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リスク対応策 2020.11.14

RM49-赤いポピー(ひなげし)Red Poppies

ロンドンに行くたびに泊まっていた定宿のホテルは、地下鉄セントラル・ラインのランカスター・ゲート駅の真上にある。雨に備えてカッパも用意して、毎朝、目の前のハイド・パーク一周約7キロを30分強かけて、学生時代から続けてきたジョギングをするのが、ロンドン出張時における筆者の以前の日課であった。

ロイズ・マーケットの親しい友人、トニーから、「そんな遠いところに泊まらずにもっとシティに近いところに泊まれば」と何度言われても、その日課のために首を縦に振ることはなかった。毎朝、ホテルを飛び出し、「ランカスター・ゲート」をくぐり、踵を右に向け、突き当たりのケンジントン・ガーデンまで2キロほど走り、そこからケンジントン宮を横目に左に向かうと遠くにその建物が見えてくる。ロイヤル・アルバート・ホール(Royal Albert Hall of Arts and Sciences)である。

大英帝国の礎を築いたヴィクトリア女王、その夫であるアルバート公に捧げられた演劇場である。1871年3月29日の開場以来、多くのイベントが行われた、楕円形、現代の安全基準では収容数を7,000人としているが9,000人までは収容可能な、1991年には「大相撲の英国公演」もおこなわれたホールである。

毎年11月11日、Remembrance Day(戦没者追悼の日)を記念した、エリザベス女王他英国王室が出席される行事の最後には、ガラス張りの天井から無数の造花のポピーが降ってくる、祖国のために命を掛け戦い、戦場に散っていった人々に感謝するように、またその英霊に感謝するように。

ロンドンに出張するのは、8月のバケーション、12月のクリスマス、これらを外すようにして年に6回の出張を決めていくと自然と奇数月になり、毎年11月には、BBCでこの中継映像を見て感動していたことを思い出す。

1.Remembrance Day(戦没者追悼の日)

この11月11日(戦没者追悼の日)は、英国だけではなく、旧英連邦諸国他でも同じように催されている。オーストラリアでは、同じくRemembrance Dayと呼ばれ、米国ではVeterans Day、ポーランドではIndependence Day、仏国ではArmistice Dayと呼ばれている。

外資系損害保険会社に勤務していた頃、初めて本社のあるニューヨークに長期研修で訪れた際、「明日はVeterans Dayだから休みだよ、忘れるなよ」と,それ以来30年を超え本当に親しい友人となった米国人から聞き、「Veterans?」と辞書を引いて「退役軍人」のことと解った。しかし、日本人である私にとっては「退役軍人」とは、「第二次世界大戦(太平洋戦争)のこと」であり、「8月15日では・・」と聞いたら、「いや第一次世界大戦だよ」とその謂われを教えてもらったことを憶えている。

1902年に締結した「日英同盟」によって日本も参戦していたが、第一次世界大戦の戦場は、日本から遠く離れたヨーロッパの地であったためか、筆者を含め一般の日本人にとっては、第一次世界大戦は遙か遠くの昔の出来事のように受け止められているが、ヨーロッパの人々にしてみると、それは日本人にとっての太平洋戦争、いやそれ以上の意味を持っているようである。

第二次世界大戦では、600万人近い英国民が動員され、26万人の兵士と9万人以上の民間人が戦死した。カナダやオーストラリアなど英連邦の国々を合わせれば英連邦全体で1000万人が動員され、35万人の兵士が亡くなっている。しかし、第一次世界大戦はそれ以上、英国民の心に大きな傷跡を残しているようである。歴史上「最初の総力戦」と言われたこの戦争では、実に670万人の英国民が動員され、そのうち70万人が命を落としたのである。戦死者の数だけ見ても、第二次世界大戦の実に倍であり、英連邦全体では91万人が亡くなったのである。

第一次世界大戦が終結した翌年、国王ジョージ5世によって、終戦記念日にあたる11月11日が戦没者追悼の日と定められた。国会議事堂の建つウェストミンスターに隣接する、首相官邸(ダウニング街10: 10 Downing Street)や諸官庁が並ぶ官庁街の一角に、「無名戦士の碑」(セノターフ:Cenotaph)が建立され、その日には英国王室をはじめ首相や政府高官たちが赤いケシの花(ポピー)の花輪をささげるようになった。

第二次世界大戦を経た後でも、「戦没者追悼の日(Remembrance Day)」は変わらない。近年では、より多くの国民とともに英霊たちの追悼を行うためと意味から、11月11日に一番近い日曜日を「戦没者追悼の日曜日(Remembrance Sunday)」と定めている。1918年11月11日午前11時の休戦協定の発布を記念して、午前11時までには、エリザベス女王をはじめ、すべての王族と歴代首相など政府要人、また英連邦諸国の代表達が「無名戦士の碑」(セノターフ:Cenotaph)にポピーの花輪をささげる。そして、午前11時にはビッグ・ベンが鐘を鳴らして参列者が黙祷を開始、2分後の弔砲によって黙祷は終わる。

その後、追悼パレードが開催されるなど、長い「National Service of Remembrance」(戦没者追悼行事)」の1日が始まる。この追悼のため、ほぼ全国民と言えるほどの人たちが10月最終金曜日から11月11日まで左胸にポピーの造花を着けている。

1915年、第一次世界大戦で戦ったカナダ人軍人のジョン・マクレイ(John McCrae)の詩、” フランダースの野に(In Flanders Fields)”のに記された「激戦地であったフランダース地方では、戦闘が終わった後、戦場を埋め尽くすように赤いポピーが咲いた」事に由来して、Remembrance Dayのシンボルは赤いポピーとなったのである。

2.第一次世界大戦

全世界で7,000万人以上の軍人が動員された、人類が初めて経験する世界大戦となった、第一次世界大戦。第二次産業革命による技術革新、新兵器の投入によって武器の殺傷能力が高まったことによって高い戦死率となり、戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上が死亡するなど、先の英国の例を見ても、歴史上死亡者数の最も多い戦争となったのである。

また、当時のほぼ全世界全ての経済大国が参戦国となり、連合国側(英国、ロシア帝国、仏国等)と同盟国(ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国)の両陣営が1914年から1918年まで戦った。戦争の進展とともに、日英同盟によって日本そして米国も連合国側につき、またトルコ・オスマン帝国とブルガリア王国は同盟国側に参戦するなど、両陣営の同盟関係は拡大され、最終的に参戦国は50カ国に達した。この影響は、多くの参戦国に革命や帝国の解体といった政権、政治体制の変革を引き起こし、終戦後も参戦国間に対立関係が色濃く残り、その21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発することになったのである。

この一番の理由は、戦勝国側が戦敗国ドイツ側に一方的に戦争を引き起こした責任を押し付けたことである。この戦争責任の押し付けに対してドイツが抱いた不満が、やがてヒトラーが跳梁跋扈する温床となったのである。先に記したとおり、この戦争は「小競り合い」ではなく「国と国とが総力を挙げて戦う人類史上初の総力戦」となったため、世界の多くの国々を巻き込んだばかりでなく、一般国民の生活にも深刻な影響を与え、更にその影響は戦後も様々な面に広く顕われていったのである。

3.戦争が求める技術の進化とその後への影響

近代的兵器が登場するまでの戦争においては、高度に訓練された兵士の能力とその軍隊の規模や兵の数によって弾き出されるのが軍事力であった。日本の戦国時代、「鉄砲」が伝来して戦いの様相が劇的に変化したことは、戦国無敵と言われた武田騎馬隊が信長の鉄砲隊の前に為す術も無く長篠の戦いで敗北したように、新兵器が果たす効用は想像を超えるものがあり、時代が進むにつれてその武力、したがって影響力の大きさには驚愕すべきものがあった。

第一次世界大戦の初期では、まだ「歩兵の数」が軍事力そのものであった。しかし、機関銃が顕われ、物資、人員の輸送に鉄道が果たす効果によって、補給を受ける防御側が圧倒的に優位な状況になり、持久戦となった。また、持久戦の膠着を破るため、戦車、飛行機が『武器』として登場するに至って戦争の質が大きく変化、「国の力=技術力・生産力」が「軍事力」となっていったのである。

そうした戦局の打開のため、戦場以外への攻撃が見られるようになり、一般国民、非戦闘員の生活への影響が大きく見られるようになった。戦争の長期化にともなって戦争に掛かる費用が著しく増大するという、それまでの戦争では予想されていなかったことが起きていったのである。特に戦費の増大においては、敗戦することの意味に大きな変化をもたらした。第一次世界大戦に敗れた国々は、参戦国すべての戦争費用・損害の責任を負わされる形で、敗戦国だけではとても処理できないほどに膨れ上がった賠償責任を負うことになったのである。これこそが第二次世界大戦を勃発させた原因である。

第二次世界大戦では本格的に国家の総力戦となった。性能、数ともに武力の主役ではなかった戦車や飛行機が「兵器の中心」となり大きな威力を発揮した。そのため、強力で大量の兵器が求められるようになると、国力や国富の大半を、民間を圧迫してでも戦争のために振り分ける、つまり戦争が国力・国富を賭した「国の持てるモノ全てを投入する戦い=総力戦」となっていったのである。

そのツケは公衆衛生の問題となって現れた。現在、新型コロナのパンデミックに世界が苦しんでいるが、第一次世界大戦の時も「スペイン風邪」が大流行していた。当時の記録を見ると、このスペイン風邪によって、米国では675,000人が死亡したとあるが、戦場となったヨーロッパでは2,000万人以上が亡くなっている。他にも、寄生虫による発疹チフスでは、1914年のセルビアだけでも20万人が亡くなり、ロシアでは第一次世界大戦後の1918年から1922年までで2,500万人が発疹チフスに感染、300万人が亡くなった。

本来の使途と異なり多大な国富を戦費に費やすことによって公衆衛生に国富を費やせなかった結果である。

今回のまとめ

一つの事象は一つだけに留まることは無い。戦争では「一国が攻める」と「相手国も負けまいと責め返す」のである。また経済でも同じである、相互連関関係の上でその結果が変遷して、また姿を変えて戻ってくる。小さな池に石を投げ込めば波が起こる、起こった波は岸にぶつかって跳ね返ってくるのである。

これを検証するのがリスクマネジメントである。「作用」には必ず「反作用」が起こる、「運動の第3法則(Newton’s third law)」、一般的には「作用・反作用の法則」と言われているものである。「お互いに力を及ぼしあう2物体の力は、向きが反対で大きさが等しいという法則」である。物体Aから物体Bに力を加える(作用)と、物体Aは物体Bから大きさが同じで逆向きの力(反作用)を同一作用線上で働き返す力が存在するということである。

「作用」としての企業の事業活動は、必ず「反作用」を引き起こすという法則である。企業の事業が進めば進むほど、その反作用として「リスク」が発生するという法則である。しかし、そう考える企業の数はあまりにも少ないと感じている。

コロナ禍後の事業の伸展を考えると今なすべきは「企業活動を詳細に分析すること=リスクマネジメント」ではないだろうか。キャプティブを視野に本格的なリスクマネジメントに取り組む絶好の機会であると考えている。

執筆・翻訳者:羽谷 信一郎

English Translation

Risk Management 49 – Red Poppies

The regular hotel where I stayed every time I went to London is right above Lancaster Gate station on the Central Line. I’ve even packed my raincoat in case it rains. My previous routine on my business trip to London was to jog every morning for a little over half an hour around Hyde Park. I had been jogging since my student days.

No matter how many times Tony, a very good friend of mine at Lloyd’s of London Market, told me to stay closer to the City and not so far away, I never shook my head because of this routine. Every morning I run out of the hotel, through the “Lancaster Gate”, turn on my heel to the right and drive the two kilometres to Kensington Gardens at the end of the road, and then turn left with Kensington Palace beside me, and I see the building would be visible in the distance, the Royal Albert Hall of Arts and Sciences.

Since its opening on March 29, 1871, many events have been held in this oval-shaped building, which can hold up to 9,000 people, although modern safety standards limit the capacity to 7,000. In 1991, the hall was the venue for the “Great Sumo Tour of Great Britain”.

At the end of the annual Remembrance Day event attended by Queen Elizabeth and other members of the British Royal Family on 11 November, countless artificial poppies rain down from the glass ceiling. As we give deep thanks to those who have risked their lives for their country and scattered on the battlefield, we also give thanks to their heroic spirits.

Traveling to London was naturally an odd numbered month if you decide to travel six times a year, taking these off, vacationing in August, Christmas in December, and every November, I remember watching this live video on the BBC and being impressed by it.

1.Remembrance Day

11 November is celebrated not only in the UK, but also in the former Commonwealth countries and other countries in the same way. It is called Remembrance Day in Australia, Veterans Day in the US, Independence Day in Poland, and Armistice Day in France.

When I was working for a foreign non-life insurance company, when I first visited New York for a long-term training program, I heard from, since then, over 30 years later, an American who has become a truly close friend that “Tomorrow is Veterans Day, so don’t forget it’s a holiday”. But to me, as a Japanese, the term “veterans” refers to World War II (the Pacific War), and when I asked him if he thought it was August 15, he replied, “No, it was World War I.” I remember that he told me how it was called.

Japan participated in the war by virtue of the Anglo-Japanese Alliance, which was signed in 1902. Perhaps because the battlefields of World War I were in Europe, far away from Japan, to the average Japanese, the First World War is considered a distant memory by many, but to the Europeans, it seems to have had a greater significance than the Pacific War for the Japanese.

Nearly six million British citizens were mobilized in World War II, with 260,000 soldiers and more than 90,000 civilians killed in the war. If Canada, Australia and other Commonwealth countries combined, the entire Commonwealth mobilized 10 million people and 350,000 soldiers died. However, the First World War seems to have left even more scars on the minds of the British people than that. In fact, 6.7 million British citizens were mobilized for what has been called “the first all-out war” in history, and 700,000 of them lost their lives. In terms of the number of deaths alone, it was twice as many as in the Second World War, and 910,000 people died in the Commonwealth as a whole.

11 November, the anniversary of the end of the war, was declared Remembrance Day by King George V the year after the end of the First World War.The Monument to the Unknown Warriors (Cenotaph) was erected on Remembrance Day in the vicinity of Westminster, where the Houses of Parliament and the Prime Minister’s office (10 Downing Street) are located, and every year on Remembrance Day, the Royal Family, the Prime Minister and other senior government officials come to lay a wreath of red poppies.

Even after World War II, Remembrance Day has remained the same. In recent years, the Sunday closest to November 11 has been designated Remembrance Sunday, in order to join with the rest of the nation in remembering the souls of the dead.

To commemorate the signing of the Armistice at 11am on 11 November 1918, by 11am, Queen Elizabeth and all the royals and other dignitaries, including all the prime ministers, as well as representatives of the Commonwealth nations, will lay a wreath of poppies at the Cenotaph (the Unknown Warrior Monument).  Then, at 11am, Big Ben will ring the bell and the attendees will begin a moment of silence, which will be ended two minutes later by a gun of condolence.

This is followed by a long day of “National Service of Remembrance” with a remembrance parade. Almost the entire country wears artificial poppies on its left breast from the last Friday in October to November 11 for this memorial.

The red poppy was chosen as the symbol for Remembrance Day in 1915 because, as John McCrae, a Canadian soldier who fought in the First World War, wrote in his poem In Flanders Fields, “In Flanders, when the fighting was over, red poppies filled the battlefields”.

2.World War I

World War I was the first world war ever experienced by mankind, with more than 70 million military personnel mobilized worldwide. The technological innovations of the second industrial revolution and the introduction of new weapons, which increased the killing power of weapons, led to a high rate of deaths, with more than 9 million combatants and 7 million non-combatants dying in the war, making it the deadliest war in history, as evidenced by the earlier British example.

Nearly all of the world’s economic powers at the time were involved in the war, with the Allied powers (the British, Russian, French, etc.) and their allies (the German and Austro-Hungarian empires) fighting from 1914 to 1918. As the war progressed, the alliance between the two camps was expanded to include both Japan and the United States, and the Turkish-Ottoman Empire and the Kingdom of Bulgaria on the side of the Allies, eventually reaching 50 countries. The impact of these developments led to revolution and the dissolution of the empires of many of the countries involved in the war, and even after the end of the war, the rivalry between the participating countries remained strong, leading to the outbreak of World War II 21 years later in 1939. 

The primary reason for this was that the victorious side had unilaterally imposed responsibility for causing the war on the losing side, Germany. Germany’s dissatisfaction with this imposition of responsibility for the war eventually became a breeding ground for Hitler’s rampage. As noted earlier, the war was not a “skirmish” but “the first ever total war in the history of mankind, fought with the full force of nations,” and thus not only involved many countries of the world, but also affected the lives of ordinary people.

3.The evolution of technology as demanded by war and its subsequent impact on

Until the advent of modern weapons, military power in warfare was played out by the ability of highly trained soldiers and the size and number of their armies. During Japan’s Warring States period, the introduction of “guns” changed the face of warfare so dramatically that, just as Takeda’s cavalry, which was said to be invincible in the Warring States period, was helplessly defeated by Nobunaga’s gunmen at the Battle of Nagashino, the effect of the new weapons was beyond imagination, and as the era progressed, the magnitude of their military power and therefore influence was astonishing.

In the early days of World War I, the “number of infantry” was still the military force itself. However, with the advent of the machine gun and the effect of railroads on the transportation of goods and men, the defending side, which received supplies, had an overwhelming advantage and it became an endurance war. In order to break the deadlock in the endurance war, tanks and airplanes were introduced as weapons, and the quality of warfare changed dramatically, and the “national strength = technological and productive capacity” became “military strength”.

In order to break the deadlock, attacks outside of the battlefield came to be seen, and the impact on the lives of ordinary people and non-combatants was seen to be significant. As the war dragged on, the costs of warfare increased dramatically, something that had not been expected in previous wars. In particular, the increase in the cost of war brought about a profound change in what it meant to lose a war. The nations that lost the First World War were made responsible for the costs and damages of the war for all of the nations that participated in the war, and the liability for reparations grew beyond the ability of the defeated nations to handle alone. This was the factor that led to the outbreak of World War II.

The first and then the second world wars became full-scale national wars.  Tanks and airplanes, which had not been the mainstay of armed forces in terms of performance and numbers, became the “heart of the arsenal” and showed great power. When the demand for powerful and massive weapons came to be demanded, most of the national power and wealth was allocated for the war, even if it meant putting pressure on the private sector.

The cost of the war became a matter of public health. Today the world is suffering from a new corona pandemic, but during the First World War the “Spanish Flu” was still rampant. Records from that time show that the Spanish flu killed 675,000 people in the United States, but more than 20 million people died in Europe, where the war was fought. Other parasitic typhus outbreaks killed 200,000 people in Serbia alone in 1914, and in Russia, after World War I, from 1918 to 1922, 25 million people were infected with typhus and 3 million died from the disease.

This is the result of spending so much of the nation’s wealth on the war effort that it was not originally intended to be spent on public health.

Summary of this issue

No one event is confined to one thing. In war, when “one country invades,” the other country also blames the other country for not losing. It is the same in the economy. When a stone is thrown into a small pond, a wave is created, which bounces back from the shore.

This is what risk management is all about. For every action, there is a reaction, or Newton’s third law of motion, commonly known as the action-reaction law. It is the law that the forces of two objects exerting forces on each other are opposite in direction and equal in magnitude. When a force is applied from object A to object B(action), object A has a force that acts back from object B on the same line of action with the same size and opposite direction (reaction).

It is a law that the business activities of a company as an “action” always cause a “reaction”. The law is that the further a company’s business goes, the more “risk” it creates as a reaction. However, I feel that too few companies think that way.

Considering the growth of business in the wake of the Corona plague, what should be done now is to analyze corporate activities in detail, i.e., risk management. We believe that this is the perfect opportunity to engage in full-scale risk management with captives in mind.

Author/translator: Shinichiro Hatani