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キャプティブ 2022.12.15

CA45 なぜ日本企業が有するキャプティブが増えていないのか?

For those who prefer to read this column in English, the Japanese text is followed by a British English translation, so please scroll down to the bottom of the Japanese text.

大学を卒業して入社した外資系損害保険会社は、当時でも正社員2000人ほど擁し日本の中堅損害保険会社クラスの収入保険料(売上高)を有する、外資系損害保険会社としてはトップの会社であった。

ただ変わった特徴を持っていた。「世界130カ国以上に拠点を持つ保険会社」と言っても、本社のある米国を含め「最大の収益を挙げている国は日本」であった。「世界の収益の40%を日本で挙げている、世界じゃなく、日本で有名な、日本に特化した外資系保険会社だよ」と、当時の日本支社の社長はいつも笑いながら我々にそう言っていたからである。

素晴らしい先輩諸氏やスタッフに恵まれ、筆者は若くして枢要な「本社幹部」になることができた。しかし、その立場に就いてみると、「本社幹部と言っても、いくら日本拠点の規模が大きくても、所詮『日本支社の幹部』にしか過ぎない」ということに、かえって気づかされることが多くなった。

ニューヨーク本社から「本社役員」が来て、東京の有名ホテルの大きな会場で催された「全国部支店長会議」。その席上、「全国制覇」の成果により会議のメイントピックとして「自分の部門のプレゼンをする機会」を与えられても、なんとも言いようがない寂寥感が消えることはなく、かえって「どうしても世界最大の損害保険会社で本当の本社幹部として勤務したい」という思いが増幅されたことを昨日のことのように憶えている。

「なぜ部長になったのにそんな短期間で辞めるのか、全国制覇したじゃないか、あと数年もしたら間違いなく役員になるはずだからもう少し我慢したら」と親しい友人達には留められたが、「旧満州生まれの父の大陸気質」を受け継いだ所為か、「いや、どうしても海外に行きたい」と言っていた自分がいた。

そんな折り、どこで私の意向を聞いたのか、海外のエグゼクティブ・サーチファーム(人材紹介会社)から連絡が来た。当時世界最大と評されていた保険会社、CIGNA(シグナ)コーポレーションから声を掛けられ米国フィラデルフィアの地でCEO以下数人の役員の「人事面接」を受けることになったのである。幸いなことに合格してフィラデルフィア本社のキャプティブ部門の副部長(Assistant Vice President)に任ぜられた。一旦帰国して「日本の正月」を過ごし、翌1995年1月20日のフライトでフィラデルフィアに戻る予定にしていたが、その矢先、1月17日「阪神・淡路大震災」が起きた。

CIGNA(シグナ)は、当時日本にも従業員1,000人ほどのスタッフを擁する損害保険子会社があり、阪神大震災の対応で大きな影響を受けた。その混乱によって、フィラデルフィアの地に戻り地上50階にあった自分の部屋にようやく辿り着いたのは、阪神大震災から2ヶ月後、3月のことであった。その後、家族を帯同するかどうかを決めるため、再度一旦帰国することになり、成田空港に戻ってきたのが1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起き、日本中が大騒ぎになっていた、まさにその時であり、いつもは2時間強で自宅に着くはずの「空港バス」が6時間以上もかかり、自宅に着いたのは夜中だった。

今から四半世紀前、1995年は、筆者が「巨大リスク」に二度にわたって遭遇した年であった。

写真左側に2本ある似た形の60階建ての超高層ビルは、CIGNAがフィラデルフィアに所有していたビルの写真であり、1本は「国内本部」もう1本には「国際本部」が入っていて、筆者の部屋は後者の50階にあった。CIGNAがどれほど巨大な企業だったのか、会社の偉容を物語る一枚の写真である。

The two similarly shaped 60-storey skyscrapers on the left of the photo are CIGNA’s buildings in Philadelphia, one housing the National Headquarters and the other the International Headquarters, and my room was on the 50th floor of the latter. It is a picture that shows how huge CIGNA was and how great the company was.

1.キャプティブとの「再会」

大学を出て入社した「大手外資系損害保険会社」で配属された部署は「国際部」であった。「Japan as No.1」の煌びやかな言葉で飾られた日本企業の海外進出が本格的に始まった時期であったが、「国際部」と言いながら、事業の主体は、日本に進出してきている欧米の多国籍企業の損害保険の引受であった。

通常の元受保険は「Aアカウント」と呼ばれ、欧米の多国籍企業が有する「ワールドワイド・カバー」(世界一円を補償するグローバル・カバーの保険証券を本国で発行、日本ではそれに対応する保険証券を発行して、保険付保に関して適法性を確立するプログラム)は「Bアカウント」、そしてキャプティブは「Cアカウント」と呼ばれていた。筆者と同時期に入社した大卒総合職は40人ほどであったが、「キャプティブ」と言っても筆者以外誰も知らない時代であった。しかし、筆者の部では、「経営層の評価は低い(=損害保険会社にとっては収益性が非常に低い)」が、キャプティブは「締め切りの際の営業数字の押し上げ役」として重要な役割を果たしていた。

そんな新入社員時代の後、様々な職務を経て、全国の法人保険ビジネスを本社で統括指導する「企業保険部長」という立場に就いたが、「(日本支社にとって)収益性が無い」と「キャプティブ・ビジネスが端に追いやられていること」に気づかされた。外資系の損害保険会社ですら、日本支社では「キャプティブは『継子扱い』の存在」であったのである。

しかし、フィラデルフィアでは、そんな「継子扱い」とは全く対照的な評価を受ける「輝かしい姿」をしたキャプティブと「再会」することができた。CIGNA(シグナ)の損害保険部門の前身は、1792年に設立されたインシュアランス・カンパニー・オブ・ノース・アメリカ(INA)、米国最古の株式保険会社で当時世界最大の損害保険会社であった。そのため数多くの巨大企業、名門企業を顧客に抱えていたので、日本で携わっていた「支社レベルのキャプティブ」とは比べものにならない、様々な再保険、再々保険を駆使した非常に高度かつ高収益なリスクマネジメント・プログラムであった。

2.日本企業が有するキャプティブの課題

30年以上経った今でも、大手外資系損害保険会社の新入社員として携わっていた頃と日本企業のキャプティブに関する知見や見方はそれほど変わっていないと感じる。

一時期、米国の「小規模保険会社に対する優遇税制」が不適切な形で日本企業に紹介されて話題になっていた。しかし、国税の「タックスヘイブン対策税制」の改正によって様変わりした。「節税を売り物にして、ハワイにキャプティブの設立を勧奨してきたコンサルティング会社の多くは、損害保険会社の引受のこともよく知らない、保険代理店や節税専門の会計事務所、税制変更に伴って、彼ら『節税キャプティブ』をつくっていたところがバタバタと店じまいをしていますね」と、ハワイの銀行やグローバル・リンクにキャプティブ設立の意向を示されてきたお客様から伺った。

「キャプティブは節税の道具ではなくリスクマネジメントの手段である」とこれまでの多くのコラムで筆者は記してきたが、あろうことか「店じまいしたキャプティブコンサルティング会社との間で色々なトラブルも発生している」とも聞き及ぶ。コンサルティング会社の優劣判断が重要である所以である。

日本企業がキャプティブを設立できるのは海外であり、そのためには「再保険」の仕組みを使う必要がある。まずは日本の損害保険会社に「元受保険会社」として保険の引受をしてもらい、それを海外のキャプティブに再保険するのである。そして、ロンドンマーケット(再保険市場)にリスクを再々保険するのである。そうしない限り、「キャプティブはリスクの塊」になり大きな損害を逆に企業に与えてしまう存在になるからである。

3.何故日本企業のキャプティブが増えていないのか

欧米の企業には中規模以上の会社であればどんな会社にも存在しているのが「リスクマネジメント部門」である。企業経営陣の「目となり耳となり、内包するまた遭遇するリスクを分析、検討、対応していく組織」であり、部門を率いるトップは「リスクマネージャー」と呼ばれる。

部門であるため、一般的にはVice president(一般的な「副社長」という訳語と異なり、訳語としては「部長」が妥当)がその役職名となっているが、リスクマネジメントに先進的な企業や大企業では、CEOへ直接報告する立場、CRO(chief risk officer)の役職で処遇している企業が多い。

一方日本はどうか。相変わらず「保険は総務部」という枠から抜け出ていない企業が、大企業であっても多いのではないだろうか。そういう企業で、果たして「リスクマネジメント業務」がおこなわれるだろうか?「リスクマネジメントらしきこと」はリスクマネジメント・マニュアル等の作成をもっておこなわれるだろうが、筆者が検証してきた限り、この「リスクマネジメント・マニュアル」は、ほとんど場合、単なる「役立たずのお飾り」にしか過ぎなかったことを思い出す。

「その理由は、経営陣にリスクマネジメントの意識が欠如している企業が実に多かった」ということが言えるであろう。「魚は頭から腐る」の例えどおり、経営陣の意識にリスクマネジメントが無い企業は、どんな組織をつくってもリスクマネジメントは根付かない。まして、リスクマネジメントの最も先進的な形態である「キャプティブ」など根付くはずも、また設立されることもない。

そういう企業に限って、「大きな災害」が起きると、必ず「想定外であった、リスクマネジメントは尽くしていたのですが」という言葉を盾にすることが多い、東日本大震災で同様のことが起きたことは記憶に新しい。すべての核は「企業経営陣が『リスクマネジメントに対して慧眼を持っているか』ということに尽きる」ということではないだろうか。

今回のまとめ

筆者が大手財閥系生命保険会社から損害保険事業に関する「経営コンサルティング」を委嘱され「経営コンサルティング会社」として創立した会社がグローバル・リンクである。

委嘱されて13年間「最後に保険が行き着くところ」と評されるロイズ(Lloyd’s of London)を中心としたロンドン保険市場(ロンドン・マーケット)へ通いつめた。あるロイズのアンダーライターからは、「Hataniはロンドンにcommute(通勤)しているな」と言われたほど。毎年2カ月に1回、合計70回以上のロンドン出張であった。その後、日本の伝統ある損害保険会社および日本最大の共済団体への経営コンサルティングに従事した。

この間、常に心にあったのは「真に顧客のニーズに適っている商品か、提案か」ということであった。そういう思いで、商品開発、リスクマネジメント対応策を調査、研究して、企業戦略に寄与する数々の保険プログラムを構築、手配したが、2011年3月11日の東日本大震災発生時に、「流される数多くのクルマは、掛けていた自動車保険では、(地震という)天災のために補償されない」と聞き、損害保険を専門としてきた自分でも知らなかった「保険の穴」を覚知、「日本の損害保険制度の限界」を嫌というほど思い知らされた。

「本当に多くの人々の為になる、もっと広い補償を可能にする、日本に今までにない保険を創ることはできないか」と考えていた折、米国ハワイ州にある同地最大の日系損害保険会社のキャプティブ設立・管理部門を創始したキャプティブ分野の専門家と出会った。

「自分がこれまで長年携わってきた世界最大の再保険市場、ロンドンマーケットから補償枠を獲得できれば、キャプティブは、地震など大災害による巨額の復旧費用を補うことができる」と考え、グローバル・リンクを「キャプティブの設立・運営に関わるコンサルティングを行なう会社」へと改組した。

世界全体で世界の企業が保有しているキャプティブは 約7,000社以上。一方、日本企業が保有するキャプティブは 100 社前後と全世界の企業が保有するキャプティブの 2%ほどしか保有していない。「南海トラフ巨大地震」、「千島海溝・日本海溝巨大地震」と、政府がその発生可能性の高さと損害規模の巨大さの予測を何度も明らかにして警告していても、企業が「地震対策に躍起になっている」というニュースには残念ながら接したことはない。

3年前、2020年1月グローバル・リンクのホームページをリニューアルした。作成をお願いしたWEBデザイン会社から、アップロードに際して言われたことが、「コラムを書いてください」ということだった。アップロードから、今回のコラムが173番目となる。常に記してきたことは、「キャプティブの活用によって、確実に襲来する予測が立っている、未曾有の巨大地震への対策をなすべき時が今ではないだろうか」ということである。

東日本大震災の際、「想定外」という言葉が飛び交った。大変多くの犠牲者を出し大きな損害を発生させた東日本大震災であるが、南海トラフ巨大地震は、予測数値のマグニチュードの単純比較でも、実に「30倍以上のエネルギーを持つもの」なのである。どれほどの損害が発生するか明らかである。

長年損害保険業界に携わってきた筆者には、「地震後の姿は、太平洋戦争後の被害を越える」と見えて仕方がない。巨大地震が発生した時、東日本大震災の時と同じ無力感に襲われないようにしたい、そのためには多くの「企業経営者に慧眼が備わっていること」を期待するしかない。「今後30年間で80~90%の発生確率」とは「30年後の発生確率」ではなく、それが「明日の発生確率」かもしれないからである。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Captive (CA) 45 -Why are there not more captives owned by Japanese companies?

The foreign non-life insurance company I joined after graduating from university was, even then, a top foreign non-life insurance company with around 2,000 full-time employees, selling premiums at the level of medium-sized Japanese non-life insurance companies.

It just had an unusual feature. Although it was “an insurance company with offices in more than 130 countries”, “the country with the largest revenues is Japan”, including the US, where the company was headquartered. The president of the Japan branch at the time always told us that the company was “a foreign insurance company specialising in Japan, famous in Japan, not the rest of the world, with more than 40% of its global revenue coming from Japan”.

Blessed with excellent senior colleagues and staff, the author was able to become a key ” head office executive” at a young age. However, when I took up this position, I realised more and more that “a head office executive is only a ‘Japan branch executive’, no matter how large the Japan branch is”.

The ” National Division and Branch Managers’ Conference” was held at a large venue in a famous hotel in Tokyo, with “head office executives” visiting from the New York head office. Even when I was given the opportunity to present my department as the main topic of the conference for my “national domination” achievement, the indescribable feeling of loneliness did not disappear, but instead my desire to work as a real head office executive in the world’s largest non-life insurance company was amplified. I remember it as if it were only yesterday.

Some of my close friends said to me, “Why are you quitting after such a short period of time, you won the national championship, you will definitely be an officer in a few years, so why don’t you hold on a little longer?”

However, perhaps because I had inherited my father’s continental temperament from his birth in Manchuria (Japanese territory at the time), I found myself saying, “No, I really want to go abroad”.

I still don’t know where they heard about my intention, but I was contacted by an overseas an executive search firm (recruitment agency). I was approached by CIGNA Corporation, which at the time was reputed to be the world’s largest insurance company, and asked to go to Philadelphia, USA, for ” personnel interviews ” with the CEO and several other executives. Fortunately, I passed and was appointed Assistant Vice President of the captive division at the Philadelphia headquarters. I was scheduled to return home to spend the ” Japanese New Year ” and fly back to Philadelphia on 20 January 1995, when the Great Hanshin-Awaji Earthquake occurred on 17 January 1995.

CIGNA (CIGNA) had a subsidiary in Japan at the time with a staff of about 1,000 employees, which was severely affected by the response to the Great Hanshin Earthquake. The chaos meant that it was not until March, two months after the Great Hanshin Earthquake, that I actually returned to Philadelphia and finally made it to my room, which was located on the 50th floor above ground. I had to return to Japan once again to bring my family with me, and arrived back at Narita Airport on 20 March 1995, at the very time when the Sarin gas attack on the underground caused a huge uproar in Japan. The airport bus, which would normally take just over two hours to get home, took more than six hours.

A quarter of a century ago, in 1995, the author encountered two “huge risks”.

1. A “reunion” with the captive

The department assigned to me at a major foreign non-life insurance company I joined was the International Department. This was at a time when Japanese companies were beginning to expand overseas in earnest, adorned with such glittering words as ” Japan as No.1″, but although the department was called the “International Department”, its main business was non-life insurance for Western multinationals that had expanded into Japan.

Ordinary primary insurance was called ” A-accounts “, and the insurance policies of the Western multinationals were called ” Worldwide Coverage ” (global cover that covers the whole world was issued in the home country and a corresponding insurance policy was issued in Japan to comply with local insurance laws and to establish legality in terms of insurance coverage). The account was called a ” B-account” and the captive was called a ” C-account”. There were about 40 university graduates who joined the company at the same time as the author, but no one but the author knew the term ” captive” at that time. However, in the author’s department, captives played an important role in “boosting sales figures at deadlines”, although they were “poorly rated by management (i.e., very low profitability for non-life insurance companies)”.

After such a period as a new employee, when, after various assignments, I took on the position of ” general manager of the corporate insurance department” at the head office, where I was responsible for supervising and guiding the nationwide corporate insurance business, I realised that the captive business was being pushed to the margins in terms of ” profitability (for the Japanese branch offices)”. Even in foreign non-life insurance companies, captives were “treated as ‘stepchildren'”.

In Philadelphia, however, I was “reunited” with a captive in “glorious shape” who was regarded in stark contrast to such “stepchild treatment”: the predecessor of CIGNA’s general insurance division was the Insurance Company of North America (INA), founded in 1792 and one of the oldest stock insurers and the largest property and casualty insurer in the world at the time. As such, it had numerous giant and prestigious companies as clients, and was a very profitable risk management programme with a variety of reinsurance and reinsurance, which could not be compared to the ‘branch-level captives’ that were engaged in Japan.

2. Challenges for captives held by Japanese companies

More than 30 years later, I feel that Japanese companies’ knowledge and views on captives have not changed much from when I was involved as a new employee at a major foreign non-life insurer. For a while, the US ” preferential tax treatment for small insurance companies” was introduced to Japanese companies in an inappropriate manner and became a hot topic of discussion. However, this has changed with the revision of the National Tax Administration’s ” anti-tax haven taxation system”. “Many of the consulting firms that have promoted the establishment of captives in Hawaii by touting tax savings, such as insurance agents and accounting firms specialising in tax savings, who are not familiar with the underwriting of property/casualty insurance companies, are closing their doors in a flurry following the changes to the taxation system.” We have heard this from clients who have expressed an interest in setting up a captive or a Hawaiian bank.

The author has written in many previous columns that captives are a risk management tool, not a tax-saving tool, but we have heard that there have been various problems with captive consulting companies that have closed shop. This is the reason why it is important to judge the quality of a consulting company.

Japanese companies can set up captives overseas, which requires the use of a ” reinsurance ” mechanism. First, a Japanese non-life insurance company underwrites insurance as a ” primary insurer” and then reinsures it to an overseas captive. The risks are then reinsured to the London market (reinsurance market). Unless this is done, the captive will become a ” risk aggregate”, which will cause significant damage to the company.

3. Why are there not more captives in Japanese companies?

A ” risk management department ” exists in any company of medium size or above in Europe and the USA. It is the ” eyes and ears” of the company’s management team, and analyses, examines and deals with the risks it encounters, and the head of the department is called the “risk manager”.

As a department, the title is generally Vice president (unlike the common translation of ” vice-president “, for which ” general manager ” is more appropriate), but in companies that are advanced in risk management and large corporations, the title of chief risk officer (CRO), who reports directly to the CEO, is also used. Many companies that are advanced in risk management and large companies treat their employees with the position of CRO (chief risk officer), a position that reports directly to the CEO.

What about Japan, on the other hand? Many companies, even large ones, may still be stuck in the “insurance is a general affairs department”. Will risk management work really be carried out in such companies? The author recalls that, as far as he has verified, these “risk management manuals” are in most cases mere “useless decorations”.

The reason for this is that “many companies lack any awareness of risk management on the part of their management team”. As the saying goes, “fish rots from the head down”, risk management will not take root in a company where management does not have risk management in their mindset, no matter what kind of organisation is established. Moreover, the most advanced form of risk management, the ‘captive’, will never take root, nor will it ever be established. Whenever a ‘major disaster’ occurs, such companies often use the words ‘it was unexpected, we did everything we could to manage the risk’ as a shield. The core of all this is that “it all comes down to whether the corporate management team has a ‘keen eye for risk management'”.

Summary of this issue.

Global Link was established as a management consulting company by a major conglomerate life insurer, who commissioned the author to provide management consulting services in the non-life insurance business. For 13 years, I visited the London insurance market (London Market), centred on Lloyd’s of London, which is reputed to be “the last place where insurance goes”. One Lloyd’s underwriter even said to me, “Hatani commutes to London”. In total, I made more than 70 trips to London, once every two months every year.

I then worked in management consulting for a traditional Japanese non-life insurance company and Japan’s largest mutual insurance organisation. During this time, the question that was always on his mind was whether the products and proposals were truly suited to clients’ needs.

With this in mind, I researched and studied product development and risk management measures and established and arranged a number of insurance programmes that contributed to corporate strategy. I was made aware of a ” hole in the insurance system” that even I, who specialised in non-life insurance, did not know about, and I was made to realise the “limitations of Japan’s non-life insurance system”.

I was wondering whether it would be possible to create a new type of insurance in Japan that would provide a wider range of coverage that would truly benefit many people, when he met a specialist in the field of captives who had founded the captive establishment and management department of the largest Japanese property and casualty insurance company in Hawaii, USA.

Global Link was reorganised as “a consulting company for the establishment and operation of captives” with the belief that “if I could obtain coverage from the London Market, the world’s largest reinsurance market, which I have been involved in for many years, the captive could cover the huge recovery costs of catastrophes such as earthquakes”.

Globally, there are more than 7,000 captives owned by companies around the world. In contrast, Japanese companies own only around 100 captives, or about 2% of all captives owned by companies worldwide. Even though the government has repeatedly warned of the high probability of the Nankai Trough earthquake and the huge scale of damage it could cause, we have not come across any news of companies being ‘proactive in earthquake preparedness’.

Three years ago, in January 2020, Global Link’s website was renewed. The web design company we asked to create the website asked us to write a column when we uploaded it. This is the 173rd column since the upload. I have always written that “now is the time to take measures against unprecedented huge earthquakes, which are predicted to strike with certainty through the use of captives”.

In the wake of the Great East Japan Earthquake, the term ” unforeseen” was used interchangeably. The Great East Japan Earthquake caused a great number of casualties and major damage, but the Nankai Trough giant earthquake is actually “30 times more energetic” than the predicted magnitude, even in a simple comparison. It is clear how much damage could be caused.

The author, who has been involved in the non-life insurance industry for many years, cannot help but see that “the post-earthquake figure exceeds the damage after the Pacific War”. I can only hope that when a huge earthquake strikes, we will not be struck by the same sense of helplessness that we felt after the Great East Japan Earthquake, and that many “corporate managers will have a keen eye” to prevent this. The 80-90% probability of an earthquake occurring in the next 30 years” does not mean “the probability of an earthquake occurring 30 years from now”, but rather “the probability of an earthquake occurring tomorrow”.

Author/translator: Shinichiro Hatani