Cape Erimo in Hokkaido. The Chishima Trench Model predicts an earthquake of magnitude 9.3, which would be much larger than the Great East Japan Earthquake. This huge earthquake would trigger a tsunami up to 27.9m high, killing an estimated 85,000 people in Hokkaido and 100,000 people in other prefectures, and causing economic damage of 16.7 trillion yen.
The national government has predicted that there is a 26% probability that a massive earthquake will occur in the Kuril Islands Trench within 30 years. Are we sufficiently prepared for this?
1. 17th century type earthquake in the Kuril Islands Trench
On the website of the Headquarters for Earthquake Research Promotion of the Japanese Government, there is the following description of the “17th century type of earthquake in the Kuril Islands Trench” on the “Super Mega Earthquake (17th century type)” page.
In the eastern part of Hokkaido, tsunami deposits (sediments on the seabed and on the coast carried away by tsunamis) have been found in the soil of marshlands away from the coast and at the top of sea cliffs. It is estimated that in the 17th century, tsunamis of far greater magnitude than the 1952 Tokachi-oki earthquake occurred, inundating areas 1-4 km inland from the present coastline. The exact year of occurrence is not known. The exact year of the earthquake has not been established, but existing knowledge suggests that it occurred between 1611 and 1637.
However, subsequent research has suggested that the earthquake that generated the tsunami had similar characteristics to the 2011 off the Pacific coast of Tohoku earthquake, which ruptured both regions, including the region closer to the trench, and that it could have been a magnitude 8.8 earthquake. Such earthquakes are estimated to have occurred up to 18 times in the past 6500 years, including one in the 17th century based on tsunami deposits.
(Source: Government of Japan Earthquake Research Promotion Headquarters website)
2. Seismic data
In modern times, when an earthquake occurs, “seismic waves reach the other side of the world through the earth and the sea” and can be observed all over the world. It is also possible to store detailed data.
One of the earthquakes that is said to have been “hidden” due to press restrictions imposed during the Pacific War is the 7.9 magnitude Showa-Tonankai Earthquake, which occurred on 7 December 1944 in the eastern half of the predicted Nankai Trough earthquake zone.
The earthquake had its epicentre along the Suruga Trough and the Nankai Trough, with seismic intensities of 6.0 or higher along the coast from Mie Prefecture to Omaezaki in Shizuoka Prefecture, and tsunamis from the Izu Peninsula to the Kii Peninsula. In Aichi Prefecture, most of the buildings collapsed in the area where munitions factories are concentrated on reclaimed muddy alluvial land. In Shizuoka Prefecture, many houses were damaged in the soft muddy areas along the coast, and the difference in damage between these areas and the hard ground areas such as plateaus was obvious. Almost without exception, significant damage occurred in coastal areas throughout the quake zone.
Six months before the earthquake, the US military had taken control of the Mariana Islands, including the island of Saipan, and began using it as a base for air raids on the Japanese mainland. As the earthquake occurred in the midst of these air raids, the Japanese government tried hard to conceal the news of the “Showa Tonankai Earthquake”, saying that it would benefit the enemy. However, even at that time, it was possible to identify the epicenter, seismic area, scale, and damage of an earthquake that occurred on the other side of the world, and the New York Times reported the epicenter and damage of the earthquake in detail on the following day, December 8.
The Nankai Trough is also expected to be hit by huge earthquakes called the Tokai and Nankai earthquakes in the not too distant future, and the Japan Trench and Chishima Trench are also expected to be hit by huge earthquakes. These, like the 2011 off the Pacific coast of Tohoku earthquake, are trench earthquakes that occur near plate boundaries and are therefore large in scale and long in duration. The epicentre of the quake is under the sea, so when they occur they can cause tsunamis. Determining when and where the next of these huge earthquakes will occur, and the scale and extent of its impact, is a key point for earthquake research and for the development of disaster prevention and mitigation measures. This is because it makes it easier to think about how to limit the damage and how to prepare the local population.
However, the oldest historical book in existence is the Nihon Shoki (Chronicles of Japan), which was established in 720 (4th year of Yoro) in the Nara period (710 – 710 A.D.), and only fragments of earlier events remain in the Nihon Shoki. For this reason, it is difficult to investigate the occurrence of earthquakes in the past of the Nihon-shoki.
3. Captives required by past ” Tsunami Deposits”
In 2010, before the Great East Japan Earthquake, the National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST) predicted that tsunamis had been hitting the Tohoku region at intervals of 450 to 800 years, and that there was a possibility that major earthquakes with tsunamis would occur in the future, and reported its findings to the government. However, it was only after the Great East Japan Earthquake that this research report came to the attention of the wider public.
Prior to this, the government’s Central Disaster Management Council’s work on earthquake prediction had tended to focus on seismology, which is based on mathematical analysis, and was not widely discussed. As a result, the Central Disaster Management Council (CDMC) has now decided to establish the expected earthquake and tsunami damage based on the analysis of ancient documents, tsunami deposits, coastal and topographical surveys. It also recommended that the government should consider improving earthquake research from all perspectives, including seismology, geology, archaeology and history.
In general, medium- and long-term predictions of earthquakes have been made based on seismology with the addition of ancient documentary records and surveys of active faults, etc. However, AIST, which “foresaw” the Great East Japan Earthquake, conducted a survey of tsunami deposits, which had not received much attention until then, to determine “the scale of earthquakes and the size of tsunamis that occurred in the past based on their geological composition”. The “tsunami deposits” are sand and other sediments from the seabed that are pushed ashore by tsunamis and left behind as sand layers in the strata on land. Borehole surveys of the tsunami deposits are used to determine the tsunami heights, inundation areas and other damage caused by the earthquakes as “evidence of past earthquakes not recorded in the literature”.
As mentioned in this column several times, the existence of this earthquake has been known for a long time, since the “Jogan Earthquake” and the “Jogan Tsunami” that occurred in 869 in the Tohoku region are mentioned in the “Jitsuroku of the Three Generations of Japan” compiled mainly by the “God of Learning, Sugawara no Michizane”. However, it was not included in the long-term evaluation of trench earthquakes by the Headquarters for Earthquake Research Promotion because it was unclear where the epicenter of the earthquake was located. AIST was able to estimate the approximate inundation area by the Jogan tsunami by studying the stratum deposits of the Sendai Plain over a period of more than 1,000 years and taking into account the location of the coastline at the time of the Jogan earthquake. This inundation area turned out to be larger than any tsunami ever observed before.
This year, on January 7, 2022, I wrote in my article “CA32: Captive Prepared for the Mt Fuji Eruption” about the “Hōei Earthquake”, one of the largest earthquakes in Japan. The 1707 Hōei earthquake is thought to have been the result of three interlocking earthquakes in the Tokai, Tonankai and Nankai regions. However, due to the lack of written records, we could only speculate, and it was here that the survey of tsunami deposits, which show the history of the land that experienced tsunamis in the past, was useful. AIST’s research in the Ota River basin in western Shizuoka Prefecture since 2011 has revealed tsunami deposits that indicate the occurrence of the Tokai earthquake at the end of the 7th and 9th centuries.
The “distribution of tsunami deposits” allowed us to determine the inundation area and thus to estimate the size of past tsunamis. Furthermore, the size of the tsunami can be estimated from the inundation area and the amount of tsunami deposits, and the size of the tsunami can be used to estimate and identify the epicenter. In this way, the tsunami deposits are “the storyteller of past earthquakes”, telling us the magnitude of the earthquake and its epicentre.
Since the Great East Japan Earthquake in 2011, many researchers have been investigating the tsunami deposits, and many tsunami deposits have been found in the 17th century earthquakes in the Chishima-Nippon Trench, which are useful for the research of “earthquake prediction”.
Summary of this issue
When the magnitude increases by one, the energy of the earthquake increases about 30 times; when the magnitude differs by two, the energy of the earthquake increases about 1000 times (≒30×30 times); when the magnitude increases by three, the energy of the earthquake increases about 30000 times (≈30×30×30 times).
The difference in magnitude of 0.1 is about 1.4 times the difference in energy, and the difference in magnitude of 0.2 is about 2 times(101.5×0.2 = 100.3 ≒ 1.995). In other words, the amount of energy generated by the “Japan-Childrens Trench Earthquake” (Chishima Trench Model) is 2.8 times greater than that of the Great East Japan Earthquake, which caused unprecedented damage according to this formula. This shows just how huge the earthquake was.
As mentioned at the beginning of this note, the damage would naturally be enormous, so in order to prepare for earthquakes, it is necessary to have earthquake insurance with the highest possible payout limits. In order to do so, it is essential to establish a captive and obtain as much reinsurance support as possible from overseas reinsurers, as it is difficult to secure sufficient earthquake insurance capacity in Japan. This requires securing the support of more than one reinsurance company and using a specialist non-life underwriting technique called “layering” rather than “simple earthquake reinsurance arrangements”.
All general insurance policies have a “deductible” as a condition of the policy. Many people who are not involved in property insurance may wonder why such a small sum is attached as a deductible. However, it is not an exaggeration to say that the inclusion or exclusion of a deductible can determine whether or not an insurance policy is accepted.
In the non-life insurance business, if the premiums received by the insurance company are positive after deducting the insurance payout in the event of an accident and business expenses such as labour costs, it is a green light for the business to continue. However, if it is negative, the company will have to consider withdrawing from the business.
Of course, insurance claim payments are the most important factor in this formula, but the next factor is labour costs. Sales and marketing are areas that can be labour- and cost-saving, including via the internet, but the payment of claims and underwriting (loss service) cannot be done in this way. This is an area where there is very little scope for AI to replace the human eye. That’s why they add a deductible to exclude small losses from insurance claim payments.”
Layering” is a similar approach to the concept of “very large deductibles”. For risks that are difficult for an underwriter to underwrite on its own, or for which the amount of insurance or limit of cover is too large to be underwritten by a single company, “layering” is a method whereby the amount of insurance or limit of cover is divided into several layers, and each reinsurer underwriting the reinsurance independently decides the terms and conditions for underwriting the layer.
Layering is a method that allows the entire insurance program to be structured at low reinsurance premiums while taking advantage of the characteristics of each insurance company, as there is often a significant difference in premium rates and underwriting capacity depending on whether the layer is upper or lower, depending on the approach (underwriting stance) of each insurance company. In this way, the entire insurance programme can be structured at low reinsurance premiums while taking advantage of the unique characteristics of each insurer.
By simply looking for reinsurance from captives in the London market on a “percentage share(Quater share)” basis, it would be difficult to find the kind of high value coverage that would be available in the event of a major earthquake in the Kuril Islands. Layering is an insurance and reinsurance technique that can be used in this context.
It is important for captives to use this layering approach to select and negotiate with reinsurers that specialise in the London market, which is why captive consultancies need to have “solid and extensive knowledge of the London market”.
Author/translator: Shinichiro Hatani